■研修紀行 Y

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アジア文化交流センター05夏の研修──

 中国・雲南

  シャングリラ《中(ちゅうでん)》を訪ねて A
 

セントレア発上海へ

 2005年8月22日月曜日、さあいよいよ中部国際空港(セントレア)から出発です。私にとっては2回目の旅立ちとなるセントレア。名古屋空港に比べると平面構成が単純で空港全体のレイアウトが把握しやすい。また、今までと違って預託荷物の安全検査が預けた後に空港側でやってもらえるので、自分で検査ブースに並んで重いバゲッジを検査台に載せる必要がなく楽チン。

 手荷物検査は相変わらず厳しい。団員の1人は、フィルムケースの中まで調べられたとかで戸惑い気味。どうも金属製のケースや金属箔の袋などがくせ者で、X線で透視できないために中身が危険物ではないかと疑われるようです。これからは気を付けなくっちゃ。

 でも、靴の中まで調べられるという噂もありましたが、スニーカーを履いたままでパス。万博の安全検査ではベルトのバックル、コイン1つでもアラームが鳴ったこともありました。検査慣れしたためか、今回はあまり不快に感じることはありませんでした。

 イミグレのパスポートコントロールを済ませてロビーに出るとここは“国外”。いわゆる「免税店」がズラリ。それぞれブランドのロゴの看板を誇らしげに掲げています。ところが、セントレアの免税店は他の空港に比べて端的に言って数が少ない。家内が知人に頼まれた化粧品のブランド店はなく、目当ての男性用ベルトのブランドも出店していませんでした。開港日2月17日に訪れた時も無く、準備不足の故かと思っていましたがこの日もダメ。まだまだこれからかな?

 さて、15時20分発のチャイナ・イースタンMU292便上海行きはほぼ定刻に搭乗案内。定刻10分遅れの15時30分テイク・オフ。ところで、いつも疑問に思うのはタイム・テーブルの15時20分出発というのはどの時点をさしていうのか、ということ。

 入り口のドアが閉まって、機体がボーディング・ブリッジを離れた時をさすのか、あるいはタクシー・ウエイを移動して滑走路に入りエンジンを吹かして滑走を始めた時なのか、はたまた滑走を続けて機体が離陸速度に達し、パイロットが操縦桿を引いて機体が陸を離れた(テイク・オフ)瞬間をいうのか、前々から私が抱いている疑問点。正解をご存知の方は教えてください。

 5分のズレでも衝突を引き起こす列車の場合と違って、管制官のコントロールに従って離発着する航空機は、20分や30分のズレがあったって気にするほどのことじゃないよ、との声も。まぁいいっか?

●イミグレーションで流れは頓挫

 エアバスA300の乗り心地は快適。日本のビールもあるし、機内食も美味しい。和風のメニューもあり日本人に心配りしている様子。それもその筈、おそらく乗客の8〜9割は日本人が占めているのですから。和食部分の調理は多分常滑のケータリング会社の手によるものでしょう。

 セントレア開港前に、小牧のケータリング会社が常滑へ引っ越ししなければならないというんで、大変だというような新聞記事を読んだことがありました。考えてみると1日何万食という食事を毎日作り続けなければならない、しかも食中毒は絶対に許されないということで厳しい業務。でも、順調に推移しているのでしょう、その後トラブルの情報はありませんから。

 余計な心配をしている間に乗機は上海空港にランディング。予定より10分早く16時40分。もちろん浦東地区の新しい空港。開港当初は、国際線の航空機が古い紅橋空港に着くこともあったとかで、到着してからコネクションの時間が不足して困ったという失敗談を聞いたことがあります。今は全ての国際線が浦東空港に着陸するので心配無用。

 ここまでは順調に運んできましたが、イミグレで流れは頓挫。イミグレのブースは12〜13あり、外国人用が10ほどあったと思いますが、どのブースも長蛇の列。というよりも人のかたまりで埋め尽くされていたといったほうが正確かも。

 列の短そうなところへ移ってみたりしても流れは同じ。列がほとんど前へ進まない。人垣で前の様子が見えないので何が原因か分かりません。役人の事務作業がのろいのか、あるいは照合するコンピュータの処理速度が遅いのか。1人処理するのに2分はかかったようです。

 しかし、誰も文句を言わず、よくもじっと我慢しているものだと感心、感心。ようやく団員全員が入国できたのは18時半ごろ。ランディングから入国まで約2時間を要した勘定。今までに経験したことのない入国審査でした。

 ずっと以前の中国への入国手続き(団体)はリスト方式。ビザ申請の一覧表の順番に一列に並んでイミグレの“改札口”を通り抜けるというもの。団体客は一般客より優先で扱ってくれたので入国にはあまり時間がかからなかった覚えです。

 入国審査をすませると次は預託荷物の受け取り。イミグレであまり時間がかかったのでターンテーブルはもう止まってしまっていて、着便の電光表示もOFF。幸い加藤祐伸副団長が一番乗りしてグループの荷物をキープしてくださっていたので、ノー・プロブレム。個人客の中には自分の荷物が見つからないので右往左往。クレーム処理のボックスで保管されているという情報を提供してあげたら荷物が戻りその人もホッ。

 バゲッジを転がしてゾロゾロと進みながら、新空港ももう古びてきたなと辺りを見回しているとまた一難。「バスの駐車場は2階なので、荷物を持って上へ上がってもらいます」と現地ガイド。エレベーターはどこなのか聞く間もなく、列は狭い階段へ。20s弱のバゲッジをゴトンゴトンと階段へ打ち付けながら、一方で手荷物を持って悪戦苦闘。駐車場へ出たら雨。雨の中を重い荷物を持って一目散にバスまで。いやはや参った。

 現地ガイド氏、バスが走り出すや否やしゃべりまくります。イッセー尾形まがいの風貌の男。その名は王少政氏。宝鋼集団上海国際旅行社の日本語通訳。言語明瞭、元気があってよろしい。バスは30分ほど走って浦東新区のホテル「紫錦山大酒店」に到着。ヤレヤレ。《次号へ続く/2005.10.2 記》


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