■研修紀行 U

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アジア文化交流センター01夏の研修──

  ホーチミンシティーとカンボジア
     アンコール遺跡踏査研修紀行(7)



 ●遺跡入場券はUS$40

専用バスはホテルを出てすぐ右折、大樹の生い茂った旧道に入り細い
道をゆっくり北上。凸凹が多く早く走れない。20分ほど走ると右手にア
ンコール・ワットの環濠
(かんごう)が見えてきました。そして間もなくワ
ット西正面、通過して直進するかと思いきやバスは左折。しばらく進ん
で料金所らしきところでストップ。ガイド嬢が降りていって何やら手続
きをしている様子。

日通の添乗員三和田君の話では、遺跡の入場券には1日券、3日券、7日
券があり、私たちは3日券を日本出発前に申し込んであるとのこと。その
ためにビザ取得の他に何枚かの顔写真が必要だったわけ。で、その入場
料はハウ・マッチ? 1日券がUS$20、3日券はUS$40、7日券はなんと
US$60。US$20といえばカンボジアの一般公務員の月収。日本人の月収に
引き当ててみると…ン? ビックリ。

いずれにしても私たちはUS$40(約4,800円)のチケットを購入。といっ
ても、紛失しては大変ということで添乗員が保管し、帰途シェムリアッ
プ空港でそのチケットをもらいました。千円札の半分ほどの大きさの半
券には「□□ DAY PASS US$□□」「Date of entry:26 AUG 2001 Date
of expiry:28 AUG 2001」と書かれ、事前に送ったビザ用の顔写真が
貼り付けてありました。

また、その仕上がりの立派なこと。なんと運転免許証のようにラミネ
ート・カードになっているんです。観光産業には力を入れているんです
ね、カンボジアは。チケットの最下段には、「NO TRANSFER & RESELL」
と譲渡・転売を禁止し、裏面には「不正使用の場合はチケットを没収し、
US$40のペナルティーを課す」と印刷されていました。とにかく凄いカ
ード・チケット。記念にアルバムに貼っておきました。

料金所でUターンしたわがバスは10分ほど走ってアンコール・トムの南
大門に到着。懐かしい! 32年前とほとんど変わっていない。強いてい
えば、門前の陸橋の欄干に白っぽい像が目立つことぐらいでしょうか。
特に向かって右側、ナーガ(蛇)の胴体を引き合う阿修羅
(あしゅら)の像27
体の方にその数が多かったようです。内戦によって壊された像を補充し
たためでしょう。因みに、向かって左側は神々の像27体の列。正面にそ
びえる南大門は無傷のよう。高さ23mもある大石門に、ちょうど左上か
ら陽光が射し、そびえ立つ四面菩薩の顔面にもほどよいコントラスト。
南大門を背景に全員で記念撮影。「ハイ・チーズ…バシャッ」。


     
▲アンコール・トム南大門前にて

 ●アンコール・トムのバイヨン寺院往詣

アンコール・トムは、12世紀後半から13世紀にかけてジャヤバルマン
Z世が造営した巨大な宗教都城。日本ではちょうど親鸞聖人の時代で、
感慨深いものがあります。クメール語で「アンコール」は大きい、「ト
ム」は町の意味。1辺3km正方形の環濠を巡らし、高さ8mの城壁に囲まれ
た王都。12万人が住んでいたという。都城内には数々の寺院遺跡があり
ますが、その中心が「バイヨン(BYON)」。

南大門から北へ1.5kmほど進むとバイヨン寺院に到着。午後4時。この
ころから雲行きが怪しくなってきました。ガイドのケリアさん「傘を持
って降りてください」。バイヨンは東入り口から入ります。テラスから
東門をくぐり、第一回廊を左折。第一回廊の外面のレリーフは見事。東
側のこの部分はチャンパ軍と戦うクメール軍の行進の図。

南側へ回ると、商売や狩猟の風景が彫られ、さらに進むと宴会と料理
人、闘鶏や闘犬、チェス、投げ網などから出産シーンに至るまで身近な
生活実態が描かれ、庶民の生きざまをこと細かに伝えています。回廊
の角柱のレリーフもすばらしい。蓮の上で3人のアプサラが踊る浮き彫
り。何とも魅力的でユーモラスで、見ているとつい面の皮がゆるんでき
ます。

しかし何といってもバイヨンのポイントは観世音菩薩の四面塔。第二
回廊から中央祠堂テラスへと進む間、どちらを見ても観世音菩薩が私に
微笑みかけてきます。あちらからも、こちらからも。四面仏塔の乱立と
いっても過言ではありません。その数50面を超えるという。32年前に
比べて、格別の自然風化や内戦による傷跡は見受けられません。ただ、
中にはお顔が部分的に汚れて、表情が乱れた感じの観世音菩薩が増えた
のが少し気がかりでした。地衣が繁殖したのか、あるいは雲が厚くなっ
て光線が弱くそんな風に見えたのかも。いずれにしても800年前のもの
凄い建造物。


