●72mの高さからリガ市街展望
リガ市街地探訪、まずはブラック・ヘッドのギルド。リガ市庁舎広場に面して建つ、赤白色彩の実に鮮やかなユニークな形の建物。正面上部には大時計。その下の壁面にはハンザ都市4市の紋章とギリシャ神話の神々4体の彫像。この建物も第二次世界大戦で破壊されましたが、2001年の建国800年祭を迎えるに当たって再建されたとのこと。正面上部青色の帯の部分には、「ANNO 1334 RENOV ANNO 1999」と記されていました。
ギルドから200mほど歩いたでしょうか、聖ペテロ教会に到着。塔の高さは123m。1209年カソリック教会として建てられ、後にルーテル派教会になりました。木製の塔は何度も倒壊したり、火災にあったりしましたが、その都度再建されてきたとのこと。ステア・ケースには、第二次世界大戦中の1941年6月に戦火で焼け落ちる塔の写真が展示されていました。現在の塔は第二次世界大戦後の1973年に再建されたもの。
72mの高さに展望台があるとのことで登ってみました。3階分ほどでしょうか階段を上ってエレベータ乗り場へ。大型エレベータは3~4分で展望台に到着。360度ぐるりと展望できます。すばらしい展望。北側を見れば、赤い屋根にクリーム色や白色の壁の建物とふさふさと茂る緑。おとぎの国のような風景。東側にはリガ大聖堂の鐘楼と満々と水をたたえるダウガヴァ川、そしてその川をまたぐ斜張橋の風景が展開。南側はと見れば、手前にかまぼこ屋根の中央市場とダウガヴァ川、そして彼方に高さ300mのテレビ塔。中ほどに見えるスターリン様式の建築物は科学アカデミー。
よく晴れて見通しのよいのを幸いに、かなりの枚数の写真とビデオを撮ることができ満足。エレベータで再び地上の人となり大聖堂へ向かいます。リガ大聖堂はバルト最大の祭壇を有し、6768本のパイプを持つ、これまたバルト三国最大のパイプオルガンを備えた教会で、ステンド・グラスが素晴らしいことでも有名。また、建築様式もロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、アール・ヌーボー様式が混在するという、度重なる立て直しの歴史を刻んだ大聖堂でもあります。
重厚な印象の大聖堂を後にして、徒歩見学を続行。見学順にそのポイントを列挙してみますと凡そ次のようになります。リガ城→三人兄弟→スウェーデン門・城壁→火薬庫→ネコの家。いずれも中に入ってつぶさに見学したわけではなく、ほぼ外観を見てガイド嬢の説明を聞くといった塩梅。
このうち興味ありそうなポイントを2~3ピック・アップして略記してみましょう。まずリガ城。13世紀にリヴォニア騎士団が市民に建てさせた城。以降時代の支配者が移り住み、今はラトビア大統領官邸。次に三兄弟の家。リガ最古の三軒の住宅。三軒が肩を寄せあうように建っています。向かって右から長男、次男、三男の順。窓税がなくなった次男以降は、建物比率で見ると大きな窓になっています。最後にネコの家。かつて、ここの住人だったラトビア商人がギルドのメンバーにしてほしいと頼んだが拒否され、怒った商人は猫のお尻をブラック・ヘッドのギルドに向けたといわれます。猫がギルドに顔を向けるようになったのは、商人がギルドへ加入を認められた時だそうです。
歩きましたね。距離にすれば3kmほどかもしれませんが、立ち止まって説明を聞き、カメラのシャッター・ボタンを押しVTRを撮っているとかなり疲れます。ネコの家からリープ広場を通ってメイン・ストリートへ。迎えのバスにピック・アップしてもらい、夕6時ダウガヴァ過半に建つ宿泊ホテル「ラディソンSAS」にチェック・イン。
ホテルから対岸の旧市街を望む景観は素晴らしい。川面を隔てて、右から聖ヨハネ協会の尖塔、市庁舎の塔、大聖堂の塔、聖ヤコブ教会の塔、英国教会の塔、聖母受難教会の塔、マリア・マグダレナ教会の塔が順々に並び、夕陽に映えていました。
●片側1.5車線の高速?道路でエストニアへ
