■研修紀行 X

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アジア文化交流センター04夏の研修──

 中国・高原都市

  麗江・大理・昆明の少数民族との出会い A


 ●最後の名古屋空港

 3階の手荷物検査場の前はガラ空き。この時間の出発便は少ないようです。青いテープがやたら目につく、幾重にも折れ曲がった柵の細道をショート・カット。いきなり検査機の前に到着。テロ対策で、靴の底まで調べられるという報道もあり、添乗員の三和田君が入念に説明。爪切りのハサミもダメ、ということで団員一同神経ピリピリ。“ご指導”よろしきを得てか、ひとりも“精密検査”受けることなく全員無事パス。

 名古屋空港の国際線ターミナル・ビルが新しくなって10年近くになります。搭乗口のゲート・ナンバーやトイレ、売店の位置も頭のメモリーに入って、迷わずにすむようになったところですが、利用するのは今回が最後。来年の夏の研修は、中部国際空港(セントレア)から旅立つことになりましょう。

 中部国際空港は、私が住む知多半島は常滑沖にあります。私の家から20q余、車で3035の距離。小牧の空港へ行くよりは30分ほど早く到着できそうです。名古屋市内からは逆に小牧に比べて、タイムディスタンス、マネー・ディスタンスともに長距離になるのではないでしょうか。ただ、鉄道のアクセスは良好なようですので,名鉄の主要駅近くの方は、名古屋空港よりセントレアの方が便利でしょう。

 20年ほど前だったでしょうか、中部国際空港新設の立地を検討するなか、複数の候補地域が挙げられました。記憶が定かではありませんが、確か三河湾で1か所、伊勢湾内では鍋田沖と常滑沖の2カ所だったと思います。四日市沖もあったかな? そして、ヒンターランドとしては、愛知・岐阜・三重の東海3県が想定されていました。

 立地条件としてはそれぞれ長短あって、複数の候補地がほぼ横並びで議論されていました。当時聞いた、今は亡き友人の言葉が思い出されます。曰く「そりゃ、鍋田沖に決まるよ。知多半島沖や三河湾では、岐阜・三重の立場から見れば遠くてダメだ」。その彼も、新空港立地が常滑沖に決定する前に亡くなられた。鍋田沖空港から出国する夢を抱きながら、お浄土へ旅立たれたのかも。

 ●セントレア開港間近

 セントレアは、当初の予定を繰り上げて、2005217日に開港。工期を短縮したうえ、総事業費を3,000億円も圧縮したとか。合理的経営哲学“トヨタ方式”の面目躍如たるものがあります。そして、その延長線上のプロジェクトとでもいいましょうか、前代未聞の“引っ越し大作戦”が計画されているようです。通常、空港の諸設備・機器備品や機材の移転は、新旧両方の空港を運用しながら順進めていくのが一般的のようです。

 ところが、今回の移転はバトン・ゾーンなしの移転とか。機材は空路引っ越しし、地上設備等は並行して3,000台のトラックで一気に引っ越ししてしまう計画だと、あるメディアは伝えていました。その日知多半島道路は、一般車両は通行止めになるのかな?

 一気移転ということになると、国際線はもちろん国内線でも「発」と「着」の空港が異なることが発生することに。例えば、名古屋空港で車を駐車場に預けて、国内線の飛行機で北海道へ行ったとして、翌日帰着するのがセントレアだったりして…。小牧に預けた車はどうなるんでしょうね。

 そんなくだらんことを考えていると、「ただ今より、中国東方航空MU530便、上海行きの搭乗手続きを開始します。ご搭乗のお客様は5番搭乗口までお越しください」のアナウンス。中国便の場合、バスに乗って駐機スポットまで行き、タラップを登るケースが多いが、今回はボーディング・ブリッジから機内へ。満席のMU530便は定刻13時にテイク・オフ。《次号へ続く/2004.10.2本田眞哉・記》

 

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