研修紀行 Ⅸ

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アジア文化交流センター08夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅲ

  
パリの中心地で日本の古民家と出会い

        ベルギー・オランダの文化遺産を訪ねて⑫   

  
    
 

●炎の画家ゴッホの美術館

ゴッホ美術館は現代建築の「箱」といった感じで、側壁の高いところに「VAN GOGH MUSEUM」の文字。木立の向こうに垣間見える円盤を乗せたような建物は、日本の黒川紀章氏の設計による新館のようです。何だこりゃ? エントランスのドアの近くから階段を下りて歩道まで長蛇の列。この列の最後に並ぶとしたら、入館は12時過ぎになってしまうんじゃないかと思いきや、行列の脇を通ってダイレクトに入館。ガイド女史がアポを取ってあったらしい。

館内2階(館内表示は1)には、ゴッホが描いた油彩画が年代順に展示されていました。ゴッホは1853年ベルギーで生まれ、188027歳の時に画家になることを決意し翌年オランダに移住。義理の従兄アントン・マウフェに絵を習い、その後ミレーにあこがれ、黙々と労働に従事する人たちを描こうとしました。このころの作品は重苦しく暗いもので、代表する絵は「ジャガイモを食べる人たち」。

パリ時代になってゴッホは印象派の光の描写、点描的な技法を習得して彼の絵はどんどん明るく変わっていきました。パリの2年間に27点もの自画像を制作したといわれます。モデル代が無かったのかな? いや、色や技法を変えて自画像を描き実験したのでしょう。パリの喧噪に疲れて、ゴッホは1888年に南フランスのアルルへ移住。要請を受けてやってきたゴーギャンと一緒に住むことになりましたが軋轢が生じ、ゴッホがカミソリを持ってゴーギャンに襲いかかり、挙げ句の果てに自分の耳の一部を切り落とすという事件が発生。

1889年、ゴッホはサン・レミの療養院に入院。この地で糸杉やオリーブ園の風景画を制作。1890年療養院を出てオーヴェル・シュル・オワーズに移住。田園風景の新しい環境が気に入ったらしく多くの油彩画やスケッチを描きました。その代表作が「カラスの群れ飛ぶ麦畑」。しかし、ゴッホは1890729日ピストルで自死。

館内にはこうした年代順にゴッホの絵が展示されていました。年代をつぶさに見てみると、これらの作品全部がわずか10年間に制作されているのです。驚きですね。ゴッホは自画像とひまわりを数多く描いています。そうそう、日本の安田火災が53億円で「ひまわり」を購入したということで物議を醸したことがありましたっけ。

ゴッホ美術館を後にしてバスは旧市街へ。午後1時頃レストランDe Nissen に到着。お腹の虫がグー。室内はあまり広くありませんが、古いオランダの雰囲気たっぷり。荒削りの褐色の梁や柱に白塗りの壁がマッチしたカントリー風。白壁には時代物の農具や工具が掛けられていました。料理もオランダの14世紀末からの名物伝統料理。青豆のスープとHaring(ニシン)。保存用に塩漬けした生ニシンを塩抜きしたものとかいわれますが、骨や頭を取り除いて煮たのか薫製にしたのかよく分かりませんが、とにかく美味しかった印象です。

  

マヘレの跳ね橋は旅の大団円

 旅の最後はダイアモンド工場とマヘレの跳ね橋。ダイアモンド工場は、加工工程見学と即売という定番。日本人女性社員が立て板に水のごとく(古い表現で恐縮)、ピンセットでつまみ上げながら次から次へとダイアモンドについて解説。1.16カラットのダイアモンドも見せていただきました。一同「ホーッ」と驚きとため息。団員の中には買われた方もありました。1.16カラットのダイアモンドだったかどうか定かではありませんが…。私には無縁の話、夢の世界。

 一方、マヘレの跳ね橋は現実の世界。17世紀に建造された木製の橋でアムステルダム名物の一つ。現在の木造の橋は20世紀になってから改装されたものとか。アムステル川に架かる橋で、アムステルダムで最も有名な橋の一つ。船が下を通る時に橋が真ん中から二つに分かれて持ち上がる仕組み。1994年に取り付けられた電動装置により、現在は20分おきに橋の開閉が行われているそうですが、私たちが見ている間には開閉はありませんでした。時間の関係か橋の直近まで行けず、400m上流に架かるSARPHATI 通りの橋の上からの見学。

したがって、最後の記念撮影も橋の欄干に沿って横に並び、中央の数名が腰を下ろして、その空間に跳ね橋が収まるようにして、はいチーズ! ところが、カメラ位置は通りを隔てた反対側。自転車が通ったり車が通ったりしてタイミングが難しく、シャッター・マンの三和田君嘆くことしきり。その様子を笑いながらカメラに収めていた現地の人もいました。数枚の内1枚だけが合格写真。めでたし、めでたし。かくして、わがアジア文化交流センターの’08夏の研修旅行は大団円を迎えることができました。有り難うございました。




 《完/2009.6.2 本田眞哉・記》


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