■研修紀行 T

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中国仏教史跡踏査の旅──
      
天台山・普陀山 雨中の巡拝行(その4)

 ●中国禅宗五山の一つ天童寺で親善交流

 思いを12年前に巡らしている間に、気が付くとバスは高規格道路を走って
いました。料金所もフリーパスですので、高速道路の部分開通といったと
ころでしょうか。途中崖崩れのため片側交互通行になっていて、仮設信号
機で止まったところ、雨の中皮をかぶったトウモロコシをかざして10人ほ
どがバスの窓際へ寄ってきました。窓をたたいて何かしゃべっています。
トウモロコシを買ってくれということのようです。指を1本立てているの
で1本1元ということなのでしょうか。もちろん、誰も窓を開けず商談不成
立。

 依然雨が降りしきる中を専用バスは寧波をめざしてひた走ります。時折
崖崩れや道路工事のために迂回したり、片側通行したりして。町中を通っ
たかと思えば再び山道へ。やがて車体が右に左に大きく揺れ、フロントグ
ラス越しに黄色い壁の建物が見えてきました。天童寺の山門に到着です。
時計は午後4時。昼食時間を含めて天台山から5時間半かかった勘定。

 ローカルガイド嬢によれば、山門は3つあり、その第1番目の山門「伏虎
亭」に着いたとのこと。ここから先、通常は寺専用の小型バスに乗り換え
なければならないのだそうです。しかし、土砂降りの雨だからということ
で、交渉の結果私たちのバスでそのまま乗り入れてよいということになり
ました。ただし通行料を払わなければなりません。212元(2,862円)を払っ
てOK。ここからお寺までは2キロメートル。途中第2亭の古山門、第3亭の
隠蓋亭があり、その間の参道は松林や竹林が素晴らしい、とものの本に書
かれていますが、現実は窓ガラスの曇りと雨粒に視界をさえぎられ何も見
えませんでした。

  
            ▲天童寺 大雄宝殿

 天童寺の門前には大きな池がありました。山津波で池が埋まり、1万人
の人が一晩で復旧したという伝説の「万工池」。今流にいえば調整池とい
えましょうか。傘に当たる雨粒の音を聞きながら階段を上ると、正面に天
王殿。天王殿の中は工事中。高さ7メートル余の広目天には足場が組まれ、
職人?が像の膝の上に乗って何やら作業中。正面には例によって巨大な金
色の布袋さんがドッシリ。そして背面はやはり韋駄天さん。

 天王殿の後ろ一段高いところに大雄宝殿。扁額には「仏殿」と大書され
ています。正面壇上には金色の釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来の三尊仏
が、阿難・迦葉の両尊者を侍して安置されていました。団員一同尊前に威
儀を正して勤行。差定は例によってパーリ文の三帰依と偈文。
 
 勤行のあと、大雄宝殿右手にある方丈で監院の修祥師と親善交流のご縁
をいただくことができました。団員一同からの芳志を贈呈し、私が代表し
てご挨拶をさせていただきました。師からも友好の挨拶をいただき、由緒
などもうかがうことができました。お茶の接待も受け、和やかに仏教事情
などの情報交換もでき、有意義な時を過ごすことができました。

  天童寺は今から1,700年前創建の禅寺で、日本の曹洞宗の開祖道元禅師
もここで学ばれたという。しかし、度重なる火災・水害等で移転・再建を
重ね、現在の建物は明・清時代のものだそうです。諸尊像については、文
化大革命の時にことごとく破壊され、1980年代初頭に新調復旧されたとの
こと。さすが中国五大古刹の一つである天童寺、最盛期には数多の堂楼閣
が甍を連ね、999の部屋があり、住僧は1,200人を数えたという。最後に修
祥監院を囲んで団員一同記念撮影をし、天童寺と別れを告げました。

  
           ▲天童寺で親善交流


 
寧波から普陀山へはお船の旅

旅の第4日目、8月25日の朝は寧波の「東港大酒店」で迎えました。四つ星
のホテルながら快適な一夜でした。中国のホテル事情は10年前に比べると
格段の改善がなされています。もちろん値段も改善≠ウれ、このホテル
ではシングル650元、ツイン700元、日本円で9,450円。因みに、ホテルの
料金は、ラフに見て天台山の倍額が寧波、寧波の倍額が上海といえるよう
です。具体的には、私たちが泊まった上海のホテルが20,000円、寧波のホ
テルが10,000円、そして天台賓館は5,000円。

 ところで、寧波市の人口は530万人。周辺を含めてということですの
で、愛知県よりひと回り小さい規模といえましょうか。面積は愛知県の2
倍弱。市の中心部の人口は180万人とのことですから名古屋市よりワンラン
ク下の数字。中心部には高層ビルが林立し、活気に満ちた都市。おーっと、
忘れてはいけません、日本との深い関係を。遣唐使が日本から船で着いたの
はここ寧波の港。伝教大師が入唐したのもこの港から。当時中国への入り口
だったのです。日本と明との「勘合貿易」の舞台となったのも寧波の港。

 きょうはその寧波から船で普陀山へ向かうのです。普陀山は東シナ海に浮
かぶ島なのでアクセス方法は船しかありません。ホテルからバスで約1時間、
郊外の波止場から船が出るようです。ガイドブックによれば、寧波から普陀
山まで普通船で10時間となっていますが、今回のスケジュール表では1時間。
実際には、午前8時に出航して10時に普陀山に着きましたので所要時間は2時
間。途中1か所寄港してこの時間でしたから、高速船のお陰でしょう。

                 【To be continued. Written by S,HONDA】


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