さて、話を十字回廊へ戻して、一段高い第二回廊へと進みます。第二
回廊の内側のテラスは、第一回廊や十字回廊に比べて開放的。見上げる
と中央祠堂が一段と高くそびえ立っています。中央祠堂を仰ぎつつ、テ
ラスを右側へと回り込むと第三回廊南面下に至ります。
見上げると、急峻な石段が迫り、その頂には第三回廊の入口がぽっか
り口を開けています。高さ13m。ゆっくり、ゆっくり登っていく先客の
お尻と足だけが見えます。登ることを拒否するかのような急勾配の階段。
その上、一段一段の踏み面が20cmそこそこで、蹴上げ寸法が30cm。しか
も角がすり減って丸くなっているから危険きわまりない。私のような何
とかの大足(27cm)のドタ靴では、三分の一がはみ出してしまいます。
32年前を思い出しました。みんなものもいわずに、はいつくばるよう
にして真剣そのもので登りました。おや?見ると階段の片側に手すりが
あるじゃないですか。それに、幅40〜50cmながらコンクリートの階段が
付け加えられています。これなら大丈夫。前回は手すりも追加の階段も
なかったのですから。
降りてくる一団がとぎれるのを待って、わがパーティーが登り始めま
した。平均年齢60ウン歳、手すりを握りしめ一歩一歩確かめるかのよう
に。団員の一人が数えたら42段か43段あったとか。最後の一段を登り切
ったとたん、拍手。見れば他の日本人パーティーでした。「がんばった
ね!」と。
▲急峻な階段に挑む
第三回廊から見下ろす景観はすばらしい。地上高は20数m、ビルの
6階からの眺望ということになりましょうか。第二回廊の屋根越しに果
てしなく広がる樹海。そろばん珠のような連子格子のスリットには、
西陽を受けて光る参道。内側へ目を向ければ、威風堂々の中央祠堂。
遠目にはパイナップルを思わせるスタイルにしか見えませんが、至近
距離から見るとどうしてどうして、実は精細な彫りものでいっぱい。四
隅にデヴァターが彫られ、スラブの鼻には花柄の文様の彫刻。そして破
風には神々と唐草模様のオーナメントが浮彫になっています。
第三回廊は「田の字」になっており、その中心にある中央塔の真下に
は祠堂がありました。薄暗い祠堂の中に何やら像が立っていて、その前
にローソクの炎がゆらぎ、線香の煙が立ちこめています。ん?シヴァ神
かなと目を凝らすと、何となんと釈迦像ではありませんか。アンコール
・ワットはヒンドゥー教の寺院のはずなのに。仏教徒としてこれは捨て
置けぬ、と尊前に進んでお参りしました。
再び回廊に出て右遶(うにょう)して別の方向から「田の字」の中心に進
んだら、また祠堂があり、中には仏陀像が安置されていました。残念な
がら現地では詳しく検証できず、帰国後いろいろな資料で調べてみまし
たところ、中央塔堂の真下には東南西北、四方に向けた祠堂が設けられ
ており、その各々に仏陀像が安置されているようです。方位は定かでは
ありませんが、仏陀の立像とその足下に涅槃像(寝釈迦)が一緒に安置
されている祠堂が2カ所あるのではないかと思います。もし間違ってい
たらご指摘ください。
●大きな成果を上げて踏査研修円成
夕暮れのせいか曇天のせいか、あたりはかなり暗くなってきました。
雲の切れ目からは時々斜陽がさします。おっ!凄い。祠堂入口の両脇の
柱に彫られたデヴァターが浮き上がっています。チャンス! 続けざ
まにシャッターを押しました。ふくよかな胸、キュッと締まったウエス
ト、スラリとのびた細い脚。そして流れるような衣服のライン。深彫り
のレリーフが斜光に照らされて一層立体感をもって迫ってきます。た
だ、スロー・シャッターのため、手前の柱にカメラ・ボディーを押しつ
けながら撮ったものの、ブレが心配。
▲斜光に浮き上がるデヴァター像
写真もたくさん撮れて満足感にひたりながら、いよいよアンコール・
