法 話

(9)「蓮如上人のご遺徳」

  本願寺第八代蓮如上人(1415〜1499)がお亡くなりになってから500年を経ました。蓮如上人といえば「御文」さま、「御文」さまといえば蓮如上人。上人は本願寺再興をめざして“教団改革”を進める中、新しい教化方式を発起しました。門徒に手紙(御文)を出して本願念仏の教えを再確認して、「浄土真宗」に立ち帰ろうとする運動を展開されたのです。現代に引き当てれば、さしずめインターネットを活用した教化ということになりましょうか。

 最初に「御文」を書かれたのは寛正2(1461)年といわれています。ちょうど親鸞聖人の二百回忌の年に当たります。以後書かれた「御文」は330余通に及んでいます。手紙とはいえ、内容はもちろん商取引や愛情表現でなく、浄土真宗の教え、信心に関することであるということはいうまでもありません。

 上人没後、この手紙をまとめて5冊に編集されたのが『五帖御文
(ごじょうおふみ)』80通です。日ごろのお勤めの最後に拝読されているのがこの「御文」さまです。一帖目(第一分冊)から四帖目(第四分冊)までは年代順にお手紙が収録されています。五帖目(第五分冊)には、年代の分からないものが集められています。『五帖御文』の他には『夏(げ)の御文』4通、『御俗姓(ごぞくしょう)』1通、それに『帖外御文(じょうがいおふみ)』252通があります。今後新しく発見されたものはこの『帖外御文』に入ってきますので、この数字は増える可能性があるわけです。

 それでは「御文」の内容はといいますと、お手紙ですのでそれぞれさまざまですが、一貫していえることは、親鸞聖人の開顕された本願念仏の教えの要が、当時の言葉で平易にしかも簡潔に説かれているということです。『蓮如上人御一代記聞書』には「御文」は「凡夫往生の鏡」、凡夫往生の道理を明らかにするもので、そこに特別な法門があるわけではないということが記されています。

 『五帖御文』一帖目第九通では、浄土真宗の教えの要ともいうべき親鸞聖人の神祇観について平易にお教えいただいております。

    (前略)
仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむ
     べからずと、あきらかに諸経の文にあまたみえたり。まず、『涅
     槃経』にのたまわく、「如来法中
(にょらいほうじゅう) 無有選択(む
       うせんじゃく)
吉日良辰(きちにちりょうしん)」といえり。この文のここ
     ろは、如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなしとなり。また
     『般舟経』にのたまわく、(経文略)といえり。この文のこころは、
     優婆夷
(うばい)この三昧をききてまなばんと欲せんものは、みずか
     ら仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道につかう
     ることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることを
     えざれ、吉良日をみることをえざれといえり。
(後略)

 「物さのみいむべからず」とは、「物忌みすべきでない」という意味です。よく「門徒もの知らず」ということを耳にしますが、これは「門徒は物忌みすることを知らない」ということで、「門徒物忌まず」から訛った言葉でなかろうかと思います。いずれにしても真宗門徒は物忌みをしないという宗風を言い表しているのでしょう。

 「物忌み」とは『広辞苑』によれば、「不吉として物事を忌むこと。縁起をかつぐこと。」となっております。いわば祟
(たた)りを畏(おそ)れ嫌い避けること。そのための手だてが、太古の昔から今日までいろいろ伝えられています。結婚式は大安吉日がよい、葬式は友引の日を避けるべきだとか、三隣亡には家の建て前はしていけない、あるいは、旅立つときの方角はどの方角がよいとか…。いわゆる日柄方位を選ぶ習俗は根強いものがあります。墓相・家相・人相・手相による運命鑑定も同類のもので、最近若い人の間では星占い、血液型や姓名による判断も流行っていますが、これも「物忌み」の仲間入り。

 こうした「物忌み」と表裏一体の関係にあるのが神祇信仰です。私たちが懐く「畏れ」や「不安」の元凶は霊観念です。この霊観念はいずれの民俗宗教にも共通してあるものですが、その霊の祟り、霊の支配から逃れるために神を崇めるのです。具体的な行動としては「卜占祭祀
(ぼくせんさいし)」、つまり占いに頼りお祓いをしてもらうわけです。

 霊の正体はといえば、天の精霊が天神、地の精霊が地祇で、この二つは自然霊。そして人の精霊が死霊・祖霊といわれているものです。こうした霊を神と崇め限りなく畏敬の念を捧げていくのが霊信仰です。畏敬の念を捧げるといえば聞こえはよいのですが、とりもなおさずそれは「祈願」です。自分の除災招福を願う「エゴ」のあり方に他なりません。

 親鸞聖人は『悲歎述懐和讃』に、

     かなしきかなや道俗の
     良時吉日えらばしめ
     天神地祇をあがめつつ
     卜占祭祀つとめとす


と詠んでいらっしゃいます。これは、親鸞聖人ご在世の鎌倉時代の仏教界の乱れを指摘したのみならず、聖人ご自身の心の揺らぎを悲嘆述懐されたのでしょう。と同時に聖人の神祇信仰に対する立場、すなわち神祇不拝という立場を明確に示された一首だといえましょう。

 そうした宗祖親鸞聖人の金剛不壊の信心を受けて、蓮如上人は「御文」でもってそのおもむきを懇ろにご門徒に伝え、信心の回復を願われたのが先の一帖目第九通でありましょう。いま一度「余道につかうることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをえざれといえり。」

 さて、こうした蓮如上人の業績をたたえご遺徳を仰ぐとともに、真宗の教えを乱世の私たちの身の上に聞き開くことを願って各方面で「蓮如上人五百回御遠忌法要」が勤められています。本山・東本願寺では1998年4月、名古屋東別院では2000年4月それぞれ勤修されました。最近近隣の一般寺院でも勤められるようになってきました。

 当了願寺でもこの御遠忌をお勤めしようと2001年5月に発願して以来、役員会・委員会で検討を重ね、このたびようやく御遠忌計画案が成案をみました。そして先ずは墓財活動ということで、親鸞聖人の御正忌11月28日を期して「趣意書」を発し、「了願寺蓮如上人五百回御遠忌法要」事業が名実ともにスタートしました。関係各位には、物心両面にわたるご協力・ご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。 合掌。
      2001.12.2.住職・本田眞哉・記】


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