第一駐車場東斜面の除草・整備工事

  急傾斜地対策で愛知県が施工した斜面に、雑草や雑木が生い茂ったため、駆除作業工事を実施。

  この後、再発防止のためコンクリートにビニールシートを貼る作業が必要

 再発防止のためコンクリートにビニールシートを貼って工事完了


     


 ■会館棟の屋根葺き替え工事

 
築40年の会館棟
(鉄筋コンクリート造)の棟瓦の葺き替え工事before

 方形の建物の4本の下がり棟の瓦の葺き替え工事

先ずは仮設工事 





 ■庭木の剪定完了

 
遅れておりました境内の庭木の剪定がこのたび完了しました。

 施工は大府修景建設株式会社にお願いしました。





 
■龍吐水の「心洗」に柄杓掛けご寄贈


 当山水屋の「心洗」に、ご門徒・杉浦巌氏より、手作りの柄杓掛けをご寄贈戴きました。有難うご

ざいました。





 ■本堂にエアコン新設

 了願寺維持振興会2021年度事業の一環としてこのたび本堂にエアコンを新設しました。大間(参詣

者席)に室内機(壁掛型)を4基設置。室外機4基は浜縁下に収納。能力は3馬力×4、合計12馬力。

      室内機の取り付け(北側・西)           室外機は浜縁下(南側)





 ■コロナ影響下の報恩講と2021年の新春初鐘(除夜の鐘)

 
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、報恩講(ほうおんこう)は内勤で1日法要を勤修。新春初鐘(除夜の鐘)も

取りやめて内勤で「修正会(しゅしょうえ)」のみ勤修。

  報恩講必須のお荘厳「親鸞聖人絵伝」          「修正会」の勤行 




 
■参道入り口案内板
  
 
手作りの参道入り口案内板を更新しました。(5代目)


       
Before    &    After





 ■平和の鐘撞き

 東浦9条の会が2020年8月15日正午より、新装なった鐘楼で「第13回平和の鐘撞き」を執行しました。





 ■墓参用水汲み場新設

 
第一駐車場に墓参用水汲み場を新設しました。ご利用ください。




 ■新春初鐘・除夜の鐘

 2019年大晦日から2020年元旦へ時計の針が進むなか、了願寺鐘楼では新春初鐘・除夜の鐘が打ち鳴らされ

ました。今年は寒さが厳しく、例年より参加者が少なかった模様。昨年勤修した親鸞聖人七百五十回御遠忌

法要の記念事業の一環として、屋根葺き替え貫の取替等で新装成った鐘楼がライトアップに映えていました。






 ■了願寺前住職 自著第四作『根』を出版

 本田眞哉了願寺前住職は、親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業の一環として、

自著『(こん)』を上梓しました。四六判268ページで一部写真入り、2019年8月1日発行。

版元は名古屋の風媒社。小職は1996年『(はなびら)』を出版、1999年に第二作『(うてな)』、

そして2011年には第三作『(ずい)』を刊行。その後を受けて、今回御遠忌をご縁して

第四作(こん)』を著すことができました。


 

 

 ■了願寺全景航空写真

 御遠忌法要円乗後の4月中旬に撮影した航空写真。山門と鐘楼とトイレの屋根が新しく

なりました。周囲塀もニューデザインでお目見えしました。第二駐車場も新しい舗装に

白線がクッキリ。


 

 ■鸞聖人七百五十回御遠忌 御満座法要(3)

賦華籠楽(ふけこがく)を奏でる楽僧 入内法中に華籠を差し出す役稚児
役稚児も行道散華の列に加わり
仏説阿弥陀経読誦の中続く行道散華 散華の葩(はなびら)  
本田眞役稚住職満座御礼   桝田宇人御遠忌委員長謝辞 


 

 ■鸞聖人七百五十回御遠忌 御満座法要(2)

住職が登壇 御遠忌法要のクライマックス「登高座」 猿ョ事下役が法具をセット
衆僧目のなか住職登高座執行
住職登高座作法終わり衆僧もども読経 
役稚児が行道散華の華籠を内陣出仕者に配る 

 

 ■鸞聖人七百五十回御遠忌 御満座法要(1) 

 稚児行列繰り込み焼香が続くなか 法要本番が始まり参勤法中が内陣出仕
 笙篳篥の楽の音のリードで法要進行  声明のプロ「助音方」が外陣で大音声
 御代前内陣出仕の前住職以下  祖師前内陣出仕の住職以下
大間の参詣者   餘間出仕の友人法中と仏教会




