研修紀行 ⅩⅠ

     ──
アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて③

   

●紺碧の空に映える「発見のモニュメント」

 ヘレンの塔から1キロメートルほど上流のテージョ河畔に「発見のモニュメント」があります。大航海時代に活躍したカラベラ船をかたどった高さ52メートルの壮大なモニュメント。1960年、エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられたとか。左舷上には、ポルトガルの英雄エンリケ航海王子を先頭に、天文学者・地理学者・航海士・宣教師達の群像彫刻がずらり。後から2人目が宣教師フランシスコ・ザビエルとのこと。

 モニュメントの直近の広場には、大理石のモザイクで描かれたコンパスと世界地図の地上絵がありました。ポルトガル人が発見(到達)した世界各地(各国)の年号が書かれていました。因みに、日本のところには、種子島に鉄砲が伝来した1543年でなく、豊後に漂着したと伝えられる2年前の1541年と刻銘。

 河畔を後にしてバスは丘陵地へと進みます。着いたところはベレン地区のジェロニモス修道院。エンリケ航海王子が船乗り達のために建てた礼拝堂跡に、マヌエル1世がヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え1502年に着工。1511年に回廊など大部分が完成したものの、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどかかったとのこと。その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたといわれています。

 大礼拝堂には、その功績を称えてかヴァスコ・ダ・ガマと詩人カモンエスの石棺がありました。中には今も遺体が安置されているとか。修道院同様この石棺も、海草や船のロープのど海にまつわるものを装飾に多用する「マヌエル様式」でできていました。1584年、日本から渡った「天正遣欧少年使節団」もここを訪れているという記録が残っていますが、小さな島国からやってきた16世紀の少年達はこの素晴らしい建物を前に、どんな感慨を覚えたのでしょう。修道院を後にして、広い道路を横断して振り返って白亜の修道院を見たとき、その壮大さ壮麗さに改めて感動を覚えました。

●ケーブル・カーで“下山”

 バスは大統領官邸や馬車博物館の前を通って市の中心部をドライブ。これから目指すのはサン・ペドロ・デ・アルカンダラ展望台。リスボンには七つの丘があるとのこと。したがって市内には坂道が非常の多い。バスは、廃線になった路面電車のレールの敷かれた坂道を、エンジンをふかせてグングン上っていきます。と、右手に教会。サン・ロケ教会。礼拝堂には素晴らしいモザイクがあるとのことでしたが、時間の関係で立ち寄ることができませんでした。1584年、天正遣欧少年使節団の一行が25日間滞在したとのこと。厳密にいうと、教会の隣にあった修道院での滞在だったとガイド嬢。

 サン・ペドロ・デ・アルカンダラ展望台からの眺望は素晴らしい。空は快晴、透き通った太陽光が燦々と降り注いでいます。眼下にはオレンジ色の屋根また屋根が折り重なり、低層の瀟洒なビル群が展開。遠くには教会の尖塔が聳え、テージョ川の水面がキラキラと光って見えます。パノラマ展望をカメラに収め帰路に着こうとしたところ、添乗員の三和田君から「ケーブル・カーに乗りましょうか」の提案。

 一同「賛成!」。見れば公園敷地に隣接してケーブル・カーの駅?がありました。駅というよりは線路の終点といった感じ。そのレールの上に1輌のケーブル・カーが停まっていました。昔の路面電車を一回り小さくしたような車体。車体の上半分が白色、下半分が黄色で塗装され、横っ腹にcarrisの文字。運行会社の名前でしょうか。

車内の床は水平、レールは20度ほど傾斜しています。このギャップをどのようにしてクリアするかといえば、低い方の車軸の上に幾層かのスプリング等を置いて床面の水平を保っているようです。ケーブル・カーの運行は「釣瓶方式」。丘の上・下にある、それぞれ1輌がほぼ満席になった時点で発車。昔名古屋市電で見たコントローラ。運転手はガリガリガリと回し、これまた懐かしい足踏みのベルを「チンチン」と鳴らしました。中央付近で下から来た1輌とすれ違い間もなく終点。運行時間は全行程3分弱、速度は時速7~8㎞だったでしょうか。

しばらく歩いて回送されていたバスに乗車。リスボンでは、メイン・ストリートの広い歩道はよろしいが、古い通りの歩道には大理石のブロックがよく使われています。ポルトガルは大理石の一大産地。ブロックの頭がピカピカ光って滑りそう。気を付けなくっちゃ。バスは市の中心部ロッシオ広場の近くに到着。賑やかな繁華街。

“ホコテン”アウグスタ通りを少し歩いて四つ辻にさしかかり、右手を見ると頭でっかちで不安定な高い塔が目に入りました。聞けばサンタ・ジェスタのエレベータとのこと。このエレベータで上がりきったところでは素晴らしい展望が開けるとのことでしたが時間に余裕が無く、町中のエレベータの存在に感服するばかりでした。

ほどなくガイド嬢は、ある団員のリクエストに応えて、金細工の店へ一行を案内してくださいました。細い階段を下りて地下室へ。ショウ・ウインドウの中には金細工の作品がキラキラ光っていました。確か現在金の価格は世界的に最高値になっていると思いましたが、欲しい人は買うのでしょう。リクエストした団員ともう一人が買われた模様。ただ、値引きは無かったようです。

《次号へ続く/2010.10.2 本田眞哉・記》


          to アジア文化交流センターtop