●ヴィリニュスで杉原記念碑に出会う
8月24日月曜日。リトアニアはヴィリニュスの朝。昨夜寝つきはよかったものの、時差の関係か午前1時ごろ眼がパッチリ。その後また寝たようです。朝、団員全員が元気に顔合わせできて一安心。宿泊ホテルNOVOTEL VILNIUSUの玄関の回転ドアから外に出ると、ブルッ、寒い!朝霧なのか薄曇りなのか、陽射しはありません。現地の人たちはコートを着て足早にご出勤。
専用バスは午前9時ホテルの前をスタート。最初の訪問先は杉原千畝氏の記念碑とのこと。ホテルから市街地を2㎞ほど走ったところに記念碑はありました。市内を流れるネリス川右岸の小公園に到着。背後にはホテルらしきガラス張りのビルがあり、少し離れたところには高層ビルが聳えていました。小公園のなだらかな芝生のスロープにモニュメントは建っていました。今から8年前の2001年に建立され、周辺には日本の象徴桜の木が植樹されました。ガイド嬢によれば、そのオープニングには杉原幸子夫人も臨席されたとのこと。
モニュメントは、幅約2m、高さ2m余、奥行き1mほどの大きさ。横短径70㎝、縦長径約100㎝ほどの、楕円形の杉原氏のブロンズのレリーフが御影石の碑面にはめ込まれていました。一瞥して杉原氏と分かる領事代理時代のポートレート。その横には早稲田大学名の銘板。どうして早稲田大学なのかと思ったら、板面には「…早稲田大学在学中の1919年に日本国外務省の留学試験に合格してハルピン学院に学び、その後外交官になった」と記されていました。なるほど。そして、杉原氏の第二次世界大戦時における輝かしい人道的行為を称える文言が刻銘されていました。加えて、その下には杉原領事代理がユダヤ人に発給した直筆のビザをコピーしたプレートが埋め込まれていました。
杉原千畝氏ゆかりの地を訪ねるという、今回の研修旅行のメイン・テーマに関わるポイントに早くも出会えることになって感激。というのは、杉原氏関連の「遺跡」は日本領事館のあったカウナスだけだ、と私は考えていたからです。私の勉強不足。6,000人の命のビザ関連のポイントをヴィリニュスで探そうともしなかったし、このモニュメントに関する情報もつかんでいなかったのです。ともあれ、現地エイジェントの配慮で予定外の収穫に出会えました。
そうそう、天皇・皇后両陛下もリトアニアを訪問されたことがありましたっけ。WEBで検索してみましたら、リトアニアの公式ページに掲載されていました。それによりますと、2007年5月26日、両陛下がアンタカルニス墓地を訪れられたことについての記述の後に、「両陛下は『6000人の命のビザ』で知られる杉原千畝氏の記念碑に立ち寄られ、碑に埋め込まれたビザのプレートなどを間近で熱心にながめられていました」と報じています。
一方、中国の人民日報のHPには朝日新聞の記事が掲載されていました。「天皇、皇后両陛下は26日、リトアニアに入り、第二次世界大戦中にナチス・ドイツから迫害された多くのユダヤ人を救った外交官、故・杉原千畝氏の記念碑に立ち寄った。同国には杉原氏の記念館や名を冠した通りがある。遺族は『両陛下のご訪問で、杉原の人道的行為が改めて報われた思い。本人もきっと喜んでいると思います』と話している」。
●ペテロ・パウロ教会とケディミナス城と大聖堂
杉原千畝氏のモニュメントをカメラにおさめ、満足。専用バスはネリス川の右岸道路を10分ほど走ったでしょうか、ペテロ・パウロ教会に到着。旧市街から少し離れた郊外に建つ教会。17世紀に建てられたこの教会はバロック様式の至宝。教会に入ってまずビックリしたのは、白一色という感じ。天井から柱・壁に至るまですべて漆喰の内装。漆喰彫刻の数は2,000以上あるといわれています。1704年に完成。以前は木造であったとのことですが、モスクワ戦争で消失して再建されたとのこと。
バスは丘の上の高級住宅地を通り抜けゲディミナス城へ。ゲディミナス城は「上の城」と「下の城」があるとのことですが、ケーブル・カーで上の城へ。定員7~8名でしょうか、平行四辺形のミニ・ボックスがロープに引かれて音もなく斜面のレールの上を滑って昇っていきます。2~3分で頂上駅に到着。
駅舎を出ると目の前に聳える八角形の塔。赤茶色で三段構えのユニークな形の塔。鎧を着けたオオカミが丘の上で吼えている夢を見たケディミナス大公が、神のお告げを受けてここに築いたのがこのお城。この塔は13世紀に築かれた「上の城」の一部。塔には登りませんでしたが、丘の上からの眺望も超一級。
“下山”もケーブル・カーで楽々。この先はバスを使わず、「ずーっと徒歩で」とガイド嬢。5~6分歩いたでしょうか、「下の城」へ続く広場のミンダウガス王(在位1236~1263)のモニュメントの前へ。ミンダウガス王はリトアニアを統一し、政治的な理由からキリスト教を受け入れ、ローマ法王から王冠を授かりました。しかし1263年ミンダウガス王は暗殺され、初代にして最後の王となりました。
ミンダウガス王のモニュメントに別れを告げ、カテドラル広場へ。目の前に現れたのは大聖堂。正面6本の円柱の上に三角形の切り妻破風を乗せた建築様式からは、教会というより大統領官邸か銀行を思わせる外観。ただ、切り妻の三角形の頂点の屋根の上に、スタニラウス聖人?の彫像が十字架を持って立っているのが見えるので、な~るほどキリスト教会なのだと頷けます。
この大聖堂は、13世紀に十字軍の弾圧から逃れるためにミンダウガス王がキリスト教を受け入れて最初に建てた教会とのこと。その後たびたび火災に遭い、現在の建物は18世紀に大改装されたとか。ヴィリニュスのシンボル。中に入ると意外とシンプル。先に見た聖ペテロ・パウロ教会の内部と比べると、特に身廊は列柱とアーチのみの単純な構造。リトアニア人建築家グツェヴィチュスが設計。ソビエト時代は教会としての機能は停止され、絵画展やオルガンコンサートの会場として利用されたとか。
大聖堂の中には全部で11のチャペルがあるとのこと。中でも一番の見どころは聖カジミエルのチャペルだそうです。バロック様式のこのチャペル、一見したところ祭壇が中国か韓国の密教の仏壇のように見えましたが、私の偏見だったでしょうか。チャペルの中には、かつてリトアニアのパトロンであった聖カジミエルの石棺が安置されているとか。
一種異様な余韻を残して外へ出ると、真っ青な空を背景に巨大な鐘楼が目に入ってきました。てっぺんの十字架を含めると高さは57m。もともとは「下の城」の防御であったので銃眼があります。1522年に鐘楼に改築され、その後もたびたび増改築が行われたとのこと。したがって形状も円柱形の一階の上に八角形の三階部分が乗っかった変則形。階高もまちまち。ユニークな形の鐘楼です。
《次号へ続く/2009.9.4 本田眞哉・記》