■研修紀行 X

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アジア文化交流センター04夏の研修──

 中国・高原都市

  麗江・大理・昆明の少数民族との出会い F

 
 

中国人は旅行好き

旅の二日目、2004年8月27日朝6時。「麗江官房大酒店」11階から眺める麗江の空はどんよりと曇っていました。いささか心配。というのも、午前中に玉龍雪山への登山が予定されているので。

バスはよく整備された新市街を走行中。幅広い道路と新しい街並みが続き、明るく清楚な「白い街」といった感じ。1999年の世界遺産登録を期して建築規制が敷かれている様子で、高層建築は許されずせいぜい二階建てまで。しかも、箱形≠ナなく必ず必ず瓦葺きの屋根を備えています。側壁もサイディングなどは使わず、柱や梁の木部の表し≠ニ白壁。そのコントラストが美しい。

町はずれの広い敷地に、やや大きめの建物が十数棟建っているのが見えてきました。建物スタイルは街並みの建物と同じで茶色の柱と白い壁、そして瓦葺き。ガイド嬢によれば昆明にある雲南大学の麗江学舎とのこと。

学習するのは「旅行科目」とか言っていましたから、おそらく「観光学部」といったような学部が置かれているのでしょう。世界文化遺産に登録されて麗江はまさに観光都市。この重要な観光産業を担う人材を、昆明まで(350q)出なくてもこの地で養成できるというわけ。

専用バスは玉龍雪山の裾野の坦々とした低木地帯を走り続けます。緩やかな上り坂。ただ、窓外に高山植物が散見され、近くの山々の中腹以上が雲に覆われている様子からすれば、知らず知らずのうちに標高が高くなっているようです。ほどなく料金所。登山道は有料なんだ。料金所辺りで標高が2,900mとガイド嬢は言っていましたから、市内より500mほど高い勘定。

「ロープウエイ乗り場に着きました。ここで降りま〜す」とガイド嬢。しかし、辺りを見回しても山の中の道、乗り場らしきものは見あたりません。前方は観光バスが数珠つなぎ。歩いて、歩いて、500mほど歩いてようやく「站(駅)」らしき人混みの広場に到着。

ものすごい人。「今は観光シーズン、中国人は旅行好き。どこも人でいっぱい」とガイド嬢は言っていましたが、まさにそのとおり。何百人の列でしょうか、わがパーティーは?と見れば列の最後尾。列に沿ってか、列が沿ったかお店がズラ〜リ。売っている物はサツマイモ、おでん,くし焼き、トウモロコシ、果物、麺類からアクセサリ、衣服、帽子、雑貨に至るまでさまざま。団員の一人が焼き芋かふかし芋か、黄金色のサツマイモを買ってみんなに振る舞っていましたが、果たしてうまかったのかまずかったのか、はたまたいくらだったのか聞かずじまい。

列はなかなか進みません。並び始めて1時間、ゲートをくぐりようやく室内≠ヨ。やれやれもうすぐかと思いきや、小屋の中は人の列の九十九折り。日本人はわがパーティーだけ、周りはすべて中国人。実によくしゃべる。小屋の中は叫声も交えて賑やかなこと。いよいよリフトの見えるところへ出ました。


●雨もまたよし雲杉坪(UN SHAN PING)

バスを降りてから約2時間、ふわりと空中遊泳の人となりました。陸地を離れたとたん、今までの人のざわめきや雑音がぱたっと消えて無音の世界。鉄塔の滑車をロープが超える時、かすかにコトコトと身体に響く音があるのみ。二人でしゃべる声も全く反響がなく宙に吸い込まれていく感じ。10分ほどで「乗座索道雲杉坪(UN SHAN PING)站」に到着。

雲杉坪は標高3,100m。雨足が強くなってきました。しかし折角の機会、座しているのはもったいない。傘に当たる雨音を聞きながら木道を進む。倒れて朽ちたままの大木あり、苔むす湿地あり、シダの茂る斜面あり。樹齢500年の大木もあり、原生林の素晴らしい景観の中歩を進めて行くと実に気宇壮大に。雨もまたよし。

歩くこと20分、急に視野が開け盆地のような高原に出ました。ここから、万年雪をいただいた玉龍雪山の頂上(海抜5,596m)が見えるはずとのこと。ところが現実は雨の中、雲が低くたれ込め見えるのは乳白色の壁のみ。残念。「これはみなさん方にもう一度訪れてほしいという神様の思し召し」とはガイド嬢のコメント。

帰りしな、ふと見ると小屋の近くにカラフルなナシ族の衣装をまとった男女が数名。記念写真撮影のための貸衣装らしい。男性は直径30〜40pはあろうかと思われる、植木鉢のような大きな帽子を被っています。材質は毛皮かビロウドかあるいは絨毯のようなものかよく分かりませんが、その天辺から長さ50〜60pはあろうかと思われるクジャクの羽のようなものが高くのびています。まとった衣装は赤や黒や緑と原色ずくめ。

女性もカラフルで大きな冠を頭に着け、衣装は白を基調に赤、黄、緑、黒の原色の入り交じったスカートやベストやブラウスを身に着けています。雨に煙る草原を背景にしたこの取り合わせ、一見シュールなようですが自然と実によく溶け合い審美眼をくすぐる光景でした。

白沙村、見どころは「大宝積宮」の大壁画

雲杉坪での散策も1時間ほどで切り上げ、ロープウエイに乗って下山。ロープウエイといえば聞こえはよろしいが、言ってみればスキーのリフト。乗り降りにはコツが要ります。われわれ老人、特にスキーの経験のない人には危険な面も。乗る時もさることながら、降りる時一つ間違えると危険至極。降りたら進行方向でなく、さっと横に逃げないと次のリフトがぶつかってきます。

 時計の針は午後1時を回りお腹ペコペコ。ロープウエイ駅からさほど遠くない、高山植物が咲き乱れる平原のレストランで昼食。レストランの名前は失念しましたがゴルフ場のクラブハウスのような印象が残っています。

満腹の団員を乗せてバスは一路白沙村へ。3時少し前「白沙村文物管理所」といういかめしい看板の掛かった門をくぐり敷地内へ。夜店のような土産物店がズラリ。「買わないものの値段を聞かないこと、品物には手を触れないこと」というガイド嬢の忠言よろしき結果か、団員は…なますを吹く≠ェごとく店の前を素通り。

賑やかな民族音楽が鳴り響く中、最奥の「大宝積宮」に辿り着く。大宝積宮は500年前に創建されたラマ教の寺。宮内には有名な麗江壁画があります。この大壁画は、ナシ族・チベット族・ペー族・漢族の画家が数百年にわたって共同制作したものとのことで、「三教合一」といわれています。宮内は薄暗くよく分かりませんでしたが、中央にお釈迦様が大きく描かれ、周囲には密教の仏様や東巴(トンパ)教の神様、道教の道士などが独特の画法で描かれていました。

一種異様な混合文化の余韻消えやらぬまま、バスは第二の訪問地大理に向けて出発。時計の針は午後3時30分をさしていました。《次号へ続く/2005.3.2記》


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