8月26日水曜日、快晴。きょうはエストニアのタリンまで約6時間の長距離ドライブとなるため、朝7時30分ホテルを出発。直行と思いきや、ここリガの中央市場に立ち寄るとのこと。中央市場はホテルから川を越えて500mほどのところに位置していますが、一方通行や左折禁止の道路が多いため意外と時間がかかりました。市場の建物は大きなカマボコ型で4棟。ドイツ占領時代はツェッペリン飛行船の格納庫だったとのこと。1930年に市場に転用。
中に入ると、広い! そして明るい。棟によって扱う商品が違うようですが、私たちが案内されたのは食品関係の売り場。朝の市はピークを過ぎ、終わりに近づいていたのでしょうか、買い物客は、私たちの外にはほとんど見受けられずガラガラ。扱い品目は、ピーマン、ナス、キウリ、ニンニク、キャベツ、リンゴ、オレンジ、トマト、ブロッコリー、そして調味料、酒、香辛料、乾物、穀類、パン等々。他の棟では肉類や魚類を扱っているのでしょう。いずれにしても感心したのは、日本の市場などと比べて内部が非常にキレイなこと。ものがよく整頓されていて、匂いがないこと。
バスはリガ市内を抜けて、エストニアはタリンに向けて310km、郊外の道をひた走ります。道路規格は高速道路ではないようで、中央分離帯はありません。直線部分では、右端がガード・レール、その内側に幅1m余の未舗装の路肩、そして舗装路面という構造で、舗装路面には3本の破線が描かれています。が、その配置と実際の走行方法が日本と違ってユニーク。外側線は路面端より半車線分中央よりに白い破線で描かれています。センター・ラインも同じく白い破線。通常走行の場合は、外則線をまたいで、外側線が車両中央に位置するようハンドルを保持して走行。その車を追い越す場合は、センター・ラインから対向車線側に車体をはみ出して追い越し。非常にコワーイ感じ。因みに、わがバスのスピード・メーターは90~100km/hを指しています。いってみれば、舗装路面片側1.5車線の対面型高速道路ということになりましょうか。
リガの中央市場を出てから約2時間、リトアニアとの国境に到着。国境検問所にはスーパー・マーケット。みんな和らいだ気分でお買い物。バスへ戻ったところでパスポート・コントロール。背が高く、黄色のベストを身に着けて野球帽を冠った係官、遠目には男性と思いきや、実は女性。忠実に一人ひとりにパスポートの提示を求めてチェック。顔写真と実物の顔に目を走らせる程度で、別にコワイ印象はありませんでしたが、同じEU圏内でリトアニア→ラトビアの時はノー・チェックで、ここだけチェックされるのはどういうわけかという疑問は抱きました。ここは元共産圏、添乗員の三和田君の話では、昔共産圏に入る時のパスポート・チェックでは、銃を持った兵士が立ち会ったりして、非常に厳しかった、そのことを思えば今は楽だ、とのこと。
バルト三国訪問最後の国・エストニアに入国。今回の訪問都市はタリンのみ。エストニアの人口は134万人。人口構成は、エストニア人65%、ロシア人28%、ウクライナ人3%、ベラルーシ人2%、その他2%。最近の歴史を見ると、1918年独立を宣言したものの、その後ナチス・ドイツに占領され、第二次大戦末期にはソ連に再占領され、ソ連崩壊後の1991年にようやく独立を回復。国連にも加盟し、2004年5月にはEUに加盟。
ただ、通貨クローンのユーロ切り替えは2007年の予定が延期されたままになっています。経済状態はバルト三国の中では最も良好。世界文化遺産に指定されたタリン歴史地区を背景に近年観光産業が発展。1年間の観光客は全人口の4倍、500万人を超えるとも。一方、ソ連からの独立後国内に残った、いわゆる残留ロシア人の問題と国境問題を抱えています。また、エストニアは、IT産業が堅調で、オフショア開発の拠点になっていることの裏返しでもないでしょうが、ハッカーが多いことでも有名。
《次号へ続く/2010.4.2 本田眞哉・記》