法 話

(89)盂蘭盆


人は死んでも墓にはいません。


墓は人が御名を敬い

生かされて往った後の

道しるべなのです


大府市S・E氏提供



名畑 崇 大谷大学名誉教授『お盆』より

 

盂蘭盆(うらぼん) 

  

8月はお盆の月、13日から16まで。東京地方では7月盆が一般的のようです。もともとお盆は旧暦の713日~16日。したがって、8月盆のことを「月遅れ盆」ともいいます。そもそも、「お盆」とは何ぞや。語源はサンスクリット語のullambana (ウランバナ)。これを音写して日本語では「盂蘭盆(うらぼん)」となりました。ちょうど「パリ」を「巴里」と表記するように。その「盂蘭盆」の「盂蘭」が省略されて「盆」となり、それに日本人の好きな「お」をつけて「お盆」となった訳です。なお、お供え物を載せる「お盆」の意味も込められているとの説もあります。

 では、原語の「ullambana」にはどんな意味があるのでしょうか。直訳すると「倒懸苦」という意味。逆さに懸けられた苦しみという意味になりましょうか。これだけでは何のことをいっているのか不可解。その由来を訪ねてみますと、「盂蘭盆経」に書かれている次のような物語からきているようです。

 お釈迦様の弟子に目蓮という方がいました。ある日、神通第一といわれた目蓮尊者は、生前自分を大変可愛がって育ててくれた母親が、死後の世界で餓鬼道(がきどう)に堕(お)ちて逆さ吊りになって苦しんでいる様子を神通力で見てしまいました。飢えに苦しむ亡母に水や食べ物が差し出されても、みな口に入る寸前に炎となって消えてしまいました。

 困り果てた目蓮尊者はお釈迦さまに相談しました。お釈迦さまは、「安居(あんご=雨期の修学期間)の最後の日に全ての僧に食べ物を施せば、亡母にもその施しの一部が口に入って助かるであろう」とお教えになりました。目蓮尊者は教えられたとおり全ての僧に布施を行う、いわゆる衆僧供養を執り行いました。僧たちは飲んだり食べたりして大喜びだったといいます。その結果、逆さ吊りで苦しんでいた亡母も救われたということです。

 こうした故事にならって、日本で最初にお盆の行事が行われたのは奈良時代のようです。当時、仏教者以外の人々が旧暦の715日を「中元」といって、その日にご先祖さまに供え物をし、灯ろうに灯を灯して先祖を祀る風習があったといわれています。そうした行事と一つになって盂蘭盆の行事が行われるようになったとも考えられます。

 因みに、こうした先祖の霊と子孫との“交流”の行事、当時は年に2回あったといわれています。お盆の他のもう1回は大晦日。後拾遺集和泉式部の哀傷歌に「十二月つごもりの夜よみ侍りける。亡き人の来る夜と聞けど、君もなくわが住む宿や魂無きの里」とあるのがそのことを表しています。年に2回、中元と年末に「迎魂」行事が行われていたのです。なお「中元」は、意味の違いはありますが現在も続けられている社交習俗。また、商業ベースでも使われているおなじみのフレーズです。

 いずれにしてもこうした迎魂行事は、死者の霊魂を和らげて、娑婆に住む者がその好意的威力によって利益を受け、反対にその悪意的威力による災害を避けることを目的としています。現在では、年末・正月は迎魂を忌み嫌い、祖霊の神格が強調され神事中心になった反面、お盆の迎魂は仏教行事として定着しています。

 お盆の迎魂行事は、それぞれ仏教各宗派の教義をベースにして、それぞれの宗派の作法に則って行われることはいうまでもありません。現在一般化している仏教各宗、例えば曹洞宗、臨済宗、浄土宗、真言宗、天台宗etc.の檀信徒の家庭におけるお盆行事の意味づけは、それぞれ固有のものがあるでしょうが、そのベースには共通した一点があると思います。それは、お盆には先祖の霊魂があの世からこの世に帰って来るということ。そのことをベースに、各宗各派の教義と作法に基づいてお盆行事の設えが整えられ、法要が営まれるのでしょう。

