■研修紀行 Ⅶ

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アジア文化交流センター06夏の研修──

  ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅

 クーデンホーフ光子ゆかりの地を巡って ①



●中国からヨーロッパへ

アジア文化交流センターの夏の研修、ここ数年は「中国少数民族の郷を訪ねる旅」のテーマのもと、昆明・大理・麗江・中甸・九寨溝・黄龍等々、中国各方面を訪れる旅を続けてきました。そうしたなか、中国の少数民族の地を訪ねる旅も、一般商品コース開発のパイオニア的役割を果たしつつほぼ一巡した感があります。

そこで、今年からは探訪先の方向転換をしたらいかがか、との会員諸氏のご意見をもとに鋭意検討を進めた結果、ターゲットをヨーロッパに絞ることになりました。とはいえ、単にヨーロッパを見て歩くだけでなく、少々大げさながら、わがアジア文化交流センターのアイデンティティーに沿った旅でありたいということから、テーマを「ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅」としました。

ヨーロッパにアジア・日本との関わりのある地を訪ね、できれば何らかの交流を持とうというのがねらい。しかし、アジア・日本との関わりといっても視点はいろいろ。「物」の交流、「人」の交流をご縁として生まれたケース、あるいは「芸術・文化・技術」の交流を契機として生まれたもの等々、その生い立ちはさまざま。また年代も16世紀から現代に至るまでの広範な時代にわたるかも知れません。

新設定のテーマ「ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅」シリーズの第一弾として、今年は「人」の交流の足跡を辿ることとし、「クーデンホーフ光子ゆかりの地を巡って」をサブ・テーマとする研修旅行を実施する運びとなりました。クーデンホーフ光子、クーデンホフ光子、青山光子、青山みつ等々、名前の情報はいろいろありますが、全て同一人物。

新テーマを憶念するなか、「クーデンホーフ光子」に想いが至ったきっかけはNHK-TVの番組。思案を巡らせていくうちに、身近なところでおぼろげながら聞いていた話題と共通点があることにはっと気づいたのです。昔から「不思議なご縁」とはよく言ったもの。

私こと、地元愛知県東浦町の教育委員を20数年務めさせていただいております。その間に4年ほど委員職をご一緒させていただいたお一人に、成田照導さんという方がいます。その成田さんが、クーデンホーフ光子のかつての居城・ロンスベルグ城の修復に力を尽くしておられる云々と、風の便りに以前聞いたことを思い出し、成田さん宅を訪問。成田さんからは資料をもとに懇切なご説明をいただき、たくさんの情報を頂戴することができました。
 
 
 
●シュミット・村木眞寿美さんのこと

今から数年前のこと、2000年にドイツを訪れた成田さんは、ミュンヘン在住のシュミット・村木眞寿美さんの案内で修復工事中のロンスベルグ城を訪れ、ドイツ側の修復責任者に会ったのがことの発端だったようです。シュミット・村木眞寿美さんの企画による修復寄付金付きツアーが数次にわたって実施されたり、成田さん自身も多額の修復資金を寄せられたりして、修復支援活動はかなりの広がりを見たようです。

因みに、ロンスベルグ城修復支援活動を主宰するシュミット・村木眞寿美さんのプロフィールは以下の通り。

1942年東京生まれ。早稲田大学文学部大学院芸術科修了。

1968年よりドイツ・ミュンヘン在住。

1982年ドイツ国籍取得。

1998年度日本ベルツ賞受賞。国境を超えた文化交流にカを注ぐ。

現在、クーヂンホーフ光子が暮らしたロンスペルク城再建のための活動を続けている。

  主な著作


  *『クーデンホーフ光子の手記』      1998年  河出書房

  *『ミツコと七人の子供たち』       2001年  講談社

  *『花・ベルツへの旅』          1993年  講談社

  *『レイモンさんのハムはボヘミアの味』  2000年  河出書房新社

  *『もう、神風は吹かない』        2005年  河出書房新社

 
 その後、シュミット・村木眞寿美さんは東浦町を2~3回訪れて、寄付金募集の件や、修復支援会の置かれているドイツのフルト・イム・バルト市との姉妹提携のことで町の要職者とあったり、町内の石庭の現場を訪れたりしています。そうそう、町の中央図書館の創立10周年の記念行事の一環で記念講演にも出講いただきました。

 《次号へ続く/2006.09.2 記》



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