研修紀行 ⅩⅠ

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アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて①

   
            
    
   

●カステラと鉄砲

 アジア文化交流センターの恒例夏の研修、シリーズ「ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅」も今年で第5回を迎えることになりました。今回は、日本とポルトガルが今年修交150周年を迎えることに因んで、天正少年使節団縁の地を訪ねてポルトガルを訪れることになりました。ポルトガルといえば、我々高齢者の脳裏には、カステラの包装紙に描かれた、だぶだぶズボンに鍔付き帽子を被ったあの絵が浮かんできます。

 日本へ伝来したカステラのルーツは、スペインとポルトガルの両国にあるようです。大航海時代といわれる16世紀に宣教師や貿易商人がポルトガルから渡来し「南蛮菓子」をもたらしました。リスボンから出航しロカ岬を経て大西洋を南下し、アフリカな南端の喜望峰を回り、インドに立ち寄りマラッカ海峡を通り、種子島・長崎に至るという気の遠くなるような船旅。まさに“大航海”。ポルトガルは1143年、カスティーリャ王国から分離独立してポルトガル王国を建国。1415年、エンリケ航海王子の指揮のもと、アフリカ・モロッコを征服し、スペインに先駆けて海外へと進出。その実績を踏まえて、「黄金の国・ジパング」を目指して日本へやってきたのです。

 ポルトガルといえば「鉄砲伝来」。大学入試科目「日本史」での年号記憶術?の一つに「銃後の良さ」があったことを思い出します。そう、初めて日本に鉄砲がもたらされたのは西暦1543(天文12)年。語呂合わせで「ジュウゴノヨサ」となるのです。同年8月25日、大隅国鹿児島県種子島西之浦湾に漂着した一隻の中国船に、ポルトガル人フランシスコ・キリシタダモッタが便乗していました。時の島主種子島時堯は、彼の持っていた鉄砲に着目。金2000両でこれを譲り受け、使用法を教わったといわれます。

 鉄砲の威力を知った時堯は、種子島在住の鍛冶・八板金兵衛清定に命じて早速そのコピーを作らせました。その後、鉄砲作りはまたたくまに全国にひろがり、滋賀県国友や大阪府堺などで大量につくられるように。当時、日本は各地に群雄が割拠する戦国時代。いち早く鉄砲の戦略価値に目をつけた織田信長は1575(天正3)年の長篠の戦いに数百挺の鉄砲隊で武田勝頼の騎馬隊と対峙して圧倒的に勝利。新兵器の出現でこれまでの戦闘方式が一変したことを知った武将たちは鉄砲の調達を急ぎ、国内の鉄砲鍛冶が盛んになったといわれます。

 さて、改めて地図を広げてみますと、ポルトガルはユーラシャ大陸から突き出したイベリア半島の最西端に位置し、ここから大西洋が始まるよと言いたげな崖っぷちの感じ。緯度はといえば、他のヨーロッパ諸国よりかなり低く、日本の本州の南半分とほぼ同じ位置。となると、気温の方も日本より涼しいという状況はあまり期待できないのでは…。昨年のバルト三国、一昨年のフランス・ベルギー・オランダのような涼しさは期待できないようです。

 

●チェック・インは各々で

 2010(平成22)年8月23日月曜日、朝の中部国際空港(セントレア)。3階の国際線出発ターミナルは以外と空いています。早朝出発便が出た後のせいかな? 三和田添乗員始め数名のメンバーがすでに到着していました。ここ2~3年、大きい荷物を航空会社に預けてチケットを出してもらう、いわゆるチェック・インは乗客一人ひとりがしなければならなくなりました。

 私たちが乗るFINNAIRフィンランド・エアラインズのチェック・イン カウンターは3カ所。空いたところへ進むのですが、カウンターによって進み具合に差があってついいらいらしてしまいます。それにも増して不安な気持ちになるのが座席番号のこと。夫婦・友達等の場合、ペアの席が欲しいのは当然のこと。以前はエージェントの担当者が、航空会社からまとめて受け取ったボーディング・パスを、団員名簿を見て配布してくれました。

今は隣り合った席が欲しい場合は、その都度申告しなければなりません。ご存じの通り座席指定はコンピュータで行います。コンピュータはランダムに空席を探し回ります。ペアなりトリプルなり、隣り合わせの席が欲しい場合は「together(一緒に)」と申し出ればよいということですが、申し出てもコンピュータがなかなかいうことを聞いてくれない場合があります。帰国時の空港でのチェック・インの時もそんな感じを受けました。

 リスボン空港のフィン・エアのチェックイン・カウンターは2か所。私たちが並んでいるカウンターより、隣のカウンターの女性オペレータの方が事務処理が迅速。横に並んでいた人が私より二組ほど先に進んでもうボーディング・パスを受け取っています。ヤキモキして添乗員に尋ねてみたら、私たちのカウンターの男性オペレータは、何回も何回もトライして、できるだけ乗客のリクエストに合致したよい席が出るように頑張っているとのこと。なるほど、私たちのペア・シートを取るのに、打ち出されたボーディング・パスを何回も破棄していました。

 話を出発時に戻しましょう。取得できた搭乗券を手に出国審査のカウンターへ。いやいや、その前に手荷物検査。ここ2~3年大変厳しくなった手荷物検査にも大分慣れました。ただ、ベルトをはずすことを忘れていたため、ゲートを通ると「ブーッ」。ボディー・チェックを受けてOK。イミグレでの出国審査も難なくパス。ヤレヤレ。おーっと、両替をしなくっちゃ。両替ブースの前の列に加わり順番を待つこと10分ほど。10万円のキャッシュを出したら、880ユーロと23円が返ってきました。ユーロの単価は113円61銭。昨年は1ユーロ買うのに約130円、一昨年は160円ほどだった記憶です。今年は円高でラッキーでした。

《次号へ続く/2010.9.2 本田眞哉・記


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