世界遺産登録の大足宝頂山・同北山石刻群の素晴らしさに堪能した
団員一同、バスに乗り込み一路成都へ。歩き疲れたのか、はたまた感
動の余韻にひたってか、車内はシーン。大足から成都までは280q。
ルートのほとんどが高速道路のためか、所要時間は意外と短く、途中
休憩を含めても3時間半でした。
ただし、高速道路の路面の傷みはかなりひどく、乗り心地は大変悪
く各所で補修工事が行われていました。ガイド氏の話によれば、四川
省の道路管理局長が施工業者から賄賂をもらって手抜き工事を見逃し
たため、欠陥道路になってしまったとのこと。そして、その局長のリ
ーさんは昨年逮捕されたそうです。清廉なイメージの共産党の国でも
汚職はあるんですね。
午後6時を過ぎたころ、成都の文殊院に到着。もうすでに山門は閉
ざされていたので、通用門から境内へ。ガイド氏が寺務所らしきとこ
ろへ行って、話をしている様子ですがどうも要領を得ないようです。
実は、この文殊院に参拝し交流を持ちたいという希望を、スケジュー
ル設定の段階から日通旅行を通じて現地エージェントにお願いしてい
ました。
併せて、出発直前の8月の頭にご縁をいただいた、中国社会科学院
世界宗教研究所の研究員で名古屋市中村区にある同朋大学仏教文化研
究所客員所員でもある嘉木揚凱朝文学博士にも文殊院訪問について橋
渡しをお願いしてあったのです。ところが、住持の素全法師が出張中
とのことで、連絡がうまく取れていなかったようです。
ガイド氏を通じて嘉木揚先生の書面などを見せたりして、ようやく
参拝・勤行できることになりました。天王殿の一角でしょうか、「阿
弥陀佛」の扁額を掲げ阿弥陀仏の立像が安置されているのが目に入り
ました。文殊院は臨済禅の寺と聞き及んでいましたが、わが浄土系の
阿弥陀さまにお参りできて感慨一入。早速団員一同打ちそろって「パ
ーリ文三帰依」で声高らかにお勤め。
▲文殊院の阿弥陀佛
続いて石畳の上を大雄宝殿へと歩を進め、これまた“時間外”のた
め通用口から堂内へ。どっしりとした宝殿中央には、ガラス張りのお
厨子の中に釈迦三尊。幅広の光背を背に釈迦三尊が鎮座ましまし、普
賢・文殊両菩薩の立像がやや内を向いて脇士を司っていました。厨子
内の照明が極彩色の三尊をひときわ鮮やかに照らし出していました。
許しを得て、団員一同尊前で勤行。『正信偈・同朋奉讃』を唱和す
る声が堂内に響き渡り、仏教伝来のルートの中に身を置いて勤行でき
たことで満足感一入でした。
勤行後、渉外担当の若い僧が寺の由来などを話してくださいました。
いわゆる宗派は「天台密雲法系」、日本流にいえば「臨済宗」とのこ
とでした。南北朝時代(5〜6世紀)の創建で、唐〜宋代には信相寺と称
したとのこと。仏教を信奉する皇帝とそのお妃がスポンサーとなって
信相という尼僧のために建立された寺ということでした。その後明代
に戦火で消失し、清の康煕30(1691)年に再建され文殊院と改称。
成都市中心部の街中に5.5ヘクタールという広大な境内地を擁する
文殊院は、住持が成都仏教協会会長を務める名刹。両翼に回廊を配し
て天王殿・三大士殿・大雄宝殿・経蔵楼・受戒堂などの殿宇が建ち並
んでいます。
聞くところによると、経蔵楼には761(天平宝子5)年の年号を記した
わが国経櫃が納められているとか。また、文殊院は四川省における仏
教活動の中心で、僧侶も多く、1日に千人余の市民が参拝するとのこ
と。回廊内の一室では30〜40人の僧侶が、賽銭か志納金か定かではあ
りませんが膨大な量のお金を数えていました。あたかも日本の社寺の
初詣の“賽銭開き”のように。「あれ、きょう一日分だろうか」、
「いや、一週間分だろう」。「月末だから一ヶ月分でしょう」などと
余計な心配。
●成都は「天府の国」
わが専用バスは、街の中心部を通り抜けて一路宿舎の「錦江賓館」
へ。午後7時を過ぎたというのに未だ明るい。私が成都を訪れるのは
今回が3度目。成都の街もきれいになりました。ショーウインドーの
照明も効果的に施され、10年前とは様変わり。
因みに、成都は四川省の省都で四川盆地の西部に位置する巨大都
市。人口は1,000万。土地が肥沃で物産が豊富なため、古来「天府の
国」と呼ばれているとか。都市名は、「一年成邑、二年成都(一年で
邑が成り、二年で都が成る)」の古語に由来しているそうです。「武
侯祠」が物語るように、成都は劉備が治め、諸葛孔明が活躍した三
国志ゆかりの地として有名。
一方、中国全土の地図上で眺めると、この成都は興味深いところに
位置しています。というのは、上海・成都・拉薩の三都市が北緯30度
線に沿ってほぼ一直線上に並んでいるのです。上海から真西1,700q
のところに成都があり、成都から真西に1,300q隔てたところにチベッ
トの拉薩があります。1988年に拉薩へ旅したときもこのルートを辿っ
たことを思い出します。
▲錦江賓館/成都
「錦江賓館」に到着して、あれっ?見覚えのある外観。それもその
はず、以前泊まったことがあるのです。そう、1990年のこと。アジア
文化交流センター夏の研修「悠久の霊場峨眉山と楽山と桂林の旅」の
折りに投宿したホテル。
帰国後当時の写真を引っ張り出して比べてみると、玄関に車寄せが
新設されたのが目立つ程度で、外観はほとんど変化なし。ところが、
内装はリニューアルされて一変。客室の内装や調度品はグレードも高
くセンスもいい。バス・トイレもハイレベルの技術で仕上げられ、水
回りの機能も申し分なし。日本の一流ホテルと比べても遜色はありま
せん。そんな快適な部屋で気分もゆったりとバタン・キュー。合掌。
《次号へ続く/2003.3.3本田眞哉・記》