●期待はずれの束河村
東巴博物館を後にして、バスは束河村へ。束河村は、麗江で世界文化遺産に登録された三か所の内の一つ。前述のように他の二か所は、白沙村と麗江古城。どこが一番見応えがあるかといえば、ガイド嬢はズバリ麗江古城だとおっしゃる。したがって、束河村は20〜30分の見学にとどめ、古城では1時間余時間を取りましょう、と。
20分ほど走るとバスは束河村に到着。平坦な草地の中に束河村の集落はありました。集落の中へ足を踏み入れてみると、なんと綺麗すぎる。舗道の敷石は真新しく、建物も新しく整然としていました。おまけに、エア・ハンマーの音やカッターの音がやかましく、加えてミニ・トラクターの焼き玉エンジンの音がポンポンポンポンと家並みの中でこだましていました。
歩を進めていくと、あちこちで給排水の地中配管工事をしていたり、瓦屋根葺き工事をしたりしていました。昔ながらの家並みや、そこに住む人々がいる風景を想像していたのに全く期待はずれ。焦点らしき家も、雨戸の隙間から覗いてみると、わずかな商品が並べられているものの、人はおらず休眠中の佇まい。
聞けば、街中?建て替え中とか。工事中、住人は市中の親戚の家に身を寄せて完成するのを待っているとの話。しかし、世界文化遺産を目当てに訪れた観光客としては、修復とはいえ詐欺にあったようなもの。たとえ家が完成して住民が戻ってきたとしても、新築では価値半減ではないでしょうか。
●雲南随一「麗江古城」
期待はずれの束河村を後にして、“目玉”である麗江古城へ。折角の麗江古城なのに、着いた時には時計の針は6時を回っていました。陽はすでに西に傾き始め光線も弱くなっていましたが、街並みの入り口でまずは記念撮影。世界文化遺産のマークをフレームに入れて、全員そろって「ハイ、チーズ!」。
ガイド嬢曰く、麗江古城は「古城」と書くけれども、古い城でもなく、はたまた城址でもない、と。古い街並みという意味だそうです。「老街」と呼ばれる中心部は、南宋(1127年〜1279年)時代に造られた街で、明代の民家が1000余軒あるといわれています。玉泉公園で公園の湧き水が古城へ導かれていると聞きましたが、なるほど、町中を清水が流れ家々を潤しているのが確認できました。
老街の中は五花石を敷き詰めたペーブメント、と言うよりは石畳を敷き詰めた道と言った方がピタリかな。何世紀にもわたる人々の靴底で磨きあげられ、硯のような輝きを放つ小路。雨期はぬからず、乾期はほこりが立たず快適。幅3mほどの舗道の両側にはビッシリと民家が建ち並び、それぞれ思い思いの趣向を凝らして商品を並べています。
建築様式は土木構造の瓦葺き。二階建ての家々がピンと跳ね上がった甍を競うように連ねて建ち並んでいます。落ちかけた瓦やはがれた土壁もちらほら見受けられますが、これまた時代の証左として貴重な原風景。
さすが世界文化遺産、すばらしい街並み。ガイド嬢の説明のとおり、古城は束河村の比ではない。景観の素晴らしさに魅せられて、ショッピングはどこへやら、もっぱら肉眼とカメラのファインダーを通して、脳と電脳にデータをフルに蓄積した次第。
家並みの切れ目からふと視線を下に移すと、さらさらと流れる玉水のほとりにカフェテラス。これまた素晴らしいフレーム。木造の古家を背景に、柳並木の石畳に籐製の椅子とテーブルがしつらえられて茶を喫する客が2〜3人。しっとりと落ち着いた雰囲気。同じカフェテラスでも、自動車の騒音と排気ガス、人混みの足音とほこりに包まれたパリのシャンゼリゼ通りのカフェテラスとは雲泥の差。
老街の古き良き佇まいに充分堪能して町はずれに至ると、そこに獅子山への登り口がありました。獅子山からは麗江の街の甍の波が展望できるとのこと。しかし、登山にはかなりの時間を要するし時刻はもう6時半、パンフレットにある写真の光景を目の当たりにと思いつつも登山を断念。
●名物火鍋料理を賞味してナシ族古楽鑑賞
中国は全国統一時間。国内時差はありません。北京の標準時間が、軽度15度西の麗江はもちろん、同じく40度西のカシュガルでも適用されます。夏のカシュガルでは確か夜10時を過ぎても明るかった覚えです。
ここ麗江では7時半でも薄暮。しかし明るくてもお腹は空いてきます。夕食はご当地名物「火鍋料理」。老街の一角にある、あまり大きくなくあまり(入り口が)綺麗でない「餐庁」へ。火鍋料理は、2002年に九寨溝・黄龍へ行った時に重慶で食した経験があります。
鍋はタイ料理のトムヤムクンで使う鍋とよく似た形。ドーナッツ型の鍋で、中央が煙突になっているタイプ。ドーナッツ部分に肉や野菜を入れてしゃぶしゃぶ風にいただく。重慶で食べた時よりも軽い感じがしたのは食材のせいでしょうか。ビールを飲みながら、鍋をつつきながら四方山話に花が咲き、旅ならでは味わえない至福のひとときでした。
満腹の腹を叩きながら餐庁出てきょうの最終スケジュール音楽鑑賞へ。会場は同じ老街にあり、徒歩数分で到着。「中央音楽学院」の看板を掲げた入り口を入ると中は意外と広い。もう演奏が始まっていました。奏でられているのは納西(ナシ)古楽。演奏は「東巴宮民間芸術団」で、曲目は「ボシーシリ」とか。ナシ族の部落戦争を題材として作られた大型民間音楽史詩とのこと。
楽器は琵琶、鼓弓、笙、四絃、銅鑼、チャルメラなどが使われているようで、とにかく賑やかで明るい演奏。正面の舞台背景や幕にはトンパの象形文字や神様か動物か、おどろおどろしい絵画が描かれていました。幕間では、トンパ教の先生らしきいとやんごとなき老師が象形文字の解説をしていました。
古楽にしても東巴宮にしても、いずれも麗江の主要民族ナシ族のトンパ教を基とした伝統文化そのもの。確実に伝統されているようです。多岐にわたる異文化に触れることができた旅の第一日目は、充実感に浸りながら夜のとばりがおりて行きました。《次号へ続く/2005.2.2記》