 ■鸞聖人七百五十回御遠忌法要 稚児行列

 緒川コミセンターでお稚児さんのお化粧  総代さんが掲げる仏旗が稚児行列を先導
 
 楽僧が越天楽を奏でるなか行列出発  住職・前住職に朱傘を差し掛ける役員
旧緒川村の細道は行列の人・人・人で一杯  裃姿の総代さん、寺はすぐそこ
 稚児行列の先頭が建て替えられた山門へ  修復成った鐘楼を仰ぎつつ石段を昇ります
行列は自然階を昇り本堂へ 本堂浜縁で焼香・礼拝するお稚児さん

 

 ■鸞聖人七百五十回御遠忌法要 併 記念事業工事落慶法要 勤修(2)

法要を寿ぐように桜花爛漫  落慶法要:内陣祖師前出仕の住職他
 落慶法要:内陣御代前出仕の前住職他  落慶法要:正信偈を唱和するご門徒
 一方、緒川コミュニティセンターでは、お稚児さんの受付とお化粧・着付け お土産の菓子も用意



 ■親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 併 記念事業工事落慶法要 勤修(1)

 発願以来3年余、いよいよ親鸞聖人七百五十回御遠忌法要勤修の日がやって来ました。

 時に2019(平成31)年3月31日(日)天気晴朗なれど 風強し=B盛大に厳かに大法要を勤修する

ことができました。これ偏に関係各位のご支援、ご協力の賜と、深甚の謝意を表する次第です。

お稚児さん用の自然階もでき、準備OK   記念事業で建替られた山門と修復成った鐘楼
 記念事業工事落慶法要の来賓受付  緒川コミュニティーセンターでは稚児受付
 午前10時から記念事業工事落慶法要  来賓ご門徒ともども正信偈を唱和



 ■御遠忌法要準備総仕上げ

  鐘楼・山門工事は全て完了。化粧直しも終わり。法要に向けて準備万端調いました。

  外構面では、東・北の法面の雑木を伐採、スッキリしました。また、本堂西の第二駐車場も舗

 装し車止めも設置。ラインを引き、見違えるほど立派に。加えて、防犯カメラも新設。、


 ■御遠忌記念事業全工事完了

 鐘楼の屋根葺き替え工事も完了し仮設足場も撤去されすっきりした姿を現わしました。

【左】参道から 【右】第三駐車場から 見上げた勇姿

  

 ■御遠忌記念事業追加工事完了

 記念事業の追加工事・鐘楼の屋根葺き替え工事が完了しました。屋根下地の補修工事にかなりの時

間を要しましたが、瓦伏せ工事に入ってからは、休日を返上して急ピッチで進めていただき、年末ま

でに完工しました。山門同様、旧鐘楼の屋根の形状そのままに仕上げていただきました。


 ■御遠忌記念事業追加工事

  記念事業の追加工事・鐘楼の屋根葺き替え工事が進められています。先ずは、屋根瓦を外し赤土を下

ろし、杉皮を捲りました。

 次に、野地板を張り替え一段落。現在は天井裏の補強工事が進められています。


   

   

 ■御遠忌記念事業計画工事完了

 親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業として計画された工事は全て完了。その中で、鐘楼につ

ては部分補修でOKということでしたが、精査の結果瓦屋根の全面葺き替えが必要ということになり、

補整予算を策定して、10月初旬着工という運びになりました。

 

 一方、法要勤修日まであと半年となりましたので、御遠忌法要をお報せる駒札を立てました。前回

の例に倣って山門前と参道入口に立てました。


   
   
   

   



   

 ■御遠忌記念事業工事 

 親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業として計画された工事の内、最後の取り組みとなったのが
山門の両脇に延びる「築地塀」の建て替え工事。木部の塗装も終え、8月末で完工。正面妻の見つけも
見事。縄勾配の破風板と懸魚、そして山門と同型の鬼瓦。

 一方、鐘楼の修復と塗装も完工。高さ20p、幅12p、長さ350pの欅の(ぬき)4丁を差し替え。
直径30pの丸柱は朽ちた部分を掛け接ぎ。難工事をクリアし、ご覧の出来栄え。全体塗装も完了。




 ■築地塀建て替え工事

 築地建て替え工事は酷暑のなか進められております。屋根葺き工事もほぼ完了。定紋入りの鬼瓦も立派。
あとは破風に懸魚を取り付け、塗装を待つばかり。ちょっと重厚すぎたかな?



