法 話

(88)平生業成(へいぜいごうじょう)(下)


親鸞聖人(しんらんしょうにん)

一流にをいては


平生業成(へいぜいごうじょう)

義にして…


大府市S・E氏提供

存覚上人『浄土眞要鈔』より

平生業成(へいぜいごうじょう)(下)

 

その後かなり大きな余震もあり、集団疎開で本堂に寝泊まりしていた名古屋市南区の道徳国民学校の学童は、揺れの大きさに驚いて昭和19(1944)年の冬休みを機に他所へ転出。その後12か月間空白があったのち、今度は動員学徒が本堂で寝泊まりすることになりました。名古屋の桜花女学校の生徒が当山本堂で寝泊まりして、中島飛行機の工場で働くことになったのです。

本堂の浜縁には、藪から竹を切り出して手すり兼物干しが設えられました。女学生たちはその手すりにもたれて、空き缶に入れた炒り大豆をバリバリ食べながら談笑したり、「♪勝利の日まで…」とかいう軍歌を歌ったりしていました。今でも本堂の浜縁を見るとその光景が甦ります。

話は逆戻りしますが、疎開学童が出て行ってまもなく、昭和20(1945)113日未明また大地震が発生。その夜は空襲警報もお無く熟睡していたところ、ダダダダダッとエア・ハンマーで突き上げられるような衝撃で目が覚めました。その後猛烈な揺れ。「地震だ!」と思いましたが、どういうわけか身体全体が硬直してしまって動けません。逆に布団をかぶってジッと我慢。

揺れが収まって家の外へ出てみると、隣近所の人たちが集まってきて、興奮さめやらぬ表情でそれぞれが体験談。大勢が集まっているだけで恐怖感から逃れられるような気がして、誰も自宅へ戻ろうとしません。やがて白々と夜が明けておのおのご自宅へ。ふと本堂の大屋根を見上げると、畳十畳敷きぐらいはありましょうか、色が変わっている部分がありました。よくよく見ると屋根瓦が滑り落ちて赤土がむき出しになっていたのです。いや、これは被害甚大。

その後余震がたびたび発生し、傾いた家で寝るのは危険だというので庭先の木々の間に小屋を造って夜寝ることに。小屋といってもちょうど四川のシート小屋と同じ代物。ただし、当時はビニールだのシートだのというものはありませんから、スノコと戸板で周りを囲い、布団の下は藁を敷いただけのもの。朝目が覚めたら鼻先の布団の襟に雪が積もっていました。

63年前の地震談義が長くなりましたが、両地震を体験した世代がだんだん少なくなり、地震被害の悲惨さが忘れられていくなか、少しでも記録にとどめようと私自身の体験を記してみました。そして、こうした体験から得られた教訓を常に憶念していくことが大事だと思います。

東南海地震体験のなかで記したように、当時境内の東端にあった竹藪に向かって走ったのは、その前から地震のときは竹藪の中が安全だと、かねがね母から聞いていたからです。竹藪の中は竹の根っこが網の目のように張り巡らされていて、万が一地割れが起きても足や身体が落ち込むことが無いというわけ。

両地震の後、学校では地震が来たらまず机の下に潜りなさい、と教えられました。最近、東南海・南海地震が近い将来発生する可能性が高くなったということで、地震対策のキャンペーンの中でこうしたことがよく言われていますが、私たちの年代は今から60余年前にそうした教育を受けていました。

また、最近よく呼びかけられている注意事項に「地震の揺れが大きいとテレビが飛んでくるし、戸棚の中のものも飛び出してくるから充分に事前対策を講じておくように」というのがあります。にわかには信じがたい事象ですが、先の東南海地震では当山の本堂で実際に発生していました。

本堂の内陣の最奥部に高さ・奥行きとも90㎝、長さ3.5mほどの段が設えられています。その段の上に高さ50㎝ほどの須弥壇を置き、その上に高さ幅とも120㎝ほどのお厨子が安置されていました。地震のあと本堂へ行ってみると、壇上に須弥壇を残して上部のお厨子だけが床面に敷いた4畳の上に仰向けにペタンと横たわっていたのです。

重量が100㎏ほどあるこのお厨子が弧を描くように中空を飛んで、270度回転して畳の上に“安着”したものと思われます。木製の屋根張りの先がほんの一部破損しているほかはほとんど無傷。いずれにしてもこれほどの重量物が宙を舞って落下したことは事実なので、テレビが空中を泳いだり、戸棚の中の食器が扉を押しのけて飛んで来たりすることは充分あり得ること。テレビをベルト等で固定したり、戸棚の扉が開かないように対策を講じたり、とにかく日常の対応が求められます。

東南海地震の翌日、小学校の音楽教室でも類似の現象を目の当たりにしました。教室の板張りの床一面に、幅23㎝、深さ12㎜の痕跡がいくつも弧を描いていました。よくよく見るとピアノのキャスター車に依るものでした。アップライトのピアノが、地震の横揺れで教室中をあちらへ行ったりこちらへ来たり走り回ったのでしょう。挙げ句の果てにピアノは仰向けにペタンと倒れていました。

いずれにしてもこうした経験を生かして、近い将来来るといわれている大地震のために物心両面での準備が必要だと思います。日常生活の中で、平生の営みの中で。仏教では、つねひごろの中で精進することを「平生業成(へいぜいごうじょう)」といいます。つねひごろ、過去の経験に学び耐震対応策を講じていくことが重要なことだと思うや切であります。

   《2008.5.30 住職・本田眞哉・記》

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