研修紀行 ⅩⅠ

     ──
アジア文化交流センター2010夏の研修 ──

 
 ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅴ
  

   修交150周年を迎えるポルトガルで

「天正遣欧少年使節団」縁の地を訪ねて⑦

   

●ブサコの宮殿ホテルのディナーは子豚ちゃん
 

時計の針は3時を回ったというのに猛烈な陽光。広場を横切ってバスに向かう間のわずか300~400メートル歩く間の暑いこと、顔と腕が日焼けしてピリピリ。ただ、駐車場の木陰に入ると一気に汗が引き涼しくなります。この辺りが日本の気候と大きく違うところ。バスは発車しましたが、メンバー一同かなり疲れを覚えてきたころ。約1時間半走るうちにコックリコックリの人も。眠気覚ましでもないでしょうが、宿泊地ブサコへ行く途中で名水の湧き出るLUSOの村に立ち寄ってのどを潤しましょうとのこと。
 

バスを止めておくこともUターンすることも無理と思われる細い道沿いにその泉はありました。ルーブル美術館にあるガラス製のピラミッドを小さくしたようなピラミッドが敷地内にあり、その中を覗くと、玉石の間から清水が湧き出ているが分かりました。その水が一段低い水場に導かれて、石製の半円形の水飲み場のパイプから流れ出ていました。お味は? そう、癖のない味でしたが、日本の名水には及ばないといった感じ。私の独りよがりかな?
 

ここから宿泊地のブサコまではバスで15~20分ほどの距離、とガイド嬢。ブサコのPALACE HOTEL DO BUSACO に到着したのは午後5時半。快晴で陽はまだ高く“夕刻”という感じはなかったのですが、ホテルがブサコ国立公園の森の中に建っているためロビーは非常に暗く、ライトが点灯されていたため時計の針が急速に進んだ感じ。そのためでしょうか、疲れが急に頭をもたげてきたようです。 
 

もともとここはカルメル派の修道院の土地だったそうですが、その土地に1907年、ポルトガル最後の国王マヌエル2世が狩猟用の離宮を建設。そしてその宮殿をホテルに改装したとのこと。文字通り「パレス・ホテル」で、五つ星。3~4階建て一部5階建てで、1階の回廊にはマヌエル様式のデコレーションが見事。2階、3階の屋上には凸形の外壁が連なりお城のような外観。1階にはナポレオン軍侵攻を防いだブサコの戦い、2階へと通じる大階段にはポルトガルによるセウタ攻略とインド攻略を描いたアズレージョが飾られています。
 

午後8時からホテルのダイニング・ルームで夕食。団員全員がテーブルについて、飲み物のサービスが終わったころでしたか、ワゴンに乗った子豚ちゃんがテーブルの直近へ。ウワッと驚きの声を挙げる女性団員。身の丈80~90センチはありましょうか、表面は飴色にテカっていますが、鼻も耳も口もそのまま。目はナツメの実らしき物がはめ込まれ、口は大きく開けてオレンジをくわえていました。ミルクだけで育てた生後3か月までの子豚を大きな釜で焼くとのこと。肉が軟らかくジューシーで皮がパリッとして美味しい。この子豚ちゃんは豚肉料理のカテゴリーに入らない、別のカテゴリー「レイ・タン」?だとガイド嬢。食べてみると、なるほどジューシーで柔らかく脂っこくない。ごっつあんでした。

 
●朝霧のブサコからコインブラへ
 

8月26日木曜日、快晴。きょうはごゆっくり、朝9時半出発の予定。6時に起きて散歩しようと玄関まで下りたところ、団員の蟹江さん・高宮さんと出会いご一緒することに。ホテルの当直に玄関の鍵を開けてもらい外へ出たところ、目の前に乳白色のカーテン。先ほど自室から日の出の写真を撮っていたときは霧もガスも無かったのに…。しかし霧も一興、早速霧にかすむデコレーション豊かなホテルをカメラに収録。
 

半袖では肌寒さを感じる森の中、ホテルの周りを左回りに散策することにして出発。緩やかな坂を上ると左手の植え込みに、黒い矢印板に白文字で「CONVENTO」(修道院)と書かれた案内板が立っていました。見れば入り口の真ん中に大きな十字架。その奥には教会らしき建物。(女)修道院のようです。歩を進めていくと、石畳の庭が広がりかなり大きな建家。その外壁のデザインが非常にユニーク。白と黒を基調とした幾何学模様が主体の前衛的な作風の壁面。素材は2~3センチほどの大きさの割石で、モザイクなのかペイントなのか定かではありません。とにかく珍しい壁画。
    

外周道路を西から南へと歩いていくと広々とした庭園が広がっていました。ちょうどホテルの建物の南に位置するこの庭園、非常に手入れが行き届いていました。何の木か分かりませんが、幅・高さとも50センチほどの植え込みで縁取りをした幾何学模様の紋様が庭一面に広がっていました。まるで煉瓦積みで作った直線・曲線のように輪郭がクッキリ、スッキリしていました。よほどこまめに剪定しているのでしょう。
    

朝食を済ませて出発の直前、明るい陽光に照らし出されたブサコ・パレス・ホテルの建物をバックに集合写真を撮影。バスはきょうの宿泊地ポルトに向けて予定通り9時半に出発。途中、大学の町・歴史の町コインブラを見学し、運河の町アヴェイロに立ち寄り、夕刻ポルトに着く予定。
 
 

●コインブラ大学の図書館とチャペルは圧巻
 

ホテルを出てから1時間ほど走ったでしょうか、バスは丘の上のコインブラ大学に到着。大学の前身は、ディニス王が1290年にリスボンに創設。その後何度か移転を繰り返した後、1537年ジョアン3世がコインブラの宮殿内に移設したということです。ヨーロッパで最も古い大学の一つ。8学部あり在学生は2万人とか。
 

1200年代といえば日本では鎌倉時代、親鸞聖人が入滅されたのが1262年。そのころに大学があったと聞いて驚き。学部棟の間を通って進むと視野が開け、町を見下ろす広場に到着。コインブラ大学のシンボルの時計塔のある広場。その広場に面してジョアン5世図書館があります。ジョアン5世統治下の1724年に建てられた図書館。当然見学コースの中と思いきや、ここはスペシャル・チャージが必要とのこと。チャペルと合わせて日本円で1人410円。だのに撮影禁止。3階建て相当の吹き抜けの書棚に30万冊の蔵書がビッシリ。それよりも何よりも目を引いたのが華麗な金泥細工による調度品。とにかく素晴らしい図書館。余談ながら、図書館内には虫を食べてもらうためにこうもりが飼われているとか。
  

続いて入った図書館に隣接するチャペルも凄い。内部は荘厳といいましょうか重厚な感じ。内部の左右の壁面には、航海に乗り出した船が波のうねりを越えて進む様子が、アズレージョで描かれています。壁面からせり出して、ユニークな形で設置されているのはパイプオルガン。座席の上にオーバー・ハング状態で重そうなバロック様式のパイプオルガンが取り付けられています。ただし、現在はここで礼拝は行われず、主として卒業生の結婚式に利用されているとのこと。



 

《次号へ続く/2011.1.2 本田眞哉・記》


          to アジア文化交流センターtop