研修紀行 ⅩⅠ

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アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて⑤

   
 

●サンタ・クルスには「檀一雄教授通り」

時計の針は、午後5時少し前を指しています。スケジュール表に依ればもう1か所見学するところがあります。それは作家・檀一雄ゆかりの地サンタ・クルス。シントラの王宮を出て、バスに揺られてくねくね道を1時間余、サンタ・クルスに到着。白色にカラフルな縁取りをした壁の家々が並び、石畳が続く実に瀟洒な街。はたまた非常に明るくてスッキリした感じ。どうしてかと、よくよく見れば電柱と張り巡らされた電線がない。もちろん外灯は立っていますが全て地下配線。

街角の家の外壁に「RUA PROF KAZUO DAN」の標示。直訳すれば「檀一雄教授通り」。少し進むと右手に白色を基調としたシンプルなデザインの家。アプローチの塀に「KAZUO DAN」と浮き彫りで書かれた擬木の表札が掲げられていました。檀一雄は1970(昭和45)年11月から1972(昭和47)年2月までここに住んでいたのです。今は檀一雄と全く関係ない現地の人が住んでいる、とガイド嬢。

午後6時を過ぎたというのに強烈な太陽光。ただ、空気が乾燥しているためその割に暑さを感じません。旧檀一雄邸を後にして海岸へ。海抜30メートルほどの高さのオーバー・ハング状態の広場に立つと、正面に真っ青な大西洋。視線の角度を少し変えると、ギンギラギンに輝く水面。その広場の中央に檀一雄をしのんで建てられた記念碑がありました。檀が愛した夕陽を見ることができるように、海に向かって建てられています。

 

●リスボンを後にして避暑地オビドスへ

 8月25日水曜日、シェラトン・ホテル二泊目の夜明け。時差ボケも何とか克服した感じ。朝食をすませて8時半ホテルを出発。昨日はハード・スケジュールでかなり疲れました。添乗員の三和田君も昨夜の団員の疲労状態を見ていささか心配だったとか。しかし、一泊後のみんなの元気な顔を見て安心したとのこと。きょうの予定は、オドビス、ナザレ、バターリャの見学をした後、コインブラのブサコ国立公園にあるブサコ・パレス・ホテルでお泊まり。

 バスはリスボンから北へ80キロメートル、1時間ほど走ってオビドスに到着。オビドスは人口11,000人の小さな町。町の小高い丘の上には、城壁に囲まれたオビドス城のある「中世の村」オビドスがあります。発祥は1世紀とされ、以後ローマ人やアラブ人が占領。2世紀にはポルトガル初代王ドン・アフォンソ・エンリッケスがアラブ人から奪回。以後オビドスには、ドン・ペドロ2世、ドナ・マリア1世、ドナ・レオノール、ドン・カルロス等、王家の人々が休息地や避難地としていました。

 城壁には4つの門があるとのこと。東門と2つの西門、そして北門。私たちは北門(ダ・ヴィラ門)から“入城”。一歩入ってビックリ、半円筒形の天井の内部がアズレージョで飾られている城門。18世紀に造られたもので、その絵は「慈悲の聖母」と名付けられているとか。門をくぐると雲一つ無い紺碧の空に、青色やカーキ色で縁取りされた真っ白な家々の壁が映え、教会の尖塔が勇姿を誇って聳えています。門からは、メイン・ストリートのディレイタ通りが始まります。道路幅は4~5メートルでしょうか、ほぼ直線の緩やかな上り坂。




●レンガ色屋根と白壁と石畳の「中世の村」オビドス

 道の両側には白い壁の家々が軒を連ねています。白壁の材質は漆喰なのか塗装なのかよく分かりませんが、なかにはコーナー部分や土台部分、あるいは窓枠部分が青色や黄土色の縁取りがされている建物もあり印象的。ツーリストがひっきりなしに通り、石畳のストリートは賑やか。午前8時半でこの状況なので、10時ごろになったら人と人とがぶつかり合うのではないかと余計な心配。

 建ち並ぶスーベニール・ショップには様々な商品が並べられています。陶器の器や人形、金属のクラフト製品、額皿やアズレージョ、布製のバッグやガイド・ブック、ベストやマフラーなどの繊維製品等々。店の前の壁面にぶら下がっているもの、貼り付けられているものもあります。見ているだけでも楽しい。だらだら坂が急坂になったところの突き当たりが教会。えッ? 注目したのは、その教会の妻面に設けられた入り口の上の雨除けの破風の形。日本風「縄勾配」の破風が取り付けられていたのです。

 帰りは同じ道を辿ったのですが、脇に入る小径の景観もまた素晴らしいことに気づきました。メイン・ストリートから横に出ている、いわば肋骨の部分の路地。道幅は2メートルほどと狭いため、カラフルな屋根や白い壁、そして咲き乱れる真っ赤なブーゲンビリアなどなど、縦位置でカメラに収めるのにはもってこいの被写体。その他にも写真の題材がいっぱい。気が付いてみたら、ここオビドスだけで50枚ほどシャッターを切っていました。

駐車場へ着いて正面松林の向こうを見ると、何か水道橋らしきもの。聞けばローマ時代の水道橋とのこと。長さは3キロメートルに及ぶとか。16世紀にスペインから嫁いだドン・ジュアン三世の后、カタリナ王妃の命で建築されたといわれます。緑の木々、レンガ色の屋根と白壁の家々の立ち並ぶ「中世の村」オビドスに別れを告げ、バスはナザレに向けて出発。


《次号へ続く/2011.1.2 本田眞哉・記》


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