研修紀行 ⅩⅠ

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アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて②

   
            

やはりポルトガルは遠いところ

 フィンランド航空AY080便は8月23日(月)午前11時、中部国際空港(セントレア)からヘルシンキへ向けてテイク・オフ。エコノミー・クラスのシートは満席。客室のどん尻、トイレの直近まで全く空席なしの状態。何百席の中にはドタキャンもあっただろうに、よくもまあこれまで完全に埋め尽くせたもだと感心。ここ数年私の経験ではヨーロッパ線はいつもこの状態。「搭乗率が低くて○○航空会社がヨーロッパ線から撤退」などという新聞記事を見たことがありますが信じられません。

 昨年と同じフィン・エア、清潔感あふれる機内と美味しい機内食は変わりがありませんでしたが、提供される飲み物に違いがありました。私はアルコール類に拘りがありませんので記憶が曖昧ですが、何か高級な?アルコール・ドリンクは有料とか。一般的な小瓶のワインやビール、そしてソフト・ドリンクはこれまでどおり無料。格安運賃の航空会社も発足するようですが、そうした会社の路線では食事もドリンクも全て有料になるのかな? と思ったりして…。

 成層圏を飛ぶジェット機は安定飛行。卓上のコップの水もほとんど揺れないし、メモを取る時も少しも気を遣うことなくペンを走らせることができます。ただ、1万メートル以上に立ち上がっている雲の中に機体がつっこんだ場合、機体は大きく揺れます。そうした現象は、レーダーで分かるのか、事前に座席ベルトを締めるようにとのサインが出、パイロットからのアナウンスもあります。もちろんこうした時には、飲み物などを提供している客室乗務員も直ちにサービスを止めてワゴンを所定の位置に固定し自席に戻らなければなりません。5分間隔でこの状態が何回か発生した時には、さすがの客室乗務員も顔をゆがめ、舌打ちしつつワゴンを押していました。

 我が乗機エアバスA330は、セントレアより7,769㎞を一気に飛んで現地時間8月23日13時50分フィンランドはヘルシンキ空港に安着。飛行時間は9時間50分、予定より若干早く到着。早速乗り換えの準備。ヘルシンキ空港はかなり広く乗り換えのためには随分歩かなければなりません。ところが今回は意外と近いゲートからの搭乗と判明。

 ヘルシンキ発リスボン行きのフィン・エアAY3693便はほぼ定刻にテイク・オフ。機材はエアバスA320で、機内は何となく狭苦しい感じ。ポルトガルまでは同じヨーロッパ内なのでそんなに時間は要しないと思っていましたが、所要時間4時間50分は長くかかった感じ。やはりポルトガルは遠いところだなあ、と実感。昨年のバルト三国と比べればヨーロッパ大陸の東西両端に位置するわけで、遠いのは当然。経度で見れば東経140度の日本から西経10度のポルトガルまで、経度150度分、地球全周の半分近くを一っ飛びした訳ですから身体に負担がかかるのは当たり前でしょう。


「テージョ川の公女」ベレンの塔

 2010年8月24日、リスボンはシェラトン・ホテルでお目覚め。身繕いをしてグランド・フロアのレストランへ。海外旅行中、ホテルでの楽しみの一つが朝食。実に豊富な料理の中から、自分の好きなものを好きなだけピック・アップし、ゆったりといただくことができるからです。料理の品数も飲み物もフルーツもパンもケーキも盛り沢山。連泊の場合は、前日の味見を活かしながら料理をチョイスすることもでき、マイ・ペースで過ごせる至福のひとときです。

 満腹のおなかを叩きながら玄関から外へ出てみると、きょうは雲一つない快晴。ホテル前の6車線の大通りでは、通勤の車が猛スピードでぶっ飛ばしています。私たちが乗る貸し切りバスは40名以上が乗れる大型。今回の研修参加者は添乗員を含めて14名。車内は空席の方が多く、ガラガラ。旅行社には悪いけれど我々にとっては楽ちん。バスは午前9時ホテル前を出発。定番・三和田添乗員のあいさつに続いて、現地日本語ガイドの紹介。ガイドはリスボン在住の女性金子さん。ヨーロッパの各国では、雇用対策のためか日本語ガイドの他に現地人ガイドを乗せなければならないことになっているようで、ラケルさんが添乗。

 ホテルを出発して30分も走らないうちに最初の見学地に到着。緑地沿いの幅1メートルほどの歩道を進むと、先着のバスの二人が歩道上でペチャクチャ。これを避けて、歩道外の一段低い土の上に右足を延ばして軸足とし、左足を舗道上へ戻そうとキックしたとたん、ツルッと滑ってすってんころりん。緑地に植えられた木の小さい実の上に乗ったために滑ったようです。その拍子に左足の膝が歩道の石にガチン! イタタタッ! でも瞬間かばったカメラは幸い無事でした。

 びっこを引きながら50メートルほど進むと目の前に小型の複葉機モニュメント。聞けば1922年に初の南太平洋横断を果した飛行機「サンタ・クルーズ」のレプリカとのこと。歩を進めると河岸道路に出ます。川はテージョ川。前方の川の中には四角の白い大理石の塔が見えます。ガイド・ブックで見た世界遺産の塔、そう、ベレンの塔。正式な名称は「サン・ヴィンセンテの砦」とのこと。真っ青な快晴の空と白い塔を背景にして団員一同記念撮影「はい、チ~ズ!」。

 マヌエルⅠ世の命を受けて、1515~1519年にフランシスコ・アルーダによって建てられたという。中には、潮の干満の差を利用した拷問の間もあるとか。旅行好きだった司馬遼太郎は、この塔を「テージョ川の公女」と呼び、「貴婦人がドレスの裾を広げて立つ姿」とその美しさを称えたといわれます。大航海に出かける船乗り達を見送ったベレンの塔。二度と帰ってこないかも知れない海の男を、テージョ川の女達は来る日も来る日もこの塔で待ちわびていたのかも知れません。

《次号へ続く/2010.10.2 本田眞哉・記》



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