法 話

(96)「真宗の仏事(上)

(それがし)、親鸞(しんらん)

閉眼せば

賀茂川にいれて

魚にあたふべし。
  

大府市S・E氏提供

覚如上人『改邪鈔(かいじゃしょう)より


 

「暑さ寒さも彼岸まで」とか、朝晩は冷えますが日中は気温も上がり暮らしよくなって参りました。春のお彼岸は317日から323日までの1週間。「お彼岸」の語源はインド語(梵語・サンスクリット語)の「パーラミタ」。これを音訳して漢字で書き表すと「波羅蜜多」。そしてこれを日本語に意訳すると「到彼岸」、彼岸に到るという意味になります。

 私たちの生きる娑婆(しゃば)世界を此の岸「此岸(しがん)」と言うのに対して、阿弥陀如来のおわします浄土の世界を彼の岸「彼岸」と言います。「此岸」に生きる私たちが、迷いの世界から浄土の世界、涅槃寂静の世界である「彼岸」に到ることを願うご縁をいただくのが「お彼岸」。お彼岸には日本独自の伝統仏事が行われます。

 最も一般化している仏事といえば、それはお墓参りでしょう。必ずといっていいほど春・秋のお彼岸時期にはお墓参りの話題がテレビ・新聞等で報道されます。「お彼岸には先祖のお墓参り」が日本人の常識になっています。ところが、そのお墓参りの意義となりますと、各宗各派によって異なります。

 最近、秋川雅史という歌手が歌った「千の風になって」とかいう歌が大変な人気を呼んでいるようです。秋川さんは昨年のNHK紅白歌合戦にも出場されましたね。歌詞の最初は確か「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません…」でしたっけ。一般的にはこの歌詞を聞いてたまげた人が多いんじゃないかと思います。今までの常識では、父も母もご先祖もお墓の中に眠っていることになっているからです。

 しかし、このフレーズの精神は我が真宗の教えとピタリ一致します。真宗には、お墓に故人の霊が眠っているという教えはありません。ではなぜお墓の前で手を合わせるのかといいますと、それは先祖の遺骨に対してではなく、先祖をご縁として真宗のご本尊・阿弥陀如来に合掌するのです。と同時に今私がここに存在するのはご先祖のお陰でありますので、感謝の念を捧げて合掌するのです。

 したがって真宗では、墓石の正面には「○○家先祖代々之墓」ではなく、阿弥陀如来を文字で表して「南無阿弥陀仏」と刻銘するのが正しいのです。なお、真宗の教えでは「墓相」は迷信とされています。お墓を立てる時期とか、方角とか、墓石の色とかを選んだりこだわったりすることは無用です。すべて迷信で、仏教の教えにその根拠はありません。また、墓石の建立日を「吉日」とすることはナンセンスです。

 こうしてみてきますと、お墓のこと一つとってみても、真宗の教えは他宗派の教えに比べて際だって相異があることがお分かりでしょう。ことほど左様に、他の「仏事」についても他宗派と異なる作法が多々あります。もちろん作法の根本には、それぞれの宗派の「教義」がありますので、当然といえば当然ですが…。以下、真宗独特の仏事作法とその依って来たる教義・教えについて、ごく初歩的なことを取り上げてみましょう。

 まずよく質問を受けるのが焼香の作法。2回か3回か。その心底には、親戚や知人などの葬儀に参列した場合、恥をかきたくないということがあるのではないでしょうか。その是非はともかく、自分の信じる宗派の作法を心得ておくということは大事なことでしょう。

 真宗大谷派の場合、まず尊前で頭礼(づらい=軽く頭を下げる)をし、合掌しなくて焼香2撮(回)。2回とも香をつまんだあとおし戴かない。他宗派では、香をつまんでから目のあたりや額のあたりまでおし戴くことをしますが、真宗の作法では、つまんだ香を水平に炭火の上へ持っていき、静かに手を離して燃香するのが正しい作法。その後念珠をかけて合掌します。なお、お香は本来持参するもの。葬儀場などには参列者の便宜を図って用意されています。その香を使わせていただくので、その代わりに「香典」「香儀」を持参することになっているわけです。  合掌

《次号へ続く:2009.3.2 住職・本田眞哉・記》

  
 

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