■研修紀行 X

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アジア文化交流センター04夏の研修──

 中国・高原都市

  麗江・大理・昆明の少数民族との出会い D

 
 

中国は多民族国家

 2004826日(木)125分発麗江行きの中国南方航空CZ3487便の機材はボーイング737-300。かなり使い込んだ機体で少々心配。窓の風防も傷だらけ。国内線では、中国に限らずこの手のB737が多く就航しているようです。昆明−麗江間は約350q。日本に当てはめれば、直線で東京−京都間に相当する距離。高速道路が急速に延伸しつつある中国でも、やはりこの間のバスでの移動はムリ。双発ジェットB737ならば所要時間40分。

 麗江の空港は、こぢんまりとした瀟洒な空港。専用バスとローカル・ガイドが迎えに来ていました。ローカル・ガイドは少数民族ナシ族の女性で、張(漢名)さん。ナシ族の民族衣装は、白を基調として袖口などに水色をあしらったエプロン・スタイル。背中には毛皮を着け、赤や黄色のプリーツ・スカートを組み合わせた独特のデザイン。そんな民族衣装をまとった彼女は、言語明晰意味も明瞭な日本語でテキパキと要所々々を案内してくれました。

 ご存じのように中国は多民族国家。それぞれ異なった文化を持つ56の民族で構成されています。漢民族が最も多く全体の92%を占め、あとの8%のシェアを55の少数民族が分け合う形。中国の行政区分は、省・県(市)・郷という三級に分かれています。一級行政区は、23省、5自治区(内モンゴル・寧夏回族・新疆ウイグル・広西チワン族・チベット)、4直轄市(北京・天津・上海・重慶)、2特別行政区(香港・マカオ)。これが日本の都道府県に相当。

 今回訪れる麗江・大理・昆明の3都市は、23省の一つ雲南省に属します。雲南省は人口4144万人で、有数の少数民族地帯。漢、イ、ペー、ハニ、チワン、タイ、ミャオ、回、ラフ、ワー、ナシ、ヤオ、チベット、ジンポー、プーラン、プミ、ヌー、アチャン、ドアン、モンゴル、トールン、ジノーなどの民族が居住。主要な農産物は米、サツマイモ、茶、煙草、ゴム、バナナ、パイナップル、漢方薬など。

玉泉公園の湧水清らか

 麗江ナシ族自治県の総面積は7,485平方キロメートル、人口は120万人。自治県の中心になる麗江市の人口は34万人。その中でナシ族は約20万人。他にペー族、イ族などがすんでいるとのこと。ナシ族の「ナ」は納豆の「な」、「シ」は「西」。張さんによれば、ナシ族は納豆が好きとか。

麗江には1997年に世界遺産に登録されたところが3か所あります。それは麗江古城(老街)、束河村、そして白沙村。「麗江古城」とも呼ばれていますが、古いお城ではないとのこと。古い町並みのことをいうのだそうです。3か所の内最も見応えがあるのは「古城」とのこと。

歯切れのよい日本語で説明するローカル・ガイド張さんの現地情報を聞いている間にバスは最初の見学地「玉泉公園」に到着。玉龍雪山が湖面に映り美しいとか。残念ながら当日は山に雲がかかって美景は楽しめませんでした。が、玉泉公園のもう一つのウリ「玉泉」はさすがでした。遠くそびえる玉龍雪山の伏流水が、文字どおり玉のように青く澄んだ泉となって湧き出ているのです。

傑作なのは「珍珠泉」なる泉。大きな声で呼びかける?と泡をともなって清水が湧き上がるとか。大声で怒鳴り散らす人、手を鳴らす人、オペラ歌手並に「オーソレ・ミオ」を歌う人。水面の反射を避けながら池底に目を凝らすと、気のせいか声に応えて泡や砂を吹き上げながら綺麗な水が湧き上がっているように見えました。ただ残念なことに、池底にキラキラ光るものがありました。そう、コインです。トレビに始まったのかこの習慣どうもいただけません。

水は確かに綺麗。2003年に訪れた九寨溝や黄龍の水には負けますが…。この玉泉から流れ出た水は麗江市内に流れ込み、老街や束河村を潤しているそうです。

納西(ナシ)族の固有文化「東巴(トンパ)

玉泉公園の見学を終え、出口門を出たところに東巴(トンパ)博物館がありました。トンパ文化はナシ族固有の文化。独特の象形文字と、独自の製法による紙を使う比類のない文字文化。宗教性もあり、トンパ教と密接な関係を持ちます。文字は1000余あり、トンパ教の教典はこのトンパ文字で書かれているという。トンパ文字の歴史は3000年とも4000年ともいわれ、エジプトの象形文字よりも古い。しかも現在も使われているという点でナシ族は世界唯一の象形文字との自負心を持っています。

しかし、ご多分に洩れずトンパ文化も継承難。六歳になると日干し煉瓦造りの教室で象形文字の勉強を始め、13歳の時にきびしい試験があるとか。試験をパスした賢い数人にトンパ先生が象形文字やトンパ文化・トンパ教を伝授するのだそうです。「トンパ」の育成です。「トンパ」といわれるトンパ文化をマスターした「お坊さん」は、ナシ族20万人中にわずか200人。さらに「トンパ先生」なる「偉いお坊さん」は10人しかいないとか。

東巴博物館は、鉄筋コンクリート造ながら、民家の「三方一照壁」の建築様式を模した建物。正方形の中庭を囲むように展示館が建てられており、明るい感じ。館内には、トンパ文化に関する各種研究資料が盛りだくさんに展示されていました。学芸員らしき職員が日本語で一生懸命説明してくださいましたが、トンパ文化そのものについての予備知識を持ち合わせていなかったためか、今ひとつ分かりづらい部分がありました。

例によって見学を終えると、休憩室か売店か不明なところへ。そこには一種異様な光景が展開していました。昔地獄絵で見た閻魔大王が被っている“王冠”そっくりの冠を頭に載せ、極大の玉に極太の黒縁の眼鏡をかけ、中国風の僧衣をまとった御仁が揮毫中。この人こそ偉い「トンパ先生」なのです。

 でも、見た目の他やさしいお人柄のようで、私たちのリクエストに応じてトンパ文字で揮毫してくださるとのこと。折角の機会と、私も「南無阿弥陀仏」の揮毫をお願いしました。あせらず騒がずクールに、独自製法の手漉き紙に象形文字を書いてくださいました。もちん、なにがしかの“お志”を差し上げました。《次号へ続く/2004.10.2記》







     トンパ文字で「南無阿弥陀仏」


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