■研修紀行 V

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アジア文化交流センター02夏の研修──

 中国・世界遺産

  九寨溝と黄龍、大足石刻群調査研修紀行 D


柔和なお顔の玉印・日月・文殊・普賢の菩薩たち

 数々の石刻の中で私が最も感銘を受けたのは第136窟・「転輪経蔵
窟」。中には20体余の菩薩像がおわします。像高は90p〜160pくら
いで、宝頂山の石刻像に比べると遙かに小柄。しかし、その宝冠から
お顔の表情、衣帯に至るまで秀麗かつ細密に彫られています。しかも
800年を経た今もほとんど毀損がない。無傷。

 またお顔の表情の素晴らしいこと。就中「玉印観音」は秀逸。ホー
ムページ「石刻の美」には「表情剛毅」と解説されていますが、一見
剛毅そうに見えるものの、ふっくらとした頬とあご、そして小さな唇
が微笑みかけているような暖かさを感じさせます。日本の「白鳳美人」
を思わせる美しさです。

 同じ第136窟にある「日月観音像」もみごとな作品。像高は160pと
他の菩薩に比べてやや大きめ。方形須弥壇上に結跏趺坐したこの菩薩
さまは一面六臂。前右手には抑葉、同じく左手には鉢を持ち、後の両
手で日・月を高く掲げ、下の右手には宝剣、左手には利斧を把握する
という六臂姿。お顔は、前記玉印観音同様にふっくらとして人間味あ
ふれる表情。

     
     ▲文殊菩薩像(HP『石刻の美』より)

 文殊菩薩の像も第136靴にありました。「三人寄れば文殊の知恵」
といわれるように、文殊は智慧を司る菩薩とされていますが、詳しく
は智・慧・証の徳を司る菩薩。『仏説阿弥陀経』には文殊菩薩は「文
殊師利法王子」とあり、聴衆の第一にその名が出ております。形とし
ては、文殊菩薩は釈尊の脇士として、獅子に乗って左に侍すことにな
っています。

 ここの文殊菩薩像も、大きく口を開けた獅子の上に結跏趺坐し左手
に経巻を持ち、右手は胸の前で説法印を結んでいます。お顔はふくよ
かな中にもきりりとした面もちで、いかにも智慧第一の菩薩様の表情
をしていらっしゃいます。

 文殊といえば普賢、普賢といえば文殊、連想ゲームのようなフレー
ズになりましたが、両者は不即不離。普賢菩薩は、文殊の智慧に対し
て慈悲を司る菩薩さま。『仏説無量寿経』の聴衆の第一に挙げられて
います。普賢菩薩は釈尊の脇士で、白象に乗り仏の右方に侍すという。

     
      ▲普賢菩薩像(HP『石刻の美』より)

 北山第136窟の普賢菩薩も6本の牙を持つ像の上の蓮台に結跏趺坐し
ていらっしゃいます。右手に如意を持ち、左手を膝に、やや伏し目が
ちで、かすかに微笑んでいらっしゃる姿は、どう見ても女性像のよう
です。 



 思い出す峨眉山・万年寺の普賢菩薩

 普賢菩薩といえば、1990(平成2)年8月に実施した、アジア文化交流
センターの夏の研修を思い出しました。中国仏教遺跡踏査も5回目とな
ったこの研修は、「峨眉山・樂山、そして桂林を訪ねる旅」。成都を
拠点に樂山研修を終え峨眉山に向かいました。砂利道の有料道路をガ
タガタバスに揺られ、ロープウエイに乗り峨眉山の「金頂」に到着。
科学的には「ブロッケン現象」といわれる「仏光」が見られるかと期
待しましたが、ガスが濃くてダメでした。

翌日、雨の中を万年寺に参拝。大半の団員は“お駕篭”に揺られて
1時間の登山。万年寺で最も有名な普賢堂に到着。ラマ教寺院を思わ
せる丸みを帯びたクリーム色の磚殿で、周りの伝統的な風景の中で一
種異様な趣を呈していました。

   
       ▲万年寺普賢堂前で記念撮影(AUG.1990)

 天井高16mの、梁も柱もない堂の中には大きな白象に乗った普賢菩
薩が安置されていました。白象にはやはり6本の牙がありました。菩
薩像は、宋代(980年)に鋳造された巨大像で、像高7.3m、重さ62トン、
見上げて拝まなければならないほど。銅製とのことですが表面は金ピ
カ。お顔は柔和。峨眉山は中国仏教四大名山の一つで、普賢菩薩の道
場。まさにその真髄に遇うことができたのでした。


 因みに、中国仏教四大名山の他の三名山はといえば、文殊菩薩の聖地
・五台山、地蔵菩薩の聖地・九華山、そして観音菩薩の聖地・普陀山。
アジア文化交流センターでは、1986(昭和61)年8月に五台山、1993(平
成5)年8月に九華山、そして2000(平成12)年8月には普陀山を訪れてい
ます。したがって、本センターは四大名山全てを巡拝し終わったこと
になります。

              《次号へ続く/2003.1.3本田眞哉・記》



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