 ■築地塀建て替え工事
 
 山門の両脇に延びる「築地塀」の建て替え工事が進んでいます。築地塀(ついじべい)とは?
ネット上の“百科事典”によれば「石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、そこに
練り土を入れて棒でつき固めて作る」塀のこととあります。

 当山の築地塀は、かつては山門の両脇のみならず、山門から西へ境内地の外周に沿って公道並びに
隣地との境界に築造されていました。100メートルに垂んとする総延長。幼いときの記憶を辿れは、
石垣上の高さは約1メートル。文字どおり「土塀」でモルタルやシックいいの化粧塗りもないため大
雨で崩れることも度々。

 その都度補修を繰り返しましたが、最大の崩壊は伊勢湾台風。1959(昭和34)年9月26日最低気圧
895Mb、最大風速75mのかつてない規模の来襲。本堂は大揺れに揺れ、厚さ20p余の南東の壁は吹き
飛ばされ烈風が内陣で吹き荒れ、厚さ20pもある畳が10数b吹き飛ばさて今した。

 一方、境内の樹齢百年余の大銀杏が倒れました。倒れた大銀杏の根っこがトイレと土塀を跳ね上げ
公道へおっぽり出しました。復旧計画を協議する中、この際土塀は廃止してコンクリートの万年塀に
替えようということに。その万年塀も50余年のお役目を終え、御遠忌記念事業の一環として建て替え
ることに。





 ■トイレ建て替え工事
 
 
トイレ建て替え工事はボチボチでんなぁ。旧トイレは楠とともに公道側溝より1メートルほどセット
・バックしたため撤去。新しい?トイレは、通用門と水屋の直近に建立中。

 
ご覧のように、旧山門の骨材と門扉を再利用。





 ■鐘楼修復工事

 鐘楼の修復工事は順調に進行。仮設の足場も取り外され、全貌が明らかになりました。あと残るの
はボルトによる締め付けと塗装。貫4丁が新しいものに取り替えられました。

 丸柱は、東北角と東南角の2本の下部が新しい欅材の柱に切り接ぎ取り替えられました。





 ■鐘楼修復工事

 鐘楼の修復工事は、当初の計画に基づいて進められています。東南角と東北角の欅の丸柱の2本の
修復と柱と柱をつなぐ欅の貫の取替。丸柱については、傷んだ部分を切り接ぎして補修。

 貫の取替については、当初東面の下1本の取替予定でしたが、南・東・北3方の下と東の上1本、合
計4本を取り替えることになりました。

 まだ作業途中ですが、老朽化した部分が真新しくなり、ご覧のように丸柱はつなぎ目が殆ど分から
ないほどに上手に仕上げられています。

 前号掲載の下の写真と今回の写真を before/after で対比して戴くとよく分かるかと思います。





 ■鐘楼修復工事着工

 親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業として、鐘楼の修復工事が計画されています。メイン
の山門建て替え工事も竣工し、東西外周塀工事もほぼ完工。次の焦点は鐘楼修復工事。

 再点検したところ、当初計画の小規模補修ではダメということになり、屋根を全面葺き替えしな
ければいけないとのこと。目下再見積をしていただいておりますが、とりあえず仮設工事を終えま
した。

 この鐘楼はいつ建立されたのか、正確な記録がないためハッキリしませんが、私が古老から聞い
た話を総合すると、多分明治初頭(1870年代)の模様。したがって築後約150年と思われます。

 太平洋戦争中には梵鐘を武器製造のためにと供出し、代替えの重しとして土俵2〜3俵が吊してあ
ったことを思い出します。終戦後、1950(昭和25)年に梵鐘を再鋳。土俵が取り外され、鐘楼は本
来の姿に甦りました。

 一方、幾多の災禍にも遭遇。1945(昭和20)年12月には東南海地震、1946(昭和21)年1月には三
河地震が発生。吊した土俵のお陰で倒壊は免れました。その後も、伊勢湾台風・第2室戸台風といっ
た大災害に逢いながらもよく耐えてくれたと感謝の念一入。

