研修紀行 Ⅹ

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アジア文化交流センター09夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅳ

  
杉原千畝氏「6000人の命のビザ」ゆかりのバルト三国と
   

              サンクト・ペテルブルグを訪ねて④
    
  

●大聖堂・教会見学の後は名物料理「ツエッペリーナ」

 ヴィリニュスの創始者ケディミナス大公の銅像の下を通って広場を奥へ進むと、大聖堂後方に隣接して王宮が姿を見せます。三角屋根の塔屋を付随した四階建ての瀟洒な建物。この城は、16世紀のジキマンダスⅠ世と、その息子ジキマンタス・アウグストゥスの時代に黄金期を迎えました。ジキマンタスⅠ世の夫人がイタリア人だったこともあり、イタリアの建築家や文化人が多く招聘され、場内ではルネッサンス文化が花開いたといわれます。

 大聖堂と鐘楼を背景に記念集合写真を撮り広場に別れを告げ、次なる目的地へ。大統領官邸の前を通って聖ヨハネ教会に到着。ここの鐘楼も凄い。高さは63m。方形四層の上に中型一層、小型一層が乗っかり計六層となりましょうか。塔があまりに高く、カメラのファインダーの中に取り込むのに一苦労。小ローマと呼ばれ、ユネスコの世界遺産に登録されたヴィリニュスの街、あちらにもこちらにも教会。

 次なる教会は、大天使ミカエル教会。そしてまたすぐ近くに聖アンナ教会。この聖アンナ教会は色も形も今までにない独特の風貌。1500年に完成したゴシック様式の傑作。ビリニュスを訪れたナポレオンがその美しさに惚れ込み、「手のひらにのせて持ち帰りたい」と言ったというエピソードも。33種類もの異なった形のブラウン調の煉瓦を積んで建設されたとのこと。尖塔も素晴らしく比類なき逸品。

 聖アンナ教会を後にしてどちらの方向へ歩いたのか記憶が定かではありませんが、ガイド嬢は何か洞窟の入り口かと思われるところへ私たちを案内しました。暗い室内のガラスケースの中でライトに照らされて琥珀色に輝く物体。何だろうと近づけば、そうズバリ、アンバーそのもの。展示を見た後は“定番”売店へどうぞ…。しかし、わがパーティーの面々あまり購買欲はなかったようです。

 ぼつぼつおなかの虫が…、と思っていましたら、タイミングよくレストランへごあんな~い。レストランは、それほど広くない下町風の石畳の通り(pilies通り?)にありました。リトアニアの名物料理といいましょうか、郷土料理といいましょうか、有名なのは「ツエッペリーナ」。外観はラグビー・ボールをひしゃげたような形。飛行船の「ツエッペリン号」からのネーミングのようです。

メイン・ヂィッシュのツエッペリーナは、皮はじゃがいもを主体にして、つなぎに小麦粉とスターチ(片栗粉)を加え、牛乳で練って作ります。中身は挽き肉、たまねぎ、ベーコンなど。見たところは、厚皮のジャンボ茹でギョウザといった感じ。お味は?となれば、挽き肉がたくさん入ったコロッケを油で揚げず茹でた感じといったらよろしいか…。この説明からはヘビーな味を想像されるかも知れませんが、それほどでもなく、盛り合わせのソースと併せていただくと、私たちシニア世代にも抵抗感なくいただけて美味。
 
 

●北川剛一氏のモニュメントを観てカウナスへ

 昼食後直ちにカウナスに向かうものと思いきや、訪れるポイントがもう一つあるとガイド嬢。とある小公園らしきところへ到着。その場所はどこか、現地で説明があったのに私は聞き漏らしたようで、帰国後WEBで調べてみました。大聖堂から南南西に2㎞ほどのNAUGARDUKO通りにあるVILNA GAON JEWISH STATE MUSEUM(ヴィルナガオンユダヤ人州立博物館)のようです。

そこには石でできたモニュメントが展示されていました。高さは台座を含めて約2m、幅も約2m、奥行きは1mほど。全体の形は、直線で切り取られた人型が、両手を広げて舟形の自然石を頭の上に持ち上げているような構図といったらよろしいか。ステンレスの銘板には英文で次のように記されていました。

「LET THE MOONLIGHT GLANCE TO THE NOBLE MAN CONSUL OF JAPAN IN LITHANIA CHIJUNE SUGIHARA WHO IN 1940 ISSUED 2139 VISAS TO JEWISH WAR REFUGEES END THUS SAVED THOUSAND OF LIFES」。そしてその下には「AUTHERS:GOICHI KITOGAVA AND VILADAS VILDZIUNAS 1992」と制作者の名前。

刻銘作者は日本人の北川剛一氏と現地の人と思われるもう一人。「北川:KITAGAWA」は、現地人のヒアリングと発音では「KITOGAVA」となるようです。北川剛一氏は名古屋女子大学短期大学部の教授。古い呼び方をすれば「彫刻家」でしょうが、今流に言えば「立体造形家」でしょうか。同大学のHPの「ゼミ紹介」では、「現代人に欠けていると思われる立体的、空間的鑑賞能力・忍耐力を養うことを目的として作品を制作。実在素材を扱うことによってそれらの力を培います。」コメントしていらっしゃいます。

北川先生は1992年にリトアニア国文化教育省よりVILNIUS芸術学院の客員教授として招請されました。この作品はその在任中にリトアニア国の要請を受けて制作したもので、題名は「月の光よ永遠に」。銘板にもありますように、1940年に2139人のビザをユダヤ難民に発給し、結果的には数千人の命を救った杉原千畝氏の業績を称える作品なのです。月の光が、その業績を永遠に称えて照らし続けるようにとの願いが込められているのでしょう。人が支えている舟形の半自然石は月を表し、そして月の光が杉原氏の功績を永遠に照らし出すことを願っているのかな、というのが私の勝手な解釈。

首都ビリニュスを後にして、専用バスはリトアニア第2の都市カウナスに向けてひた走ります。高速道路はかなり整備されており、日本のそれとほぼ同程度。スピードは時速80㎞~100㎞。まあ、安全運転。1時間あまり走ったでしょうか、バスはハイ・ウエイから下道へ。急に狭い田舎道へと進みます。聞けば、第9要塞の博物館へ行くとのこと。

駐車場から少し歩き出すと、左手の丘の上に巨大な造形物が見えてきました。ややや、何だろう。思わずカメラを向けて続けざまにシャッターを切りました。訪ねようにも、ガイド嬢はスタスタと先に歩いて行き遙か彼方。ようやくその造形物と同じ地平に立って説明を聞くことができました。1984年にリトアニア人によって建てられたとのこと。高さは最後部で33m。とすると、横幅はその2倍はありますから、おそらく70mに垂んとしていましょう。作者はA.Ambraziunas。

《次号へ続く/2009.9.4 本田眞哉・記》


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