■研修紀行 Ⅶ

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アジア文化交流センター06夏の研修──

  ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅

 クーデンホーフ光子ゆかりの地を巡って ③




●団員30名快適フライトでEU安着

話がITの脇道にそれてしまいましたが、そのEメールでシュミット・村木眞寿美さんと旅の日程調整をし、最終的に8月24日午前11時半にロンスベルグ城直近のホテルで会う約束ができました。また村木さんから、同日午後1時半に地元のジハ町長とロンスベルグ城のインフォーメーションセンターで会うアポイントメントも取れた旨のメッセージを受信することができました。数々の連絡・調整が簡単にできたのも文明の利器・インターネットのお陰。

かくして、旅の主目的であるロンスベルグ城での交流活動のスケジュールも確定。そして現地で、クーデンホーフ・光子のことやロンスベルグ城修復支援活動のことについて、シュミット・村木眞寿美さんからレクチャしていただくことについても快諾の返信を頂戴しました。準備万端整って、さあ出発!

2006年8月21日月曜日午前7時40分。開港2年目を迎えた中部国際空港(セントレア)3階の国際線出発ロビー。集合時間よりかなり早く到着。知多半島に住む私にとっては、セントレアは非常に便利。家から徒歩7~8分の最寄りのJR駅前からセントレア行きの直通バスが運行されているのです。空港までノン・ストップ。所要時間は37分。

集合時間8時25分までには団員全員が集合。今回の研修団は、添乗員1名を含めて30名で編成。例年の15~20名の団編成に比べると大デレゲーションということになりましょうか。会員高齢化の中、ヨーロッパまでの12時間のフライトは身体に応えるだろうから、最低催行人員15までに達するかどうか心配していたところ、意外や意外、一時は申し込みが30名の定員をオーバーしてウエイティングの方が出る始末。が、キャンセルの方もあって30名で最終決着。

ルフトハンザ・ドイツ航空LH737便は定刻10時25分にテイク・オフ。私としましてはルフトハンザ・ドイツ航空を利用するのは3回目ですが、過去の経験からすると満足度の高い航空会社。ただ、三和田添乗員からの情報によりますと、シートの取り方にやや問題があるようです。日本の航空会社ですと、団体客の予約席はほぼまとめて、いわば連番でいただけるようですが、ルフトハンザ・ドイツ航空の場合はアト・ランダム。

どういうプログラムを使っているのか分かりませんが、4人続きがあったりペア席があったりシングル席があったり、しかも飛び飛びで添乗員泣かせ。窓際席のローテーションや夫婦ペア席を考慮に入れて席割りをするのは大変でしょう。ボーディング・カードに打ち込まれた氏名席番そのままならば手間暇かからないのでしょうが…。因みに、帰国時ヨーロッパ(フランクフルト)でチェックインした場合は、特にバラバラになるとか。ドイツ合理主義といいましょうか、はたまたビジネス効率最優先といいましょうか…。

乗機エアバスA340-300は快適なフライトを続け、現地時間15時15分、日本時間22時15分にフランクフルト・ライン・マイン空港にランディング。フライト所要時間は予定より30分ほど短縮されて11時間45分。それでも太陽を追っかけて飛行するので、いつまでも陽が沈まない長~い長~い1日の感じ。着後EU入国の審査をすませ、同じくルフトハンザ・ドイツ航空のLH3538便に乗り換え、オーストリアのウイーンへ。

●シェーブルン宮殿とクーデンホーフ・光子の旧居

8月22日火曜日、ウイーンはシュタット・パルク近くにあるインターコンチネンタル・ホテルで朝を迎えました。時差の関係か、飛行機の中で寝過ぎたためか早いお目覚め。レストランで朝食を、と出かけましたが準備中のようなので散歩に出ることに。外気は意外と涼しい。というよりも長袖シャツにベストを着ていても肌寒い感じ。

そういえば、前出ミュンヘン在住のシュミット・村木眞寿美さんから8月中旬にEメールで、日中の最高気温が20℃、朝夕は15℃という情報をいただいていました。時には日中でも13℃のこともあったとか。マフラーやスカーフを用意してきた方がよいとのご助言も。7月のヨーロッパは40℃の熱波が襲っている、とニュースが伝えていたのがウソのよう。

8時30分、ウイーン市内見学とクーデンホーフ・光子の墓参りに出発。大型観光バスに30名がゆったりと座ってホテル前から発車。現地ガイドは館野さん(女性)。透き通った歯切れのよい日本語で説明。私こと、過去数回ウイーンを訪れていますが、今回は20年ぶり。街の中心部のリンクやケルントナー通りの様子はあまり変わっていないようです。路面を走る赤い車体のトラム、地下鉄の駅を示すUマーク、スターツ・オパー(国立オペラ座)、ニューイヤーコンサートで有名な楽友協会ホール等々、20年前を思い起こして懐かしい。

ただ、町並みが何となく白っぽく見えるような感じがしました。特に国立オペラ座など。黒っぽかった古い石造建築物が磨かれたのか、リフレッシュされたのかそんな感じを受けました。私の目が年を取ったせいでしょうか。そんなことを考えているうちに専用バスはシェーンブルン宮殿に到着。

シェーンブルン宮殿は黄色を基調としたデザインの建物。どっしりした感じではありますが、上品といいますか、すっきりした外観のデザインでその存在感を誇っています。その佇まいは20年前と変わりがありません。「シェーブルン」とは「美しい泉」の意味で、あのハプスブルグ家の夏の離宮。世界遺産に登録されています。

宮殿内見学は時間予約制のようで、まずは宮殿の前方に広がる大庭園を散策。大庭園パールテーレは、宮殿からネプチューンの泉まで続く奥行き数百メートルはあろうかと思われる広大な庭園。その中に幾何学的に区切られた数々の花壇が造られています。花の季節に訪れたらさぞかしきれいでしょう。宮殿2階にある大ギャラリーのテラスからの大庭園眺望は実に素晴らしい。

宮殿内には贅を尽くした数多の部屋があり、豪華絢爛。ゴブランの間、百万の間、漆の間、中国サロン、セレモニーの間、大ギャラリー等々、それぞれ内装・調度品にこだわりの跡がみられます。この宮殿は、16世紀にハプスブルグ家のマクシミリアンⅡ世が手に入れて以来、いくたびかの改築・増築を繰り返してより豪華になったようです。併せて庭園もそのたびに形を変えてより立派になったようです。

18世紀、皇帝カールⅣ世は娘のマリア・テレジアにこの宮殿を譲りましたが、そのころから宮殿は政治と宮廷生活の中心になり、輝かしい一時代を画しました。その後19世紀になって、オーストリア皇帝フランツⅠ世が大改修をしてシンプルな外観になり、今に伝えられている姿になったとか。

シェーブルン宮殿の見学を終え、白いオベリスクが2本建つ宮殿正門の脇で専用バスに乗車。正門を左手に見て少し進んで左折するとマキシング通りに入ります。非常に狭い道路で大型バスがすれ違うのに難儀。その通りを400メートルほど進んだ右側にクーデンホーフ・光子が住んでいた旧居があります。マキシング・シュトラーセ12番地。道路が狭いため、バスは降車のための停車もできず、車窓から眺めて通り過ぎるほかありませんでした。3階建ての瀟洒な建物。《次号へ続く/2006.11.2 本田眞哉・記》



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