ワットともお別れ。でも心配なのはあの階段。足がすくんで降りること
ができなければ、お別れはできない。真っ暗の第三回廊にとどまるほか
ない。しかし、「案ずるより生むがやすし」、下りは意外と余裕で、遠
くの景色を眺めながら“下山”することができました。
と、第二回廊テラスに数10人の若人の集団。誰かの説明を聞いている
様子。声の主を目線でたどると、あッ、石澤先生じゃないですか。そ
う、上智大学の石澤良昭教授。アンコール・ワット研究の最高権威。な
ぜ知っているかって? 10数年前だったと思いますが、アジア文化交流
センターの「アジア文化のつどい」に講演していただいたことがあるん
です。おそらく大学のゼミ生の実地研修でなかろうかと思いましたが、
講話中のため声もかけず失礼することにしました。
黄昏の参道を歩きながら、今回は大変すばらしいアンコール・ワット
の踏査研修ができたと喜びをかみしめていました。第一に涼しかったこ
と。スコール直後で気温が下がり、薄曇りで楽な往詣ができました。
「カンボジアは乾期がベスト・シーズン、8月は雨期で蒸し暑く大変で
すよ」との忠告もあり、またそれが定説ともなっています。
1969年に訪れたときは乾期の1月12日でしたが、その暑かったこと。
カンカン照りの参道を延々と歩いたときのあの暑さ、まるで焙烙(ほう
ろく)の上を歩いているようで汗びっしょり。疲れてしまって説明を聞
くのも億劫だったことを思い出します。それに引き替え、今回は小パ
ーティーのうえ気象条件にも恵まれてゆったりと意欲的に踏査研修や
写真撮影ができ、得るところ大でした。
加えて、私にとっては目に見えないといいますか、実地踏査の背後
に感じられる部分についての収穫もありました。ただし、この収穫は
「答え」を得た収穫ではなく、「問い」を見つけた収穫です。それは
何か、結論的にいえば、宗教の「純粋性」と「寛容性」の問題です。
具体的な事例でいえば、アンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院
として創建されました。西の塔門の南回廊にはヒンドゥー教のヴィシ
ュヌ神立像が置かれ、ローソクの灯と薫煙(くんえん)が絶えることがあ
りません。近隣の住民の聖域となっております。これは至極当然のこ
と。ところが、第三回廊の中心にある中央祠堂には、東南西北の四面
に仏陀の立像や涅槃像(ねはんぞう)が安置されています。そして、その
前には花が供えられて明かりがともされ、香が焚かれ地元の人々がお
参りをしていました。
今回は行けませんでしたが、前回は「仏足石(ぶっそくせき)」にもお
参りした記憶があります。また、「千体仏」の名が残る回廊もありま
す。さらに北の聖池の西の境内には仏教寺院が建っていて、黄衣を身
にまとった若い僧が修行に励んでいたこと、境内でも仏教僧を見かけ
たことは前にも記したとおりです。してみると、現在のアンコール
・ワットは仏教寺院として確実に生きてはたらいているということし
ょう。
カンボジア政府観光局のデータによれば、現在のカンボジアの宗教
事情は、8割以上が仏教徒(上座部)。その他イスラム、キリスト
教等となっており、ヒンドゥー教は出ていません。このことからすれ
ば、アンコール・ワットが仏教化したとしても、さもありなん。一方
ヴィシュヌ神を崇めるのも同じ仏教徒と思われる住民。もともとヒン
ドゥー教の寺院ということでもあるためか、あるいは仏教の寛容性の
せいでしょうか。そういえば、日本でもいまだに神仏混淆があります
ね。合掌。 【To be continued. Written by S,HONDA】
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