研修紀行 Ⅸ

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アジア文化交流センター08夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅲ

  
パリの中心地で日本の古民家と出会い

        ベルギー・オランダの文化遺産を訪ねて⑦   

  
    
 

●小便小僧と小便少女

次なる目当ては、ご存じ「小便小僧」。ブリュッセルに来て小便小僧を見ずに帰るわけには参りますまい。1619年にフラマン人彫刻家ジェローム・デュケノワにより制作されました。現在設置されている像はレプリカであり、オリジナルの像は1960年代に紛失したそうです。「世界三大がっかり」というのがあるそうですが、小便小僧はその一つといわれているとか。どうして「がっかり」なのかといえば、世界的な知名度に比してこの像が小さい(身長56cm)からとのこと。因みに、世界三大がっかりとは、シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚姫の像、そしてブリュッセルの小便小僧。

大きい、小さいはともかく、今回お会いした小便小僧(マネケン・ピス)は着衣姿でした。ズボンをはき、上着は重ね着で頭には分厚い布の白い帽子。その帽子と立てた襟の間に黒い顔が半分ほど見えるだけで表情も目線もはっきりせずがっかり。添えたお手手も軽く突き出した膝っ小僧も見えません。しかもおシッコの一部が服をつたって足下にしずくとなって垂れています。今回初めて小便小僧と対面された方は、あのかわいらしい裸の小便小僧の全体像を把握できなかったことでしょう。

ところで、このマネケン・ピス君、世界各国から衣装をプレゼントされていて「世界一の衣装もち」といわれています。彼に最初に衣装を贈ったのはルイ15世だそうです。酔っ払ったフランス兵がマネケン・ピス君を連れ去ったことへのお詫びとして、上等の衣装を贈ったとか。ルイ15世もなかなかおつなことをしたものですね。日本からも、桃太郎さん(犬、雉、猿つき)等の衣装が贈られたそうです。その数多の衣装がグラン・プラスの「王の家」に展示されているそうですが、時間の関係で今回見ることができませんでした。

私の小便小僧との初対面は今から約30年前。古い記憶をたどってみますと、当時はあの道路がホコテンになっていなかったのか、あの狭い交差点を専用バスで通りました。2月末の極寒の日であったためか、バスからは降りず確か車窓から小便小僧を眺めた覚えです。その時の小僧は着衣が無く、つるつるした肌のかわいい裸ん坊でした。

日本にも小便小僧が…というような報道があったことを思い出し、ウェブで検索してみました。あるある、浜松町にも徳島にも六甲山にも、また世界各地にもゴマン(チト大げさかな?)とあるようです。一方、ウェブ検索中に意外な新発見がありました。それは「小便少女(ジャンネケ・ピス)」。1987年にドゥブリエという人が小便小僧のパロディとして制作したとのことですが、「リアルすぎて笑えない」との評価も。小便小僧とはグラン・プラスを挟んで反対側にあるそうです。この情報が出発前に分かっていたら小便少女に会いに行ったのに。

●「世界で最も美しい広場」グラン・プラス

小便小僧談義が長くなってしまい失礼。ワッフルの香りが漂う雑踏の中をすり抜けて、アニー女史ガイディングのもと到着した所は名高き世界遺産「グラン・プラス」。グラン・プラスは市の中心となる広場で、縦110メートル×横68メートルの長方形の大広場。ゴシック様式の壮麗な建物に囲まれていて、中世には馬上槍試合も行われたとか。1695年、ルイ14世率いるフランス軍の砲撃に遭い、広場を取り囲む建物のほぼ全てが破壊されたが、5年後にはもとの姿を取り戻したという。

フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴをして「世界で最も美しい広場」といわしめたとか。市庁舎を中心にギルドハウスが立ち並ぶ眺めは圧巻。 帰国後30年前に訪れた時のアルバムを引っ張り出して見比べてみましたが、市庁舎といいギルドハウスといい、全くといっていいほど変わっていません。強いて相異点を挙げれば、ブラバン公の館の柱の金色部分が鮮やかになっていることぐらい。

市庁舎はブリュッセルを代表する建造物の一つ。15世紀に建てられた後期フランス・ゴシック様式の建物で、中央?の塔の高さは96m。先端の像は、ブリュッセルの守護聖人である大天使ミカエル。一瞥した印象では塔は中央に見えますが、実は中央にはありません。市庁舎は左右非対称性に建てられているのです。また、建物もよくよく見ると右半分と左半分は微妙に違っています。特に2階、3階と屋根のデザインが違っています。建造された時代が左右で違うとか。

市庁舎に向き合って建っているのが王の家。12世紀以降木造のパン市場として使われてきた建造物。したがって、オランダ語では「パンの家」と呼ばれていました。17世紀に火災に遭い19世紀後半にネオ・ゴシック様式の石造に改築され、ブラバント公の行政庁が置かれました。そのために人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになったといわれます。現在は市立博物館として利用されています。

グラン・プラス広場を取り囲むようにギルドハウスが建ち並んでいます。文字通りギルド(同業者組合)がそれぞれの特色を生かして建てたハウスがずらり。ギルドハウスには外壁の彫刻にちなんでそれぞれ呼び名が付いています。市庁舎を背にしての左側に建つギルドハウスは「狐」、隣は「角笛」で船員同業組合、「雌狼」の射手同業組合…といった塩梅。

市庁舎の右隣に建つ「星」のギルドハウスは最古のもの。前述王の家の左隣には「鳩」の家と「天使」の館、画家同業組合などが入っていたギルドハウス。フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴが、亡命時代「鳩」の家に逗留したと言われています。また、市庁舎を背にして広場の右側には「ブラバン公の館」。正面に柱が19本あって、歴代ブラバン公爵19人の胸像が一本一本に刻まれているのでその名があるということです。

 《次号へ続く/2009.2.2 本田眞哉・記》


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