 その間応急修理のみで今日に至っています。今回大修復工事を成し終え、以後100年・200年と
“長生き”して、梵音を世に響かせてくれることを願うや切であります。





 ■トイレ建て替え・外周囲塀工事

 1959(昭和34)年9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって
甚大な被害をもたらした伊勢湾台風。当山にも大きな被害が発生しました。

 本堂は数時間にわたり揺れ続け、壁は抜けガラス戸は壊れ、内陣の畳も吹き飛ばされました。境内
南端の樹齢数百年の銀杏の木が倒れ、根っこが近くにあったトイレを放り上げ、トイレは全壊。

 その後再建されたのが今回の工事着工前まで使用されていたコンクリート・ブロック造のトイレ。
セットバックの関わりもあり、建て替えることに。写真では余りはっきり分からないかと思います
が、骨材は旧山門を再利用。

 下の段はほぼ完成した外囲い。台風の強風が直に襲うところなので、一枚一枚の板の間にスリット
を設け、風圧を逃すような設計。水平の目線では分かりませんが,このアングルからスリットが見
えるかと思います。また、強風対策と木材の腐食防止のために一工夫した基礎。





 ■山門建て替え・外周囲塀工事

 山門建て替え・境内外周塀の整備工事はほぼ順調に進捗しております。山門工事は、木工事・屋
根工事・壁工事・袖塀工事も完了。仕上げの塗装工事も終わり、魚津社寺工務店より2月始めに完工
引き渡しをうけました。

 神谷工務店施工の外周塀の工事も、自宅工場で部材作り作業を進めておられたため、現場は静か
になっていましたが、ここへ来て急ピッチで工事が進んでいます。コンクリートの基礎にしっかり
取り付けた柱の間に囲板を組み付け、ステンレスの屋根を葺き、塀の姿を現し出しました。
 次は塗装工事。本堂の囲板同じ褐色で塗り上げられまし。そして仕上げは、欄間に乳白色のアク
リル板のはめ込み。この作業も手際よく進められ、完工。





 ■山門建て替え工事

 
親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業として、山門建て替え・境内外周塀の整備を企画し、昨
年来工事を進めてまいりました。山門工事は門扉に化粧金具を付け、土間のタタキも工事完了。
東側から臨む破風の曲線も、青空に美しく映えています。外周塀の工事も進捗し、境内西面の
外周塀には腰板が取り付けられました。





 ■山門建て替え工事

 
山門建て替え工事は順調に進捗。扉は未だ取り付けられていませんが、ほぼ全容を現しています。
袖塀の工事も順調で、腰板塀も付きました。





 ■山門建て替え工事

 屋根葺き工事は順調に進み、上左の写真はは10月11日。屋根はほぼ葺き終わった感じ。その
後台風22号が発生。徐々に発達し、沖縄付近を通過する段階では、伊勢湾台風並みとかで警戒
を呼びかけていました。いつもの事ながら、本堂・庫裡・鐘楼の台風対策は済ませたものの、
工事中の山門が心配。しかし、台風22号は予想より東寄りの進路をとったため、被害はゼロで
した。

 上右の写真は10月27日。新築山門の雄姿を見せています。しかし、門扉は未だですし、袖塀
も工事進行中。完工まではまだまだ。

 
下左の写真は、境内敷地の外周を巡らす塀の柱基礎。山門に向かって左(西)側は延長64m、右
(東)側は33m、総延長はなんと97m。それでも境内地全外周の4分の1かな?

 下右の写真は、当山境内地に突き当たる町道の舗装が出来上がり、町道の拡幅工事は完了。側溝
左側の未舗装のところは当山の第二駐車場。こちらもアスファルト舗装をしなくっちゃ。




  山門建て替え工事
 
 
山門建て替え工事は、基礎工事が完了し建前に向けて仮設の足場が組まれました。昔は仮設足場の
柱材は杉丸太か竹材でしたが、今は単管パイプ。踏み板も以前は木製厚板でしたが、現在は鋼鉄かア
ルミのメッシュ型。丸太を縛る手間も番線も不要で作業の進行も速い。

 準備万端調っていよいよ9月13日、「建前」「上棟式」。仏式で執行。本堂・中尊前で住職が読経。
読経中に、参列した建築設計・施工の代表者ならびに当山の責任役員・総代・世話人が焼香。法要
終了後、住職が下掲の「棟札」を参列者にお披露目。この「棟札」は、後日山門の棟木(クレーン
でつり上げ組み付け直前)に取り付けます。

