■研修紀行 X

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アジア文化交流センター04夏の研修──

 中国・高原都市

  麗江・大理・昆明の少数民族との出会い I
 

●大理のハイライト「大理古城」

大理での最後の観光目的地「大理古城」は崇聖寺から10qほど南下したところにありました。午後6時少し前に到着。「古城」とはお城ではなくて、古い家の建ち並ぶところと麗江で学習したところです。大理の「古城」はもちろん古い街並みの保存地区ですが、半面「城郭」の体裁も備えていました。まず「南城楼(門)」の威容に圧倒されました。

あの西安の西門より規模は小さいけれども、高さ10mはあろうかと思われる城壁の上に建つ南城楼は堂々たる風格。金色の瓦で葺かれた二重の屋根が、ペー族建築らしくピンと跳ね上がり威容を誇っています。明代に造られた両翼に延びる城壁もどっしりした石積みで、西安の城壁にもひけを取らない立派なもの。

門の正面、蒲鉾型の通り抜け通路の上には「大理」の大書。その南城楼を背景に、ペー族の民族衣装をまとった美女5人とともに全員の記念撮影。

門をくぐって“城内”に入ると、100年前にタイム・スリップした感じ。石畳の広い通り「復興路」の両側にはペー族の古い民家・商家が軒を連ねていました。黒瓦葺きの屋根はかなり傷んでおり、茫々と草が茂っているところも。

店には、玉製・銀製の装飾品、藍染めの衣服・袋物・ハンカチ・タペストリーから桃や杏、飲料水等々に至るまでさまざまな商品が並んでいました。また、手押し車や天秤棒でかついで農産品を売る姿も。この広い通りは「復興路」と呼ばれ、城郭内を約1.5q貫き、北の端には北城楼(門)があります。時計の針はすでに6時過ぎをさしており、北城楼まで行くのは無理。南城楼方500mほどのところにある五華楼で引き返してきましたが、通りはものすごい人出で賑わっていました。ただしみんな中国人、外国人は私たちだけ。

大理での見学体験は盛りだくさんでした。有形無形の「おみやげ」をいっぱい積んで、バスはホテルに向けて大理古城を後にしました。


●アジア・ハイウエイの一環か

8月29日日曜日早朝、中国東方航空で昆明に向けて出発。珍しく定刻より早く離陸したMU4448便は8時50分に昆明空港にランディング。直ちに石林の見学へ。石林は昆明から南東へ120qのところ。素晴らしい高速道路ができていました。片側3車線、制限時速80q。中央分離帯より車線が「超車道」中央・右車線が「行車道」。この立派なハイウエイ、いわゆる「アジア・ハイウエイ」の一環なのかも。

アジア・ハイウエイの計画があることはご存知のとおり。数年前、ベトナムでもアジア・ハイウエイ「A1」の工事が進められているのを目の当たりにしたことがあります。「INTERNATIONAL HIGH WAY」情報によりますと、中国・昆明─タイ・バンコクを結ぶ道路が実現化に向けて動き出したということです。ルートは、昆明─景洪(シーサンパンナ・中国)─ムオンジン(ラオス)─ファイサイ(ラオス)─チェンライ(タイ)─バンコク(タイ)。

このうちネックはラオス国内。ラオス北部の幹線道路である「国道3号線」248qは国道とはいえ道幅も狭く、未舗装部分もあり、雨期の4か月間は閉鎖されるという。アジア開発銀行(ADB)は、大メコン圏地域経済協力プログラム(GNS)の下ラオス国内の道路改修工事に2002年末3000万ドルの融資を決定。タイ政府と中国政府も各3,000ドルラオス政府に協調融資し、ラオス政府も一部コスト負担し、目下工事が進捗中。2005年には雲南省・昆明からタイのバンコクまで道路が繋がるとのこと。国際規格級の高速道路とも石林ICで別れを告げ、10時半「大石林」の駐車場に到着。《次号へ続く/2005.4.2記》



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