■研修紀行 Ⅵ

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アジア文化交流センター05夏の研修──

 中国・雲南

  シャングリラ《中(ちゅうでん)》を訪ねて ⑥
 

御本家ポタラ宮往詣追憶

 思い起こせば今から17年前、1988年盛夏、チベットはラサに旅しました。ラサは、上海から真西へ3,000㎞のところ。北緯30度線に沿って、上海・成都・拉薩はほぼ一直線上に並んでいます。当時の飛行ルートは上海から成都へ飛び、そして成都からラサへ入るコース。

 ラサ空港に長い滑走路が新設され、ジェット機が乗り入れできるようになって間もない頃でした。遅延やフライト・キャンセルがザラの時代でしたが、幸い私たちの乗機はほぼ定刻にラサのクンガ空港に安着。滑走路に降り立つと空気がピーンと張りつめた感じ。太陽の光線もキラキラと強く、透き通った光の矢が肌にピリピリと突き刺さるようでした。標高3,000m超、酸素が少なく、空気が綺麗すぎるほど綺麗なせいでしょうか。

 酸素が少なくなれば高山病が心配。空港からホテルに向かう途中、車窓からヤルツァンポ川の川縁に摩崖仏が見えました。写真を撮ろうとバスを降りて歩き出したとたん、足がふらついて何か身体が宙に浮いた感じ。そう、高山病の兆候。宿泊のホテル「ホリデイ・イン」のあるラサの街は空港より数百m標高が高く3,600m余。ホテルに着いた時にはメンバーの半数ほどが高山病にかかりグッタリ。

 同行の医師の手当のお陰か、身体の“慣れ”のせいか、かなりのメンバーが回復したものの、2~3名は滞在中ずっとベッドの中。折角ラサを訪れながらお気の毒といおうか、残念といおうか…。二日目からラサ市内見学。強烈な日差しの中まずはチョカン寺へ。

チョカン寺はトゥールナン寺または大昭寺ともいわれラマ教の総本山。前庭は猛烈な人の群れ。門前では果てしなく続けられる「五体投地」。その脇をすり抜けるようにして堂内に入ると、中は薄暗く燈明に使うバター油の匂いと煤が充満しむせ返るよう。

チョカン寺をぐるりと一回りする八角街(パルコル)にはバザールがビッシリ。経本や数珠、ジュータンから飾りナイフ、薬草等々に至るまであらゆるものが売られていました。そして、そんな雑踏の中を五体投地しながら尺取り虫のように右繞(うにょう)していく真摯な巡礼者。目に映るもの全てが異郷色豊か。




        

「政教一致」のシンボル

 初日のカルチャー・ショックで“慣らし運転”をすませて、二日目は旅のハイライト、ポタラ宮殿の見学。ポタラ宮は吐蕃国王ソンツァンガンポが7世紀に文成公王のために築いた王宮。マルボリの丘に裾拡がりの形で立ちはだかり、高さ170m東西420mで13層、部屋数は1,000という大建築物。東洋のベルサイユ宮とも、垂直のベルサイユ宮ともいわれるのもその故なのでしょうか。

 そうした構造を利用してか、バスはポタラ宮背面の裏門へ登り、最上層から宮殿内を順次見学しながら下って正面出口に至るという寸法。ポタラ宮は「政教一致」のシンボル。チベットの活き仏「ダライ・ラマ」の行政庁であり居所であると同時に、ラマ教寺院でもあるわけです。

幾つかの王宮の部屋を見学したあとラマ教寺院ゾーンへ。内部は真っ暗。予め用意していった懐中電灯で照らしてみても、堂内が広大なため断片的な様子しかつかめません。もちろん燈明はバター油。その数は数百個を超えるでしょうか、いや、千個超か。バター油の匂いと燈明の焔(穂の先)から立ち上る煤で一種異様な雰囲気。                                     

 煤煙を通して進む懐中電灯の光束の先には、ギンギラギンの仏像や階段状に並ぶ高僧の像。中央にデンと安置されているのはダライ・ラマの像で、お釈迦様や菩薩様の像は「脇」とのこと。チベット仏教が「ラマ教」と言われるのもむべなるかな。

 脱線・「御本家ポタラ宮追憶記」が長くなってしまって失礼しました。チベット自治区のラサとここ雲南省の中甸とは1,000㎞の距離がありますが、また規模においてもポタラ宮とここ松賛林寺とは数十倍の差はありましょうが、同じラマ教、感じられる雰囲気は同じ。

 私たちの専用バスは山門前を出発して間もなく、松賛林寺の全景がカメラに収まるスポットに到着。入り口の木戸番らしき男に10元を払って“入場”。なるほど松賛林寺の全景が何にも遮られることなくファインダーの中に収まります。ただ惜しむらくは、ガスっているため、特にズーム・アップした場合薄膜に覆われた感じになりそう。

 午前のスケジュールはこれまで。午後は自然を求めて納?海(なばかい)や属都湖(しょくとうこ)へ。《次号へ続く/2006.1.19記》


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