 
上棟式後も、屋根下地・屋根葺き工事と順調に進行。写真左最下段は10月3日撮影の最新画像。な
お、その右の画像は、山門とは全く別途、町道の改修工事。側溝と舗装工事。




  山門建て替え工事

    了願寺山門建て替え工事は、その後順調に進行。骨組みだけになった旧山門は、トイレに再利
 用するため90度回転し南西方向へ10mほど移転し仮設置。

  山門本体の基礎工事着工。先ずは掘削。次に生コンの打設。中左は生コンの打設完了した基礎工
 事。中右は建屋がなくなった山門正面階段。道路より臨む。

  下左は旧山門再利用のトイレ工事。下右は境内西の塀工事の状況。旧コンクリート塀を取り壊し
 たあとにコンクリート基礎が出来上がり。

  下右は、山門西の通用門がら境内西を巡らす塀のコンクリート基礎。戦前は幅員のある土塀でし
 たが、戦後風雨で崩れたため、コンクリートパネル・ブロック塀に建て替え。年代を経て崩壊する
 虞が出たため建て替え。戦後墓地不足になったため土塀の跡も墓地に。したがって余地が少なく難
 工事に(2017.09.01)

 


   山門建て替え工事

    4月9日起工式を執行した了願寺山門建て替え工事は、その後順調に進行。先ずは山門の屋根瓦
 と下地の屋根土下ろし。続いて門の両袖壁と土塀を取り壊し。

  次に工事現場は境内東端の崖っぷちに移動。新設する塀の基礎を築造。併せて正面石段脇の楠と
 ブロック建てのトイレを撤去。そしていよいよ山門の“お引っ越し”。身軽になった山門を軽々と
 持ち上げ西へ10mほど移動。トイレとして再利用。立ち去った山門のあとには4個の礎石。

  正面門前には、1m余セットバックして公道に提供した寺地が舗装も新しくありありと。一方、
 境内の西端では塀の建て替えが始まりました。墓石が境内地ギリギリまで建てられているため難工
 事。西側に隣接する当山の第二駐車場を作業用地として有効活用。

   



   ■山門建て替え起工式

   築270年の了願寺山門建て替えの起工式が執り行われました。2017年4月9日(日)午後2時本堂で
 開式。伽陀、表白に続きお経・仏説阿弥陀経。短念仏、和讃、回向・願以此功徳で勤行締め括り。

  この後現場へ移動して鍬入れ式。最初に住職・本田眞が「鎌」、続いて伊東建築事務所の代表
 が「鋤」、最後に魚津社寺工務店の代表が「鍬」を入れて締めくくりました。
 
  山門建て替えの事業に併せて両袖の土塀と外囲いの建て替えも行うため、そちらの基礎工事の
 方が先行しています。



   ■山門建て替え
 
   了願寺の山門は、寛保年代(AD 1740〜)の建立で、270年余の風雪に耐えてきました。東南海地
 震・三河地震・濃尾地震はいうに及ばず、13号台風・伊勢湾台風・室戸台風・第二室戸台風等々の
 自然の脅威にもめげず。

  当山の七堂伽藍は、会館・書院の鉄筋コンクリート造と法輪閣の鉄骨造とを除いて他は木造。本
 堂は、私の住職代に二度大修復をしました。鐘楼と山門は、震災と台風の後、部分的に修繕。庫裡
 ・書院・玄関・廊下・法輪閣・水屋等は私の代に全て新築。

  鐘楼は、石垣が緩み東側の柱の礎石が沈下して、建屋が少し傾いていたため、石垣を積み直し、
 礎石をかさあげして建て起こししました。今から50年ほど前のこと。

  なぜそんな礎石の沈下が起きたかといえば、その元の元は大東亜(太平洋)戦争。1941(昭和16)年
 12月8日の真珠湾攻撃の宣戦布告で「大東亜戦争」が勃発。それ以後日本では、ポツダム宣言を受
 け入れて無条件降伏するまでは、この戦争を「大東亜戦争」と呼び続けており「太平洋戦争」など
 とは呼んでいませんでした。

  戦後、GHQによりこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止され、代わりに「太平洋戦争」の
 名称を使うように強制されました。