 先祖の霊がご帰宅遊ばすのに道や入り口が分からないといけないというんで、13日夕には迎え火を灯します。その前に仏壇とは別にお盆棚を設けて、そこに茄子やキュウリにオガラで足をつけて作った馬や牛を供えるのだそうです。何のためかといえば、ご先祖さまがあの世とこの世を行き来するための乗り物。タクシーを雇うわけにもいかないようで…。

 ご先祖様がご帰宅・ご滞在になるとなれば、手厚くおもてなししなければなりません。朝・昼・夕食はもちろん、おやつやお夜食までメニューが決まっているとのことで、担当のお嫁さんは大変。これらは全て「お盆棚」を舞台として展開されるようです。また、お盆期間中にお坊さんを招いてお経を上げてもらわなければなりません。禅宗などではこのお経のことを「棚経」というそうですが、宜(むべ)なるかな。

 かくして2日間ご滞在なすったご先祖さまの霊は、16日にあの世へお帰りになります。お帰りも道に迷わないように「送り火」を焚きます。毎年816日に催される京都の「大文字」は送り火の伝統を今に伝えるビッグ・イヴェント。また、「灯ろう流し」「精霊流し」といって、お盆のお供え物や飾り物をまとめてマコモで作った船に乗せて川や海へ流すこと各地で行われていますが、これはお盆行事の締めくくり。

 以上のようなお盆行事は全国各地の各宗各派で行われていますが、浄土真宗においては例外です。行う必要がありません。浄土真宗、わが大谷派を始め10派ありますが、いずれの派においても「迎魂」の教義や教理はありません。このことはキッチリと再確認しておく必要があります。

 したがって当然のことながら、茄子やキュウリで馬や牛を作る必要もなく、盆棚はもちろんそこへお供えする食事を作ることも全く不要。そうしたことの根拠は、わが宗祖親鸞聖人が開かれた教えにあるのです。他宗派に対して闇雲に異端の姿勢をとっている訳ではありません。お盆そのものを否定しているのではなく、浄土真宗の教義に則った意味づけと作法でお盆行事を行います。

 そもそも真宗大谷派の教義では、人間は死んだらあの世へ行くとか、ましてや天国へ行くなどとは申しません。亡くなった人は即浄土に往生(おうじょう)するのです。往生というのは文字通り往き生まれるということ。浄土へ往き仏として生まれるということ。すなわち成仏(じょうぶつ)するということです。「霊」ではなく「仏」に成っていらっしゃるのです。ご先祖さまはもうすでに真の平和な世界、真の平等の世界である安楽浄土で仏として安住していらっしゃって、お盆に霊の姿でのこのこお帰りになる必要はありません。

 しからば、真宗門徒はお盆の仏事をどのようにしたらよいのでしょう。“門徒もの知らず”“仏ほっとけ”でよいわけではありません。家においてはお内仏(お仏壇)をお掃除し、打敷を懸けお花も立て替え、真宗の作法に則ってお供えとお飾りをして荘厳します。そして家族一同うち揃って勤行をし、お念仏の教えの先達としての亡き人を偲びつつ崇敬しましょう。加えて自分自身が念仏の教えを聞信し、次世代へ伝えるご縁としたいものです。

 また、お墓へもお参りして、本願念仏のみ教えを伝えてくださった先祖の遺徳を感得するとともに、自らの生き方の糧にする機縁ともなれば墓参の意義もいっそう深まりましょう。手次のお寺にお願いしてお盆の法要を営み、真宗の教えをいただくのもよろしいかと…。真宗門徒にとってお盆の法要は、限りなく広く長いいのちの関わりを、直接私に伝えてくださった方として、親やご先祖のご恩を念ずるご縁であることを意味しています。

 私たち一人ひとりのいのちは、それぞれの身に賜っているものです。しかし、そのいのちは、決してそれぞれ個人のいのちとして、単独でバラバラにあるのではないのです。お盆はこうした教えに出会いわが身のいのちについて学ばせていただくことができればと願っています。                         合掌

 

   《2008.8.1 住職・本田眞哉・記

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