●柔和なお顔の玉印・日月・文殊・普賢の菩薩たち
数々の石刻の中で私が最も感銘を受けたのは第136窟・「転輪経蔵
窟」。中には20体余の菩薩像がおわします。像高は90p〜160pくら
いで、宝頂山の石刻像に比べると遙かに小柄。しかし、その宝冠から
お顔の表情、衣帯に至るまで秀麗かつ細密に彫られています。しかも
800年を経た今もほとんど毀損がない。無傷。
またお顔の表情の素晴らしいこと。就中「玉印観音」は秀逸。ホー
ムページ「石刻の美」には「表情剛毅」と解説されていますが、一見
剛毅そうに見えるものの、ふっくらとした頬とあご、そして小さな唇
が微笑みかけているような暖かさを感じさせます。日本の「白鳳美人」
を思わせる美しさです。
同じ第136窟にある「日月観音像」もみごとな作品。像高は160pと
他の菩薩に比べてやや大きめ。方形須弥壇上に結跏趺坐したこの菩薩
さまは一面六臂。前右手には抑葉、同じく左手には鉢を持ち、後の両
手で日・月を高く掲げ、下の右手には宝剣、左手には利斧を把握する
という六臂姿。お顔は、前記玉印観音同様にふっくらとして人間味あ
ふれる表情。
文殊菩薩の像も第136靴にありました。「三人寄れば文殊の知恵」
といわれるように、文殊は智慧を司る菩薩とされていますが、詳しく
は智・慧・証の徳を司る菩薩。『仏説阿弥陀経』には文殊菩薩は「文
殊師利法王子」とあり、聴衆の第一にその名が出ております。形とし
ては、文殊菩薩は釈尊の脇士として、獅子に乗って左に侍すことにな
っています。
ここの文殊菩薩像も、大きく口を開けた獅子の上に結跏趺坐し左手
に経巻を持ち、右手は胸の前で説法印を結んでいます。お顔はふくよ
かな中にもきりりとした面もちで、いかにも智慧第一の菩薩様の表情
をしていらっしゃいます。
文殊といえば普賢、普賢といえば文殊、連想ゲームのようなフレー
ズになりましたが、両者は不即不離。普賢菩薩は、文殊の智慧に対し
て慈悲を司る菩薩さま。『仏説無量寿経』の聴衆の第一に挙げられて
います。普賢菩薩は釈尊の脇士で、白象に乗り仏の右方に侍すという。
▲普賢菩薩像(HP『石刻の美』より)
北山第136窟の普賢菩薩も6本の牙を持つ像の上の蓮台に結跏趺坐し
ていらっしゃいます。右手に如意を持ち、左手を膝に、やや伏し目が
ちで、かすかに微笑んでいらっしゃる姿は、どう見ても女性像のよう
です。
●思い出す峨眉山・万年寺の普賢菩薩
普賢菩薩といえば、1990(平成2)年8月に実施した、アジア文化交流
センターの夏の研修を思い出しました。中国仏教遺跡踏査も5回目とな
ったこの研修は、「峨眉山・樂山、そして桂林を訪ねる旅」。成都を
拠点に樂山研修を終え峨眉山に向かいました。砂利道の有料道路をガ
タガタバスに揺られ、ロープウエイに乗り峨眉山の「金頂」に到着。
科学的には「ブロッケン現象」といわれる「仏光」が見られるかと期
待しましたが、ガスが濃くてダメでした。
翌日、雨の中を万年寺に参拝。大半の団員は“お駕篭”に揺られて
1時間の登山。万年寺で最も有名な普賢堂に到着。ラマ教寺院を思わ
せる丸みを帯びたクリーム色の磚殿で、周りの伝統的な風景の中で一
種異様な趣を呈していました。
▲万年寺普賢堂前で記念撮影(AUG.1990)
天井高16mの、梁も柱もない堂の中には大きな白象に乗った普賢菩
薩が安置されていました。白象にはやはり6本の牙がありました。菩
薩像は、宋代(980年)に鋳造された巨大像で、像高7.3m、重さ62トン、
見上げて拝まなければならないほど。銅製とのことですが表面は金ピ
カ。お顔は柔和。峨眉山は中国仏教四大名山の一つで、普賢菩薩の道
場。まさにその真髄に遇うことができたのでした。
因みに、中国仏教四大名山の他の三名山はといえば、文殊菩薩の聖地
・五台山、地蔵菩薩の聖地・九華山、そして観音菩薩の聖地・普陀山。
アジア文化交流センターでは、1986(昭和61)年8月に五台山、1993(平
成5)年8月に九華山、そして2000(平成12)年8月には普陀山を訪れてい
ます。したがって、本センターは四大名山全てを巡拝し終わったこと
になります。
《次号へ続く/2003.1.3本田眞哉・記》