  その大戦末期には、米軍による空爆が激しくなり、各家庭でも防空壕の築造が求めれました。就
 中、高さ数メートルを超える崖のある当山の敷地は、防空壕用地にはうってつけ。高さ1メートル、
 奥行き10メートル余のトンネルができて防空壕が完成。空襲警報のサイレンが鳴ると、近隣の人々
 が防空頭巾を被り、貴重品を手に防空壕へ。当地方には爆弾・焼夷弾が投下されることはありませ
 んでしたので、防空壕に入った私たちはジッと我慢の子。

  翌朝、境内の寺庭に出てみると、紙の燃えかすがいっぱい。何やら大きな文字が。エッ?経文だ。
 間違いなく教典の燃えかす。名古屋のお寺が空襲に遭い教典も焼かれ、その燃えかすが北風に乗っ
 て20qほど飛ばされ、当山境内に着地したのでしょう。

  話が戦争談義に脱線してしまいましたが、要は、七堂伽藍のうち建て替えていない建物二つのう
 ち一つが鐘楼ということ。そしてもう一つが山門。伊勢湾台風の後に、筋交いを入れ、吹き飛ばさ
 れた瓦を補修した程度で、大きな修繕はしていません。よくも270年余、耐えてくれたものです。
 そこで今回、当山第17世本田眞住職発願のもと、総代・世話人はじめ役員各位よりより協議の結果、
 建て替え新築することに。

  2017年4月9日午後2時より起工式を挙行。設計は伊東建築事務所。施工は(株)魚津社寺工務店。


  ■降雪

 
 1月15日南国知多?に雪が降りました。夜中にコトコトと雪風。朝目覚めると雪景色。
 積雪は10pほどかな? 南国知多?としては珍しいこと。でも、10時頃になれば車で走れるよ
 うになりましょう。したがって、我が家にはタイヤ・チェンはありません。



 ■庫裡板塀塗装

  
2013年度本堂の破風でスタートした当山の一連の木部塗装事業は、4年経過し今年度の板塀塗
 装工事で一先ず完了。



 ■除夜・新春初鐘


   当山の鐘楼では、2015(平成27)年12月31日午後11:40〜2016(平成28)年1月1日午前0:40、除夜・新春初鐘
 
訪れた大勢の参拝者が一人一打ずつ、計108打撞鐘

  寺誌によれば、当山の梵鐘は1767(明和4)年に鋳造。爾来176年余、地域にその梵音を響かせて
 きました が、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資源)
 の不足を補うため供出。
  その根拠は、官民所有の金属類の回収を行う目的で、1941(昭和16)年に公布された「金属類回
 収令」。

   しかし、貴重な仏具を献納したにも拘わらず日本は敗戦。戦後3年ほど経てご門徒の皆さんから
 「釣り鐘(梵鐘)を造らなきゃ」というご意見。門徒総代・世話人の方々の声かけが燎原の火の如く
 広がり、遂に念願成就。1950(昭和25)年、堂宇安定のために吊されていた土嚢に代わり、新しい
 梵鐘が掛けられました。

  かくして、1950(昭和25)年10月、梵鐘再鋳事業完遂の報告法要が営まれました。以後緒川の街に
 了願寺の鐘の音が甦えることになりました。新梵鐘は、旧梵鐘に比べて口径・重量ともに大きく、
 音も重厚。しかし、お 骨折り戴いた当時の総代・世話人各位はもう現世にお姿はなく、お浄土
 で鐘の音を耳にしていらっしゃるかも…。

   


 ■12月4〜5日「報恩講」勤修

  2015年12月4日(金)・5日(土)と当山の最大行事「報恩講」を勤修。
  4日の午前は、「東浦同朋会」の総会、午後は報恩講の初逮夜をお勤めしました。法話の講師は、
 西尾市の伊奈祐諦安楽寺住職。
  5日は、報恩講の法要を午前・午後とお勤めしました。午前のお勤めの後、碧南市・専興寺の
 浅野信暁副住職が『御傳鈔』を拝読。午前・午後、法話の講師は、岡崎市の福万寺戸松憲仁住職。

