研修紀行 Ⅸ

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アジア文化交流センター08夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅲ

  
パリの中心地で日本の古民家と出会い

        ベルギー・オランダの文化遺産を訪ねて⑨   

  
    
 

●あこがれのブルージュでクルージング

午後2時半、ブルージュに到着。バスは通常旧市街地には入れないのですが、ホテル発着の時だけは許されるとのことで、バスはHOTEL DE TUILERIEEN の玄関横付け。あこがれのブルージュの土を踏むことができました。この旅の企画段階で、畑中氏はじめ団員の方々からブルージュを組み込んでほしいとのリクエストが出ていました。いよいよそのブルージュ探訪が実現できることになりました。ブルージュ見学は徒歩で。最小限の身の回り品を携えて吉岡氏のガイディングのもとホテル前から出発。

「ブルージュ」は「橋」という意味で、町を縦横に流れている運河には50以上の橋が架かっているそうです。ホテルの真ん前にも運河がありクルージングの舟が行き交っています。その運河に架かる橋を渡り、修道院の遺跡のそばを通り最初に訪れたのはノートル・ダム寺院。ここにはミケランジェロの作った聖母マリア様があるとか。15世紀、ブルージュのある商人がイタリアを訪れた時にミケランジェロ作の彫刻像を手に入れ、持ち帰ってこの教会に寄付したのだそうです。

「ノートル」は私たち、「ダム」は女性の意。私たちの女性とはマリア様のこと。ノートル・ダム寺院は大きな教会。中へ入るとミサの最中。吉岡氏も声を殺してのガイド。脇の祭壇中央に白い大理石の聖母子像。さ~すがミケランジェロ。素晴らしい彫刻。おだやかで美しく気品溢れる聖母マリアのお顔。幼児イエスの裸体がふくよかに彫られ、実に精緻で感動的。イタリア以外の国でミケランジェロの彫刻を見られるのは非常に珍しいことだそうです。

感動を胸に聖母教会を後にして、次は運河のクルージング。きれいな花が飾られた船着き場で乗船。乗船定員は30名ほどでしょうか、私たちのパーティー23名のところへ外人さんが、否、私たちが外人? とにかく混乗して出発。ガイディング・アナウンスは英語と日本語。船長は一人で船を操縦しながらアナウンス・レコーダーを操作。運河は広いところもあり狭いところもあり、時には対向船待ちありで、船は緩急自在に航行。船の中からの視線ではほとんど見上げる形となり、残念ながら青空は望めませんでしたが、まさに言われるとことの「屋根のない博物館」そのものでした。

運河を進むなか、右に左に中世の景観がそのまま展開し、ビデオカメラを回すのに大忙し。左側を見上げると13世紀に始まったペギン会の建物、現在はベネディクト彼の修道女が住んでいる建物。同じく左側に聖ヨハネ病院、建物の最も古い部分は12世紀からのもので、17世紀の薬局が保存されているとのこと。そして右側に17~18世紀の建物が展開するかと思えば、左側に15世紀グルー・コフン家の館。現在は考古学と応用芸術の博物館になっているとのアナウンス。ブルージュ最古、14世紀に架けられたアーチ型の橋の下をくぐりましたが、ぶつかるはずはないのに思わず頭を下へ。
 

●名物料理ムール貝の白ワイン蒸しは最高!

40分余の運河クルージングの後は再び徒歩見学。最初はペギン会修道院。戦争で夫を亡くした未亡人(死語かな?)が修道女になって暮らしているところ。ただ、現在は修道女が少なくなって、新人募集中とか。次に訪れたのはバシリク礼拝堂。ギリシャの司教バシリクをたたえて12世紀に建てられたロマネスク様式の教会。この教会で大事にされているもの、それはペリカンの彫刻。自分の子どもに血を分け与える情景の彫刻。キリストが十字架に架けられ、その血でもって人類を救うという故事と同じ扱いにされているとか。

最後に足を運んだのはマルクト広場。マーケット広場。ヨーロッパの都市ではだいたいどこでも町の中心にこうしたたぐいの広場があります。この広場もその一つで県庁と鐘楼が対峙して建っています。鐘楼はこの町のシンボルで独特の建築様式。下部が方形上部は八角形の塔で優美な姿を誇っています。のみならず、鐘の音がこれまた優美。

時計の文字盤の上の塔屋に設けられている仕掛けは、ドレミファソラシドの音階を構成する47個のカリヨンがぶら下がっていて、オルゴールと同じ原理で自動演奏されるとのこと。15分間隔で妙なるメロディーを町中に響かせていました。15世紀に完成したこの鐘楼、83mの位置まで登ることができるとのこと。ただし、エレベータもエスカレータも無いので、お望みのムキは自分の足で365段の階段を登ってどうぞ…。

そうそう、書き落としてはいけない一件がありました。それは前述した公用語の関連。マルクト広場の中心に、1702年の言語戦争で勝利した2人の英雄の銅像が建っています。フランス語を話す人たちとオランダ語を話す人たちとの間の内戦。当時この地方でも、フランス語を話す支配階級の人が多かったのに対してオランダ語の一般市民が抵抗して戦い、ピーター・デ・コーニングとヤン・ブレーデルの2人がオランダ語側を勝利に導き、英雄として称えられているということです。

ブルージュの見学は実に見応えのあるものでした。充実した研修ができました。夕刻ホテルに帰着後小休止してレストランへ。この夕食がまた満足度120%。圧巻はご当地名物料理ムール貝の白ワイン蒸し。直径、深さとも20㎝超はあろうかと思われるホーロー鍋にムール貝が山盛り。貝殻で貝の身をすくって…とかいう食べ方の作法があるやに聞きましたが、そんなことはお構いなし、素手で次から次へ貝の身を口へ。

 食べても、食べても殻は増えるけれど貝は減ってゆかない、という感じ。もちろん味は最高。ベルギー特産のビールを飲むのも忘れ、みんな口も利かずにムール貝一直線。「後期高齢者」の団員も数名いらっしゃいましたが、皆さんペロッ。大変中身の濃い夕食でした。満腹感とほろ酔い機嫌で、ようやく暗くなったベルージュの街中を散歩しながらホテル・マリオットへ。別に急ぐわけでもないので、ショウ・ウインドウの写真を撮りながら…。

 《次号へ続く/2009.2.2 本田眞哉・記》


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