研修紀行 ⅩⅠ

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アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて④

   

ヨーロッパ大陸の最西端ロカ岬へ

 レストランで昼食をすませ午後の日程へ。バスはラウレア通りをコメルシオ広場へと向かいます。コルメシオ広場は、テージョ川沿いにある一辺が約200メートルのほぼ正方形の広場。この広場は宮殿広場とも呼ばれています。その訳はリスボン大地震で破壊されたマヌエル1世の宮殿跡のため。リスボン大地震は1755年11月1日、午前6時ごろ発生。マグニチュード7.5以上の規模で、壊滅的被害を被ったそうです。今では宮殿に代わって広場の三方を主要官庁が囲んでいます。この広場はまたイベント会場としても使われ、先日催されたミサには16万人が集まったとのこと。

 アルファマ地区を車窓から眺め、バスは一路ロカ岬を目指します。一部高速道路を利用するのでシート・ベルトを着用するように、とのアナウンス。高速道路は片側3~4車線の立派な道路。高速道路を下りると曲がりくねった山道、そして細い田舎道。リスボンを出てからほぼ1時間、ロカ岬に到着。♪思えば遠~くへ来たもんだ…。ユーラシャ大陸の最東端“陽出づる国”から最西端の“陽沈む国”のロカ岬まで、東経140度から西経10度まで、経度150度分の道行き。実距離にすると約11.000キロメートルかな?

バスの駐車場から岩がごろごろ転がっている足場の悪い道を歩くこと数分、大陸最西端に到着。眼下には、ここから始まる真っ青な大西洋が果てしなく広がっていました。絶壁の高さは水面から140メートル。足がブルブルッ! 振り返って十字架のモニュメントを見ると、雲一つ無いこれまた真っ青な空を背景に順光を得て浮かび上がっています。モニュメントは自然石を積み上げたような形で天辺の十字架までの高さは10メートルほどありましょうか。

正面には石製の銘板が取り付けられていました。銘板の第一行目には、CABO DA ROCA(ロカ岬)と太文字で刻銘され、続いて「AQUI.... ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA ....」詩人・カモンエスの『ウル・ルジアダス』の一節が刻まれていました。その意味は、「ここに地果て、海始まる」。さらにその下には「PONTA MAIS OCIDENTAL DO CONTINENTE EUROPEU=ヨーロッパ大陸の最西端の地」との碑文。

ここは強風が吹くことで有名だそうですが、私たちが訪れたときは残念ながら?フツーの風で帽子を飛ばされるようなこともありませんでした。ネット上で他の人の旅行記を読んでも写真を見ても、強風と砂埃と霧に悩まされ、余りよい印象の紀行文は見あたりません。となると、私たちは非常にラッキーだったと思います。そうした思い出を凝縮した一枚の紙を添乗員の三和田君からいただきました。それは「最西端の地到達の証明書」。訪れた人の名前入りで、年月日と「北緯38度47分、西経9度30分、海抜140メートル」の地理データが書き込まれていました。


 

天正少年遣欧使節団が訪れたシントラ王宮

ロカ岬を後にして、バスは1車線の地方道をひた走ります。約1時間後、曲がりくねった坂道の多い町に到着。それもそのはず、ここはシントラ山系の中にある歴史の町シントラ。歴代王家の離宮が置かれ、木立の中に「キンタ」と呼ばれる豪華な館が点在しています。その景観はユネスコの世界遺産に登録されています。バスを降りて、ひっきりなしに車の通る石畳の上り坂をエッチラオッチラ登って、ふと顔を上げると目の前に立派な宮殿。シントラの王宮です。

 この王宮の特徴の一つは、厨房の上に設けられた2本の巨大な円錐形の煙突とか。なるほど、見れば館の上に、メガホンの化け物を立てたような白亜の煙突が突出しています。14世紀、エンリケ航海王子の父ジョアン1世によって建てられ、その後何度も増改築が行われたとのこと。車に気をつけて横断歩道を渡り王宮前の広場へ、そしてダイダイ色の屋根に白い壁の館の中へ。

 白鳥の間の天井には27羽の白鳥が描かれています。天正少年遣欧使節団はこの部屋でもてなしを受けたということです。この歴史的関係に因んで、1997年から長崎県大村市と姉妹都市提携をしているとのこと。カササギの間や紋章の間もありましたが、アズレージョの間は見事でした。狩猟の光景を描いたタイル画が四方の壁全面を覆っていました。次に訪れたのは厨房。アズレージョの壁の前にはいくつかの鍋。上を見上げると、真ん中にぽっかり穴の空いた白い円筒。そう、これが屋上に聳える煙突の内部だったのです。それほど高く感じないのは、円錐形に依る逆遠近法のためでしょうか。

王宮の出口に立って正面を見ると、道路を隔てて急峻な山が聳えています。入ってくるときは、背面にあったため全く気づきませんでした。よくよく見ると岩山の上、頂上付近に何か要塞のようなものが見えます。城壁や塔の天辺は凸型のシルエットを描き、万里の長城を思わせる雰囲気。帰国後調べてみたらムーア人の遺跡・ムーア城でした。さらに近くの山の頂上にはペナ城があることも分かりました。写真で見ると、ノイシュバン・シュタイン城の親戚かと思われる形とシチュエーション。なお、今回この2城は見学しませんでした。我々シニア・メンバーにはハードなため、スケジュールに入れなかったのでしょう。

《次号へ続く/2010.10.2 本田眞哉・記》


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