■研修紀行 X

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アジア文化交流センター04夏の研修──

 中国・高原都市

  麗江・大理・昆明の少数民族との出会い C

 

 ●国内線でもパスポート

 レストランを後にしてほどなく、バスは虹橋空港に到着。浦東の新空港に比べると、やはり古くて汚い。上海から昆明まで国内線で2000qの旅。名古屋−上海間の1600qと比べてみると、中国の国土の広大さが分かるというもの。中国の面積は日本の26倍、ヨーロッパの面積に匹敵するという。

昆明行きの東方航空MU4550便は30分遅れのインフォメーション。例によって手荷物検査。「パスポートとボーディング・カードを用意してくださ〜い」との指示。エッ?なんで?国内線なのに。テロ対策なのか。人体検査ゲートの感度も名古屋空港よりはるかに高い。ほんのわずかの金物でも「ピー」。

 手荷物検査を通過してやれやれと次へ進むと、なんだこりゃ。国際線と見まがうほどの光景が目の前に。イミグレーション(出入国管理カウンター)と全く同じスタイルでパスポート・コントロールが行われているのです。いったいどういうこと? これまた“対テロ過敏症候群”に罹っているのでしょうか。

 一ノ関・二の関を無事通過して今度は第三の関。それは搭乗口での搭乗券(ボーディング・カード)の“もぎり”。ここで異変発生。通常は、搭乗券の小片の方をもぎり、大きい方を乗客が保持します。ところが今回は逆、大片をもぎ取られ小片の方が乗客に。こんなことは初めて。困ったのは三和田君。座席の公平性の観点から座席番号をアレンジし、変更した番号を大片の方に書き込んでいたのです。それを取り上げられてしまったので変更が変更にならず、その気になった団員はパニック。

 そんなことはよそに、乗機はエンジンを一杯に吹かして離陸。安定した飛行の中、昆明まで直行かと思いきや、経由地があったのです。それは、重慶の西約250qにある都市「宜賓(イービン)」。ストップ・オーバーで30分のトランジット。そんなこんなで、結局昆明空港へのランディングは午後1120分。ホテルに着いたのは、日付も替わって826日午前010分。時差も1時間加わって、長〜い長〜い移動の一日でした。

 ●博物館学芸員がセールス

 ホテルは「ハーバープラザ(昆明海逸酒店)」。五つ星のすばらしいホテル。そうそう、一昨年九寨溝と黄龍の旅で利用した重慶のホテルも「ハーバープラザ」でした。最高級ホテル・チェーンで、安心して泊まれるホテル。旅程最終の29日にも利用することになっているのでうれしい。

 826日(木)昆明の朝は、前夜到着が遅かったこともあってゆっくりスケジュール。7時モーニング・コール、8時バゲッジ・ダウン、9時出発。朝食は6時からできるとのこと。出発を前に、ロビー中央に生けられた、100輪を超えると思われるカサブランカの花が生花か造花か、でひと議論あってバスに乗車。

 外は小降りの雨。きょうは午前の飛行機で麗江へ向かう予定。午前中若干時間の余裕があるため、29日に予定している昆明市博物館の見学を繰り上げてすることになりました。(団員から拍手)

 博物館では、女性の学芸員が流ちょうな日本語で説明してくれました。まずは1階の「地蔵寺経幢(じぞうじきょうどう)」へ。コンクリート造の吹き抜けの建家の中央に「経幢」が立っていました。八角七層、高さ8.3mの石塔。経幢というからには、経典が書かれているのだろう近づくと、サンスクリット文字で経文が彫られていました。般若心経とのこと。

 各層各面に浮き彫りになっているのは、四天王はじめ最小5pから最大1mまでの、約300体の仏神像。今から800年前、大理国時代に造られたものという。因みに、「経幢」の「幢」は「はた」のことで、特に縦長の布の旗のことをいうのだと私は学んできました。が、石造の場合も「幢」と呼ぶのだな、と頭のメモリーに追加することにしました。

 2階に上がって恐竜の骨格展示を見た後、案内されて休憩室とも売店とも思われるところへ。すばらしい玉(ぎょく)の彫り物や、七宝焼・陶磁器などが、黒檀か紫檀でできたガラスケースの中に並んでいました。出土品か重要文物の展示かと思いきや、何とFor sale(売り物)。値段は比較的“お値打ち”でン10万円とか言ってましたっけ。ケース丸ごとでもOKとか。いずれにしても、公立博物館で堂々と学芸員がセールスするとは…、いや、全くオドロキの至り。《次号へ続く/2004.10.2記》


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