■研修紀行 T

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中国仏教史跡踏査の旅──
      
天台山・普陀山 雨中の巡拝行(その2)

 ●杭州は西湖と浄慈寺と飛来峰霊隠寺

 一夜あけて8月23日、快晴。昨夜ホテル到着が遅かったので分からなかったが、
朝外へ出てみてビックリ。デカイホテルだったのです。しかも新築のピカピカ、
ガイドブックにも載っていません。その名は「浙江世界貿易中心大飯店」。10階
建てで、貿易センターとの複合施設。中国のホテル事情も、新築が相次ぎ改善が
進んでいます。



               ▲浙江世界貿易中心大飯店

 専用バスがホテルを出て間もなく、浙江大学の近くを通過。ローカルガイド氏
によれば、この大学は中国で2番目か3番目の有名な大学だそうです。特に理工系
は中国一強いとのことで、学生数は3万人以上。中国の教育制度は10年前5・2・2
・4制から日本と同じ6・3・3・4制に変わったそうで、大学の授業料も無料から有
料に。年額4万円。さて、高いのか安いのか。因みに、大学卒初任給平均は1,200
元、日本円で16,000円。国営企業は800元、合弁企業は1,500元。月収の割合から
見れば授業料は日本の私立大学並?

 さあ、いよいよお寺参り。と思いきや、スケジュールに少々変更あって、まず
は西湖
(せいこ)遊覧。杭州といえば西湖、西湖といえば杭州といわれるほど有名
な美しい湖。中国四大美女のひとり西施に譬えられるとか。なかでも景色の美し
い10カ所の名所にはそれぞれ名前が付けられ、「西湖十景」といわれています。
私たちは湖上をクルーズしたわけですが、団員の一人はその十景の一々をローカ
ルガイドに確認して、しっかりとメモをとっていらっしゃいました。

 今度こそはお寺参り。西湖の南、南山路に面した曹洞宗の浄慈寺。堂々たる大
雄殿をはじめ、七堂伽藍も整った境内に鐘の音が響いておりました。喜捨をさせ
ていただいた後、裏山にある如浄禅師の墓参り。如浄禅師はわが国の道元禅師の
師。墓前でお同行ともども三帰依文を唱和させていただくことができました。印
象的でした。浄慈寺を辞した後、金石篆刻
(てんこく)の研究施設「西冷印社(せい
れいいんしゃ)
」に立ち寄り霊隠寺に向けてバスを走らせました。

 飛来峰
(ひらいほう)参道門前のレストラン「天外天」で昼食を済ませて外へ出る
と雨。「飛来峰」の由来はローカルガイド氏によれば以下のごとし。東晋の初め
(
326年)、インドの高僧慧理が「インドの霊鷲山(りょうじゅせん)の峰がいつここに
飛んできたのか?」といったところからこう呼ばれるようになった、とのこと。
鍾乳洞あり、石仏ありという崖が道の左側に続きます。

 しばらく進むと右手に霊隠寺の伽藍。霊隠寺は前出のインドの高僧慧理が326年
に開山。ということは、飛来峰と霊隠寺は同根。天王殿の扁額に「霊鷲飛来」と
あるのがその証拠といえましょうか。高さ33.6メートル、外観は三層に見えます
が実は単層の大雄宝殿は壮大な建造物。天王殿、大悲閣、回廊等その他の建物も
よく整備され威容を誇っていました。参拝者も多く、広大な山内は人人人で活気
にあふれていました。唐代最盛期には9楼18閣73殿を数え、僧3,000余人を擁した
と伝えられています。禅宗十大寺院の一つ。




         ▲杭州・霊隠寺 大雄宝殿

  ●天台山へ5時間半 雨中の道行き

 雨が本降りになるなか、霊隠寺に別れを告げバスに駆け込む。天台山に向けて
出発。途中、中国茶工場に立ち寄ったため、杭州を出たのは
16時頃でなかったか
と思います。日通旅行の「旅のしおり」のスケジュール表では、杭州から天台山
まではバスで約3時間となっておりました。ところがです。そんな簡単な道行き
ではありませんでした。紹興酒で有名な紹興あたりまでは高速道路ができていて
比較的速く、ほぼ1時間で到達。しかし、それからが大変。

 6時半頃には日没となり、雨も強くなり、加えて高速道路の工事のためか、と
ころどころで渋滞にはまったりして悪戦苦闘。バスの中は真っ暗でBGMが流れ
るなか、みんな沈黙。すれ違いの車のライトが灯台の光のように時々暗闇の車内
をよぎります。どこを走っているのか、あとどれくらいかかるのか、情報が全く
ない。時々鳴るドライバーのケータイの呼び出し音にビクッ。早口にまくし立て
るドライバーの声にドライバーもいらだっている様子がうかがえます。

 午後9時をすぎた頃、ようやく明るい街が見えてきました。麓の街・城関鎮に
着いたもよう。ドライバーの叙さんがケータイで盛んに交信しています。どうや
ら夕食のレストランが変更になったようです。再びバスは動きだしましたが、道
はだんだん暗くなり曲がりくねって、車体は右に左に大きく揺れます。坂を上り
詰めたところで目的地到着。「天台賓館」、三つ星ホテル。夕食はホテルに変更
となったため、ホテルの「餐庁」へ直行。時計を見ると
9時40分。結局、杭州か
ら5時間半余を要したことになります。団員一同空腹には違いないが、疲れ切っ
て食欲がありません。みんな無口で各部屋へ。
                   
【To be continued. Written by S,HONDA】


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