       ▲微笑みかける四面仏塔

雷鳴が轟き、いまにも雨が落ちてきそうな暗い空を眺めながらバイヨ
ンに別れを告げ、北口近くの“大仏”さまへ。近年建立されたものらし
く、もちろん前回訪れたときはありませんでした。堂守らしき地元の人
々が数人。許しを乞うて団員一同そろって勤行。異国の地ここカンボジ
アで、800余年の歴史を持つバイヨン寺院の参拝研修が円成できた感激
を胸に、一段と声高らかに三帰依
(さんきえ)を唱和しました。

心配された空模様も雨具を使わずにすみ、5時半ごろバスに乗り込みホ
テルへ。バスは南大門をボディーすれすれで通り抜けしばらく進むと、
木が生い茂る道端がにわかに賑やかになってきました。バスやタクシー
がいっぱい止まっています。「プノン・バケンに登って夕陽を見ましょ
う」とガイド嬢。そうだ、日本を出る前に、夕陽の写真が撮れるところ
へいって欲しい、と添乗員に注文を付けておいたんだっけ。

 ●サン・セットはプノン・バケンで

さぁ、行こう! 振り返ると団員の半分しかバスを降りてこない。早
くしないとサン・セットが見えなくなる、と心ははやりながらもバスに
残った団員を気遣う。そうだ、象だ。象に乗って登れば“弱者”(失礼)
も登れる。早速三和田君に“象屋さん”との交渉をお願いして、私は登
り始めました。実に急勾配の参道。参道というよりは“ガレ場”。岩場
があると思えば、1m近くえぐられた赤土の穴。前の人の足下を見なが
ら、右に左に足場を求めてジグザグに登る。その間を縫って降りてくる
人もいる。これまた無秩序に右往左往。

標高差50mほどを10分足らずで一気に登ると息が弾み、鼓動がドック
ンドックンと頭に響き、心臓が喉から飛び出しそう。広いテラスに立っ
て来し方を見下ろしながらパルスの落ち着くのを待つ。きびすを返して
西へ向かう。と、また一つ難関。そそり立つ急傾斜の石段。10数段登る
と踊り場があってまた石段。あとで分かったことですが、このプノン・
バケンはヤショーヴァルマンT世が9世紀に建立したヒンドゥー教の寺
院で、ボブドゥールとよく似た構造だったのです。その時は、そんなの
見届ける余裕は全くありませんでした。

とにかく主祠堂まで登りつめ、西側の回廊へ降りました。まだ息が弾
んでいます。夕陽はと見ると、厚い雲におおわれていましたが、かすか
に陽がさす部分もありました。こりゃダメかな? とにかくカメラを構
えてみましたが、人人人と崩れ落ちた石材がゴロゴロで足場が悪く、な
かなかよいロケーションが見つかりません。そのうち不安定なポジショ
ンながら、刻々変わる雲の動きのシーンを2〜3枚撮影。が、果たして現
像してどんな絵が出てくることやら。

一方、視線を180度転換して東の方を見ると、樹海に浮かぶアンコール
・ワット。こりゃいける。惜しむらくは、いまいち陽光不足。夕陽に映
えて赤くそびえ立つ3本の祠塔、とまではまいりませんが300mmレンズで
覗くと、画面中央にまあまあの構図で収まる。ただ三脚を持ってこなか
ったことが悔やまれる。遺跡の石を一脚代わりにして数枚シャッターを
切りましたが、出来はどうでしょう。多分ブレているんじゃないかな?


           ▲アンコール・ワット遠望

再び西側へ戻るとちょうど落日。雲の間に太陽が半分ほど顔を出して
います。チャンス到来。まずはビデオ、とRECボタンを押す。その間太陽
は櫛のようになり、スチール・カメラのマニュアル露光調整をしている
間に拍手…。ついにサン・セット。時計を見ると6時20分。

確かにプノン・バケンは、サン・セット人気度ナンバー・ワンといわ
れるだけはあります。広大な人造湖「西バライ」の水面に映える夕陽、
その手前には適当な樹林。そして近景に石の祠堂のシルエットを取り込
めば最高。76mのプノン(丘)に登った疲れもこの夕陽を見たら吹っ飛ん
でしまいます。

しかし、いつでもお日さまが見えるという保証はありあません。お天
気まかせ。乾期でも2〜3日連続で雲がかかることがあるそうです。まし
てやいまは雨期、1週間連続で雨が降ったり雲がかかったり、なんてこと
は珍しくないとか。それが、今回はばっちりで、ラッキー! 団員のカ
メラマン諸氏も超満足! 一方、象の輿に乗って登山した女性軍もこれ
また特異な体験ができて満足度100%。因みに“象賃”は登りがUS$15、
帰りがUS$20。これまたン?
                合掌
            
    【To be continued. Written by S,HONDA】


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