    
親鸞聖人ご一代の事蹟を著した『御傳鈔』の拝読


ユーモアを交えた法話に笑いを交えて聴聞




 ■9月23日「永代経」勤修

  毎年秋のお彼岸のお中日に「永代経」を勤修。

    
講師は名古屋市・晃照寺の八神正信師。


新設の第3駐車場は満車




  ■8月15日に戦後70年「平和の鐘」

    2015年の終戦記念日8月15日の正午、「ひがしうら 九条の会」の皆さんが、了願寺の
 鐘楼で「平和の鐘つき」をしました。今年は戦後70年、格別の思いをこめて…

 
   



  ■庫裡外壁木部塗装工事

  
了願寺庫裡は新築後19年を経過し外壁木部の塗装が劣化。今回西面と北面を再塗装。
 請負業者は新築時と同じ「天狗堂」。工事費は了願寺維持振興会2015年度予算に計上済み。





 ■名古屋教区第二組門徒研修会

   名古屋教区第二組門徒研修会が2014年11月04日了願寺において開催。
 二組内より60名のご門徒が参加。

 
 女性寺族による問題提起  当山第1・第3駐車場とも参会者の車で満車




 ■庫裡外壁木部塗装工事

   了願寺庫裡は新築後18年を経過し外壁木部の塗装が劣化。今回東面と南面を再塗装。
 請負業者は新築時と同じ「天狗堂」。工事費は了願寺維持振興会2014年度予算に計上済み。


 ■了願寺専用第3駐車場開設

 
  当山参道直近の土地については、代金の支払い決済を終え移転登記が2014年1月末日を以て完了。
 早速、駐車場新設工事に取りかかるために見積もり入札を実施。三社による入札の結果、2月11日
 「I建」「M道路」共同体が落札。折しも消費税増税、受注山積みの中2月20日着工。3月18日竣工。

地盤改良工事 盛土・採石敷き工事
基盤整備工事 路面舗装工事
アスファルト舗装工事完工 区画線・車止工事 2.5m×5m18区画・中央通路幅8m
ゆったり広い第3駐車場完成 了願寺専用第3駐車場…南(右)側は前向きで


 ■直近に駐車場用地を取得

   この度、当山参道下端に接する地方道沿いの土地を取得することになりました。
 面積は444.05u(134.56坪)。整備して第3駐車場として活用の予定。

前所有者が倉庫を取り壊す 旧国道沿いの「エディオン」が間近に
取得地の全貌 取得地から当山本堂・鐘楼を臨む



 ■除夜・新春初鐘

 2013年12月31日〜2014年1月1日 大勢の参拝者が訪れ、除夜・新春初鐘




 ■9月23日「永代経」勤修

 毎年秋のお彼岸のお中日に「永代経」を勤修。講師は名古屋市の晃照寺の八神正信師。

 


 ■8月15日に「平和の鐘」

    2013年の終戦記念日8月15日の正午、「ひがしうら 九条の会」が了願寺の鐘楼で恒例
 「平和の鐘つき」をしました。

 

   

 ■本堂南破風&浜縁欄干の塗装工事完了
   
  了願寺維持振興会2013年度の営繕事業として計画された、本堂南破風及び浜縁欄干の
 塗装工事が完了しました。

塗装作業の前に足場工事が大変 破風の塗装が剥げて木地が見えます
破風の塗装が完了してドッシリと 浜縁・欄干の塗装も完了

  

 

 当山門徒・永井家一族始祖の展示

  当山の400年来の門徒「尾張大江永井一統」の初代・永井正直(1676年没)はじめ、
 ご一統の墓30余基が当山本堂裏の墓地に建っています。その正直の父・永井直勝とその
 一族の展示が、碧南市藤井達吉現代美術館で2013年1月14日まで開催されています。

  

  

 ■連続50ヵ年経常費御依頼額完納寺院表彰を受章

  「連続50ヵ年 経常費御依頼額完納寺院 表彰状及び記念衣体贈呈式」の招待状を拝受し
 ましたので、2011年10月14日(金)京都の本山・東本願寺へ赴き列席させていただきま
 した。式典には北海道から九州まで、全国から140ヵ寺約300名が参列。当日はどんより
 曇った重い空でしたが、本山到着時には傘不要でした。

本山・東本願寺の御影堂の中心親鸞聖人像前で式典
勤行の後参務の法話を拝聴 記念畳袈裟




 ■本山の親鸞聖人七百五十回忌御遠忌法要に参拝

   本山・東本願寺では、親鸞聖人の七百五十回忌御遠忌法要が2011年3月・4月・5月のそれ
 ぞれ19日〜28日の日程で、合計30日間に亘って厳修されました。当山も名古屋教区第二組
 の団体参拝に組み入れていただき、バス1台で40名が御遠忌法要に参拝しました。

