法 話

(8)「報恩講」

  11月は「報恩講(ほうおんこう)」のシーズンです。黄色い銀杏の葉が散り始めるころ、京都の真宗本廟(しんしゅうほんびょう)・東本願寺では毎年報恩講が勤修(ごんしゅ)されます。11月21日の初逮夜(しょたいや)から28日の御満座(ごまんざ)まで一七ヶ日(いちしちかにち)にわたって勤めたれ、各方面からの群参で賑わいます。全国各地の別院・寺院でも、親鸞聖人(しんらんしょうにん)のご命日11月28日を中心に前後2〜3か月の間に勤修されます。

 また、門徒の家庭においても「お取越
(おとりこし)」あるいは「ご引上(ごいんじょう)」といって報恩講をお勤めするのが真宗の伝統となっています。ただ、寺院で以前は3日、4日と勤められてきた報恩講が、最近はほとんど2日間になりました。中には1日だけのお寺、さらには「永報」とかいって、午前に永代経、午後は報恩講として法会を勤める寺院もあるとか。一方、家庭での報恩講勤修も減少しつつあります。

 ところで、報恩講はいつごろ始まったのでしょう。はっきりした起源は定かではありませんが、本願寺第3代覚如上人が1294(永仁2)年親鸞聖人の33回忌にあたって『報恩講私記』著し、法要において讃文としてそれを読まれたと伝えられることから、南北朝時代に遡るものと思われます。爾来700年、報恩講は新宗教団の本山・別院・寺院において、あるいは門徒の家庭において連綿と続けられている伝統行事です。

 報恩講とは文字通り「恩に報いる講習会」。宗祖親鸞聖人の遺徳をしのぶとともに感謝し、仏恩に報いるために真宗門徒が集う講習会であります。馳せ参じた「
真宗門の生」は、聖人が命がけで開顕された本願念仏の教えを学ぶととともに、自らの生活の上に信心を確かめる大切な機縁として仏事に参加してきたのです。

 親鸞聖人は1173(承安3)年、京都は日野の里にお生まれになり、1262(弘長2)年の11月28日に生涯を仏道に捧げ尽くして、90歳で浄土に還帰
(げんき)されました。その間の波瀾万丈のご生涯を、第3代覚如上人は『御伝鈔(ごでんしょう)』として書き残されています。『御伝鈔』は本山はもちろん、別院・寺院の報恩講において拝読されるのが通例です。

 『御伝鈔』は、内題に「本願寺聖人親鸞伝絵」とあるように絵詞伝形式をとっており、絵の部分のみを4幅の掛け軸に表したのが『絵伝』です。報恩講中、この4幅を本堂左余間にお掛けするのが真宗寺院の荘厳作法
(しょうごんさほう)となっています。因みに、当了願寺では毎年12月11日午後〜12日午前、午後と報恩講をお勤めしますので、『御伝鈔』拝読・『絵伝(えでん)』拝観のご縁におあいください。なお、聖人のご生涯については、そのあらましを別掲「親鸞聖人のご生涯」のページに載せてありますのでご覧ください。

 では、その親鸞聖人が開顕
(かいけん)された教えとはいったいどんな教えかといいますと、広大にして深遠(じんのん)で一口ではいえませんが、「本願を信じ念仏申せば仏になる」というのも一つの表現であります。「念仏成仏是真宗(ねんぶつじょうぶつこれしんしゅう)」というキャッチ・コピーもあります。

 「本願」とは、本当の願い・根本の願い、仏さまの願いです。もっと厳密にいえば、法蔵菩薩
(ほうぞうぼさつ)が迷える衆生を救済せんと起こされた誓願。一般的に「願をかける」などという願いは、人間の側の願い。その裏側には、良い悪いは別として人間の「欲」が潜んでいます。要するに、回りのものを自分の思うようにしたいという「欲」を満たすための願い。人間の側からそうした願いを神仏にかけて満足を得ようとするわけです。

 仏・菩薩の願いはそれとは全く逆方向で、仏さまの側から私たち人間に願いがかけられている。私たちが願われているのです。どういう願いかといえば、自己に目覚めてくれよという願い。神仏にかける私たち人間の願いがエゴを基としていることに目覚めてくれよ、という願いです。自分の思うようにしたい、自分の欲望が満たされるようにしたい、という煩悩に振り回されている自我に気づいてほしいという願い。煩悩のメカニズムに目覚めてほしいという仏・菩薩の願いなのです。

 「自我」の視点で煩悩のメカニズムを明らかにしようとしても、それは無理な話。まるで自分の身体を自分の力で持ち上げようとしているようなもの。本願、仏の願いの呼びかけに出合うことによって、初めて自我の願いの何たるかが明らかになり、自分の愚かさに気づかされるのであります。その瞬間、苦悩はなくならなくても、苦悩を感じない世界が開けてくるのです。

 これが助かるということ。自分の努力の積み重ねでなく、仏さまの側からのはたらきかけ、すなわち他力によって自己自身に目覚めさせていただき、苦悩から救われるのです。これこそ聖人が、自らの求道遍歴
(くどうへんれき)の末に師・法然上人との出会いの中から獲得された「自力無効(じりきむこう)」「他力回向(たりきえこう)」の信心の真髄でありましょう。 合掌。      2001.10.30.本田眞哉・記】


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