■研修紀行 Y

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アジア文化交流センター05夏の研修──

 中国・雲南

  シャングリラ《中(ちゅうでん)》を訪ねて B
 

●ルート変更

 8月23日火曜日、上海の朝。宿泊した「紫錦山大酒店」は★★★★ホテル。曇り空にそびえる青いミラー張りのタワー。40階建ての豪華ホテル。最近中国では次々と近代的な素晴らしいホテルがオープンしています。

 6時50分、専用バスは空港に向けてホテルを出発。そう、空港といっても昨日セントレアから到着した浦東空港ではありません。町中にある旧上海空港「虹橋国際空港」。国内線の多くはこの虹橋空港をターミナルとして発着しているようです。セントレアは、同じターミナルの中で国際線−国内線の乗り継ぎが簡単にでき非常に便利。

 上海の場合は、「浦東」と「紅橋」の間の移動に車で約1時間半を要します。新空港(浦東)開港当時、国際線の到着が両空港に分かれていたため、着陸空港を確かめずに搭乗した乗客が想定外の空港に着陸し、予約した国内線の便に乗り継げなかったという失敗談もあったようです。 

余談はさておき、私たちの乗機上海航空FM9451便は、珍しく定刻より早く11時40分昆明空港に安着。昆明は雨。篠突く雨の中をバスはレストランへ。レストラン近くの交差点はまるで川。タイヤが見えないほど冠水した道路を、乗用車が波を蹴立てて行き交っていました。センターラインも中央分離帯も見えず危険千万。ガイド嬢によれば、昆明市内は排水設備が悪くよく道路が冠水するとのこと。

そもそも、今回の旅の当初計画では私たちが昆明の町に来ることはなかったのです。上海から麗江へ飛び、麗江から山岳道路をシャングリラ(中甸〈ちゅうでん〉)までバスで登っていく予定でした。ところが、出発直前日通航空の三和田君から8月はじめの豪雨でその山岳道路が寸断され通行不能になったという情報が入ったのです。

さて、どうしよう。急遽対応策を検討したところ、麗江−中甸は航空路線がないため、上海−昆明−中甸の乗り継ぎ便を利用する以外方法はない、ということになりました。早速団員各位に連絡して個々に了解をいただき、ルート変更に至った次第。

●予定外の昆明見学からシャングリラへ

ということで、予定外の昆明での3時間余、有効に活用するにはどこを見学したらよいのか。団員の多くはすでに2〜3回昆明を訪れています。団員がまだ行ったことがないという共通項から、まずは「金殿(きんでん)」へ。

小高い山の上の「大和宮」に「金殿」はありました。400年ほど前に建てられた銅製の御堂。それほど大きくありませんが二重屋根の重厚な建物。250トンの銅が使われたとか。正面の扁額に「南無無量壽佛」と金文字で書かれていました。本尊が阿弥陀仏であるかどうか定かではありませんが、わが浄土真宗のご本尊と共通の仏名を見つけて感慨一入。

次の見学地「圓通禪寺」に到着したころには雨も上がり、広大な境内はしっとりとした佇まいを見せていました。山門をくぐるとなだらかな下り坂。上り坂が定番の中国の寺院様式の中では異例。八角亭の前には広い放生池があり数匹の亀が遊泳中。奥にそびえる大雄宝殿は実に雄大。本尊は釈迦牟尼仏。1200年の歴史があるという。大雄宝殿の前で団員一同記念撮影、「ハイ、チーズ」。

バスは昆明市内の繁華街を通り抜け一路空港へ。昆明の空港は市街地から3qほどのところにあり、非常に近い。昆明18時10分発中甸行きのMU5931便は定刻にテイク・オフ。ボーイング737型機は順調に飛行を続けること1時間弱、午後7時に香格里拉(シャングリラ)空港にランディング。

香格里拉空港は、小さいながら新しい瀟洒な空港。現地ガイドがお出迎え。中型バスに団員20名+スルー・ガイド+ローカル・ガイドはかなりきつい感じ。走り出すとローカル・ガイド氏が自己紹介。「はじめました、私の名前はタン・コウ・カ」。

“言語明瞭”のようで“意味不明”な部分の多い説明の始まり。以後3日間、タン・コウ・カ氏の説明の言葉が腑に落ちるまで、頭の中の単語カードをめくる作業が続きました。発音と照らし合わせて“解読”するのに疲れました。聞くところによれば、この地を訪れた日本人ツアーは3組目で、彼が初めて担当したのが我々のグループとか。むべなるかな。

彼の出で立ちはといえば、豹柄、いや、本物の豹の毛皮とかいってましたっけ、そのコートの片袖を脱いで、たすきがけといった感じのコスチューム。チベット族の青年ガイド。思えば遠くへ来たもんだ。中国の僻地の夜は更けていきました。《次号へ続く/2005.11.2記》


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