●天界神川大酒店は超豪華ホテル
8月24日水曜日。当初計画では麗江の朝ということになるのですが、前述のように豪雨禍のために麗江を飛び越えて一気に空路中甸入りしたため、シャングリラで朝を迎えることになりました。
昨日到着が夜となったため気が付かなかったのですが、宿泊のホテル「中甸天界神川大酒店」は凄いホテル。昨年オープンしたばかりの五つ星の超豪華ホテル。部屋数266、室内プールあり、サウナあり、ヘルス・クラブあり。もちろんバーもありカラオケもある。ルーム・タイプにはチベット式と洋式があり、私たちが泊まったのはチベット式。
別にチベット式といっても土間で寝るわけでもなく、ベッドもありテレビもあります。部屋の雰囲気がチベット風というだけ。ただ、洋式の部屋にはバスタブがありますが、チベット式の部屋にはバスタブはなく、シャワーonly。
バスタブがないのは日本人としてはさみしい限りですが、高山病対策としてはグーッ。なぜかといえば、高地では長時間湯につかるのは禁物、シャワーでも15以上はダメとのこと。3連泊はありがたい、シャワーonlyでも我慢々々。
4階建ての校舎のような客室棟が2棟並んで建てられ、その中底を透明な屋根ですっぽり覆った建築様式。鉄パイプの屋根裏構造材が野暮ったい感じですが、標高3,300m夏でも寒い中甸では理にかなった風雪対策といえましょう。
ホテルの正面の外観もチベット建築の装いを施した豪壮な感じ。巨大な木組みを模した玄関アプローチ。その前面にドラム缶の3倍もあろうかと思われる金色の巨大マニ車が置かれ、ゆっくり回転していました。また、玄関棟の外壁にはチベット風の飾り窓がしつらえられ、伝統的建築様式を象徴的に表していました。
午前8時、その玄関前に私たちの専用バスが到着。きょうは予定外の1日ということで、遠隔地という理由で当初計画ではオミットしていた「白水台」を復活して日程に組み入れることになりました。
白水台は中甸の町から東南へ100q余の山の中にあります。どんより曇った空のもと、バスは目的地目指してホテル前を出発。と、間もなく売店らしきところで停車。何ごとかと思えば高山病対策なのです。「高山病の心配のある方はここで酸素カンベや薬を買ってください」とガイド氏。ン?酸素カンベ? ああそうか、酸素ボンベと缶詰のカンがチャンポンになったのだ。なるほど、店に並んでいるのは酸素が詰められたブリキ缶。
「それから、雨が降りますので、持っていない人はアメ・ウワギとアメ・ズボンを買ってください。なぜかといえば、写真を撮る時傘をさしているとカメラが持ちにくいです」。「アメ・ウワギ」「アメ・ズボン」とは、何のことはない雨合羽のこと。「酸素カンベ」や「アメ・ウワギ」などは、その意味するところを容易に類推することができますが、以後たびたび出くわした“Chapanese”の中には腑に落ちるまでかなり時間を要する発音や、全く解らないまま過ぎてしまった言葉もありました。時には団員が声を張り上げて正しい発音を“伝授”する場面も。
●白水台(白地村)は東巴教発祥の地
「ゆうべ寝る時、ときどき起きました、ときどき寝りました。これは高山病の兆候ですね」とガイド氏の案内の声を乗せてバスはひた走ります。と、突然ストップ。バスの前方を見ると小規模ながら崖崩れ。大小の岩がゴロゴロ。このまま進めば大きな岩が車体の下に食い込んで動けなくなるのは必至。
サイドブレーキを引いてドライバー氏は落石現場へ。ズボンの裾をまくり上げ、足で岩を転がして通路を確保しバスは出発。右に左にハンドルを切って大小の岩の間を縫うようにして無事通過。
道中の山道は概ね舗装が行き届いていて意外と走りやすい。ただ、いくつもの峠を越えるためヘアピンカーブの多いこと。かなり多くの団員が車酔いに悩まされました。滅多に車酔いをしない私自身もやられました。高地の酸欠が引き金になったのかも。
ホテルを出てから3時間、白水台に到着。途中降っていた雨も上がりヤレヤレ。白水台の登り口には「東巴経地白水台」と天然板の上に木片で書かれた看板が建っていました。「東巴」といえば、昨年麗江を訪れた時のことを思い出しました。
納西族の東巴博物館で「トンパ先生」なる東巴教の偉い坊さんが、おどろおどろしいコスチュームで伝統ある象形文字を、これまた伝統的製法によるトンパ紙にしたためていました。東巴の象形文字はエジプトのそれよりも古い歴史を持ち、しかも現在も使われているという点では世界随一とか。
こうした東巴文化は、チベット仏教(ラマ教)やボン教などから生まれた東巴教がその源泉。その東巴教の開祖がここ白地村の出身とか。「白水台簡介」と書かれた説明看板に「東巴教発祥地」とありました。ということは、この村にはナシ族が暮らしているということなのです。
登り口のコンクリート製の階段を昇り切ると細い地道が続きます。しばらく進むと、中国各観光地の例のごとく「駕篭かき」が駕篭を勧めます。団員の中にはなにがしかの駕篭賃を払って乗った人も。駕篭といっても日本のお駕篭とは違い、梯子の中央に椅子を乗っけたようなシロモノ。駕篭かきが2人で梯子状の前後をかついで坂道を登るという寸法。
こちらはゆっくりゆっくりと狭い小径を歩き、木製の階段を上り、木道を進み、また階段を上る。標高2.600m余と高地のため、走ったり早歩きをしたりは禁物。酸素不足で高山病になりかねません。
40分ほど歩き続け木階段を上り詰めると突然視野が開けました。山の中腹のテーブル状の台地に出たのです。一般的な中学校の運動場ほどの広さかな。見晴らしがよく、遠くに山々をのぞみ、はるか下方の谷には村落が見えます。
奥の茂みの方から何やら人の生活の音と匂い。と、ナシ族の民族衣装を着た女性が2人現れ、奥から子どもの泣き声。女性がニコッと愛想笑い。どうも有料モデルのようです。10元(140円)払ってパチリパチリ。最後は泣き声の坊やも加わってまたパチリ。
ところが、肝腎の石灰岩の「棚田」が見えません。登山の道すがら見えていたクリーム色の棚田は足の下。崖っぷちまで出て恐る恐る下を見ても端っこしか見えない。逆に少し下ったところからの方が見えそうだ。ということで試してみると、水をたたえた棚田状の池がある程度は見えました。ガイド氏が言っていたように、時計回りに棚田の右側まで回り込むと全容が掴めたかも。でも、そこまで歩くのは大変、ここでフィニッシュとしましょう。
2002年のアジア文化交流センター研修旅行で、今回の団員の多くが世界自然遺産の「黄龍」を訪れ、同じく石灰華が造り出した自然の造形美を見て感嘆の声を上げました。正直、白水台の景観はそれほどではありませんでした。規模の大きさ、色・形の多様性という点から見ても黄龍の方がはるかに優位。数十倍かも。
下りの道行きは楽々。せせらぎの音を聞きながら、高山植物をカメラに収めながら…。それでも所要時間は20分足らず。時計の針が12時半を指しているにもかかわらず、あまり空腹感がありません。車酔いの後遺症のせいか、はたまた高地の酸素不足のせいでしょうか。
《次号へ続く/2005.12.2記》