上洛途中宇治の平等院に参拝  鳳凰堂(国宝) 鳳凰堂の池に咲く睡蓮
東本願寺御影堂前(左奥は工事用仮屋に覆われた阿弥陀堂) 記念撮影(クリックすると拡大写真が見られます)

 

  

 了願寺住職 自著第三作を出版
 
  
本田眞哉了願寺住職は、在任五十年・旭日双光章受章を記念して、自著『蘂(ずい)』を
 上梓しました。四六判246ページで一部写真入りで2011年10月20日発行。版元は京都の
 法蔵館。1996年出版の『葩(はなびら)』、そして1999年の『萼(うてな)』に続く第三作。

  

  

  

 ■了願寺墓地に鳥の糞除けシェルター設置
  
  了願寺の西部墓地の中ほどに、東浦町から保存樹に指定されているイブキの木があります。
 木の実をついばむのか、椋鳥が大量に群がります。実を食べながら糞を落とすため、近くに
 建つ墓石が糞だらけ。墓石の主から何とかして欲しい、との要望が出ました。いろいろ思案
 を巡らしましたが、なかなかよい方法が見つかりません。次善の策になるかも知れませんが、
 墓石の上にシェルターを設けることにしました。

   

 


 ■住職春の叙勲で「旭日雙光章」を受章

  
当山了願寺の本田眞哉住職は平成22年春の叙勲で、旭日雙光章を受章の栄に浴しました。
 去る5月11日、国立劇場において勲章・勲記の伝達を受け、引き続き皇居に参内し天皇陛下
 に拝謁 の栄を賜りました。住職は、地元東浦町の教育委員を28年間勤め、その間委員長
 を数回、知多地 域5市5町の教育委員会連合会の会長にも就任し、地方教育行政に貢献し
 た功労で勲章がいただけました。今後はこの栄誉に恥じないよう一層精進する所存でござ
 います。変わらぬご厚誼のほどよろしくお願い申し上げます

挨拶に立つ川端達夫文部科学大臣
旭日雙光章勲記 旭日雙光章


 

 
「住職在任五十年記念畳袈裟贈呈式」に出席

  
当山了願寺の第16世・本田眞哉住職は、昭和35年11月住職に就任以来50年を迎えました。
 真宗大谷派宗務所より招請があり、去る4月1日本山・東本願寺で執り行われた見出しの式
 典に出席しました。全国各地から42名の住職が出席。新装成った「御影堂」において宗務
 総長より記念畳袈裟を受領しました。
  その後「阿弥陀堂」で厳修された師徳奉讃法要に参拝。法要後「大寝殿」で会食があり
 精進料理を頂戴しました。

    住職夫妻(大寝殿にて) 記念畳袈裟
  


 
「新春初鐘」

  当山恒例の「新春初鐘」撞きを、2009年大晦日から2010年元旦にかけて行いました。
 寒さが格別厳しい中副住職指導のもと、ご門徒や地域の方々130余名が梵鐘を打ち鳴らし
 ました。
  一方、本堂では住職が「修正会(しゅしょうえ)」のお勤めを勤修。初鐘を撞き終わ
 った方々が三々五々本堂に参拝しておられました。

  

  

  

 ■境内の樹木3本東浦町より「保存樹」の指定を受ける

  このたび下記樹木が東浦町より「保存樹」の指定を受けました。大切に保存したいと思います。

本堂の後の墓地に立つ「いぶき」 本堂の正面に立つ「楠」

 



 ■前住職次男が愛知県立芸術大学教授に昇任

 
当山前住職の次男で Design Studio CRAC を主宰する
工業デザイナーの本田 敬が
2015年4月1日付で

 
愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸科デザイン専攻の准教授に就任
 
 2022年4月1日付で同専攻の教授を拝命




 ■前住職次男(工業デザイナー)のデザイン事務所

Design Studio CRAC 本田 敬

〒465-0026
名古屋市名東区藤森1-162  Asahino 上社 100号
>>>Yahoo!地図で場所を確認する

Tel/Fax 052-771-3690
E-mail:info@designstudiocrac.com
http://www.designstudiocrac.com




  

  

  

  ■前住職次男が新しいタイプの仏壇を開発