■研修紀行 U

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アジア文化交流センター01夏の研修──

  ホーチミンシティーとカンボジア
     アンコール遺跡踏査研修紀行(4)



 大刹・永厳寺(ヴィンギエムじ)訪問、参拝・交流

20分ほどバスを走らせて市内3区にある永厳寺(Chua Vinh Nghiem)に到
着。本堂前テラスでは副住職の釋清風
(Thich Thanh Phong ティックタンフォ
)
師が黄衣姿でお出迎え。合掌礼で挨拶を交わし堂内へ。広大な本堂の
中心に安置されたご本尊の前へ進み、団員一同声高らかに勤行をさせて
いただきました。続いて、山門近くにある住職の釋清検
( Thich Thanh
Kiem ティックタンケム)
老師の仮墓前に座を移して、パーリ文の「三帰依」
を唱和して参拝。老師は昨年12月亡くなられた由。したがって、現在住
職は空席とのこと。

雷鳴轟くなか、レセプション・ルームへ案内され交流会を持ちました。
雷雲のため室内が暗いのかなと思いましたら、停電とのこと。蛍光灯の
ランタンで顔を照らしながらのご挨拶・意見交換となりました。印光寺
での交流会と同様に、宗教活動についての質疑応答を中心に熱心な話し
合いが進められました。そうしたなか、非常に印象的だったのはやはり
ベトナム戦争に関することでした。

  

わが加藤祐伸副団長からの質問がベトナム戦争に及んだとき、副住職
は顔を紅潮させ語気荒く戦争反対を提唱し、アメリカの侵略に抗議し、
民族自決を訴えていらっしゃいました。これを受けて副団長が、日本も
悲惨な戦争を経験しており、何よりも平和が大切だと発言したときには、
表情を和らげ、その通りだと頷いていらっしゃいました。

戦争を好み、平和を否定する人は誰一人いないと思います。人類の歴
史の中で「悲惨な戦争は二度と繰り返してなならない」と幾たび誓われ
たことでしょう。にもかかわらず、人知が進んだ今も、地球上のどこか
で戦闘が行われています。イデオロギーのため、自国の権益のため、あ
るいは民族自決の名の下に、はたまた皮肉にも、いのちの尊厳を旗印と
する宗教のぶつかり合いの中で非戦・平和の誓いはことごとく破られて
います。

ベトナム戦争も例外ではありませんでした。アメリカの介入によって
東西両陣営の代理戦争の場と化し、イデオロギー対立の泥沼の戦争には
まり込んでしまったのです。民族独立のための鉄の戦意を持った南ベト
ナム民族解放戦線の粘り強さに、アメリカ軍は撤退を余儀なくされたの
です。ホーチミン再訪の8月29日、クチの地下トンネルを実際にくぐっ
てみて、解放戦線の団結力がいかに強固なものであったかを実感した次
第。強固な民族意識が及び腰のアメリカ軍を追い出したのです。

ベトナムの宗教事情は、仏教徒が全人口の90%とも70%ともいわれて
います。仏教徒が平和を希求することはいうまでもありません。中でも
仏教の僧侶や尼僧は先頭に立って戦争に反対しアメリカ侵略に抗議しま
した。先述の印光寺の釋智廣住職も話し合いによる民族統一を徹底的に
主張し、反政府活動に身を挺したとのこと。

 
     
▲辞するに当たって本堂前で記念撮影

 ●「兵戈無用(ひょうがむよう)

金剛の信仰心でアメリカのベトナム侵略とゴ・ディン・ジエム政権の
仏教弾圧に焼身抗議をした僧がいました。その名はティック・クアン・
ドク師。今でも私の脳裡から離れないあの写真。サイゴンの路上で座禅
を組んだ仏教僧が炎に包まれている写真。全世界の新聞のトップに掲載
されたのです。アメリカのケネディ大統領が暗殺された年1963年の6月
のこと。ショックでした。聞くところによれば、焼身遺体に残された師
の心臓が保存されているとか。

永厳寺からの帰途、さほど遠くないところの街角にティック・クアン
・ドク師の記念碑
(供養塔)が建っていました。記念碑は、高さ数メー
トルの八角形の塔で、塔の中央にはドク師の遺影がはめ込まれていまし
た。団員一同碑前に威儀を正し、パーリ文の「三帰依」を唱和してお参
りしました。今はバイクの爆音賑やかな、ドク師焼身の現場に立ってお
勤めができ感慨一入。反戦・平和の願いに文字通り身を焦がしたドク師
の遺志が碑に刻まれ、道行く人に感銘を与えるとともに、平和の願いを
永久に訴え続けていくことでしょう。悲惨な戦争を経験した私たちも、
碑を前に非戦・平和の誓いを新たにした次第です。感動深い黄昏のひと
ときでした。

  
    
▲焼身供養の現場に立つドク師の記念碑

ところで、お釈迦さまは戦争と平和についてどのようにお教えくださ
っているのでしょう。『仏説無量寿経
(ぶっせつむりょうじゅきょう)』には
「兵戈無用
(ひょうがむよう)」とお示しくださっています。「兵戈」とは
「戦争。軍隊や武器。」
(中村 元著『仏教語大辞典』)のこと。という
ことは、戦争は今から2500年前のお釈迦さまの時代からあったのでしょ
う。後日訪れたアンコールワット(12世紀建造
)の第一回廊には、槍と刀
による数々の戦闘場面の壁彫がりありました。

時代が下るにしたがって、文明の発達により戦闘は大量殺戮をともな
い悲惨さを増してきました。その極みが原爆でしょう。世界で初めて原
爆の洗礼を受けた日本は、全世界に向けて非核・非戦・平和を訴える人
類としての責務を負っていると思います。そうしたアクションこそまさ
にお釈迦さまの「兵戈無用」の教えに叶うことではないでしょうか。

ベトナム仏教会の両寺院での親善交流とドク師の記念碑参拝を終え、
研修の第1の目的を達成することができました。これも佛教大学の高橋
先生、また先生お声掛かりの釋覚勇
(Thich Giac Dungティックカクユン)師
とHoang Phuong Buu Khanhさんのお骨折りのおかげと感謝しています。
緊張の半日間でしたが、ほぼ予定通りことが運びホッとした気分。そ
のせいか、夕食のビールも格別の味でした。
       合掌
            
    【To be continued. Written by S,HONDA】


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