研修紀行 Ⅷ

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アジア文化交流センター07夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅱ

  
ドレスデンで古伊万里と出会い、
        ポツダムを訪れて日本との接点を学ぶ
 

●「エルベのフィレンツェ」ドレスデン

昼食を摂ったレストランで出された料理はマイセン磁器に盛られていました。ガイド氏によれば、一般的にはこうしたケースは少ないとのこと。しかもマイセン磁器は一級品だった、と。一級品と二級品はどこで分かるかといえば、お皿を裏返して底をみると二級品には透明の短い線が入っているとのこと。ご存じのように、マイセンのトレード・マークは交差した二つの剣。その真ん中か下の方に二級品印がついているそうです。購入する場合もチェック・ポイントになる、と。

ここザクセン州の人口は450万人余。最も大きい都市はライプチッヒ。州都ドレスデンより少し人口が多い。ライプチッヒは見本市などが開催され商業の都として発展。一方、ドレスデンは宮廷文化が花開いた文化の都。18世紀の初めに活躍したフリードリッヒ・アウグストⅠ世が残した建造物がたくさんあり、旧市街を歩いて見学するとのこと。

モーリッツブルグ城と同じバロック様式のツインガー宮殿があり、ドレスデンはバロックの町ともいわれる、と。しかし、残念ながらオリジナルのものはほとんどない、と。第二次世界大戦の末期1945年2月13日~14日の連合軍の大空襲を受け30以上の建物が破壊されたとのこと。東ドイツ時代にも破壊された建物の修復が行われたが、東西統一後は一層急ピッチで修復活動が進んでいるそうです。

そんなガイド氏の解説を聞いているうちにバスはドレスデンの新市街へ。私たちの宿泊ホテル「ウエスティン・ベルビュー」の前を通り過ぎて、エルベ川に架かるアウグスト橋を渡り旧市街へ。窓外の風景はがらりと変わり、右も左も重厚な歴史的建造物の連続。貴重品を身につけ、カメラ・飲み水を持って専用バスとしばらくお別れ。石畳を踏みしめて徒歩観光へ。

広場に立つと茶色い屋根のお城(王宮)や、かつてのアウグスト卿の住居、現在はホテルになっている白亜の館等が見えます。くるりと踵を返すと、少し距離を置いてツインガー宮殿が視野に。ツインガー宮殿はバロック様式。ドレスデン旧市街見学の第一歩はツインガー宮殿の陶磁美術館から。そしてこここそ今回の企画「ヨーロッパでアジアを訪ねる旅」のメイン目的地。

ツインガーの語源は「外濠と内濠の空き地」の意だそうで、アウグストⅠ世がこの地に場所を求めて建設。建築家マテウス・ダニアル・ペッペルマンと彫刻家バルタザー・ペルーザーが王の依頼を受けて、1709年~1728年に砂岩を用いてこのツインガー宮殿を建築。鐘の門・時計の門をくぐると中は芝生と噴水の広々とした中底。周囲はバロック調の建物が取り囲んでいます。向かって左側にはユニークな形の「王冠の門」。大きな王冠を戴く門で、凱旋門として使われたとも。正面真向かいにはヘラクレスの門(ヴァル・パビリヨン)。防御・防衛の門とも呼ばれているようです。

●ツインガー宮殿で古伊万里に逢う

陶磁美術館は、時計の門の左右両ウィングの円弧状の回廊の中。天井も円弧を描いており優しさと暖かさを感じる館内。展示方法がこれまたユニーク。上部が円弧状になっている壁面に磁器を貼り付けるという方式。その配列も放射状あり、縦列あり、ランダムありでさまざま。その壁面の前の床や低い台に壺や鉢や瓶が無造作に?おかれています。こういった陳列方式はフランスのルイ14世が元祖とか。磁器が本来の実用法からかけ離れて、後期バロック・ロココ様式の宮殿内装飾として使われたのです。宴会の間の扉の上とか、部屋の隅に磁器を並べて置くとか…。

もちろん、いわゆる“小物”のコーヒー・カップとか小さな花瓶は、ガラスケースの中に展示されていました。白磁のものもあり、染め付けあり、色絵あり、いずれも逸品ばかり。生産地は中国・景徳鎮、日本の古伊万里・柿右衛門そして奥の展示場にはマイセン磁器。中国のものは明代、日本のものは1700年代のものが多いようです。

マイセン磁器の歴史は、錬金術師ベドガーが1710年に硬質な白磁器の製作に成功したことに始まるといわれています。その当時ヨーロッパ各地の王侯、豪族達は壮大なバロック様式の王宮・居城の空間をきらびやかに飾る絵画・彫刻・置物の蒐集に余念がなかったようです。が、それ以前のヨーロッパの陶磁器は陶土の素地(主に暗褐色)のままでバロック空間には不釣り合い。そこで、壮大豪華な室内に華をそえる装飾品を探していたザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグストⅠ世は、マイセン窯の白磁技術独占のために、ベドガーをアルブレヒト城に幽閉してマイセン磁器の研究・製作にあたらせました。

一方、伊万里焼と呼ばれる日本の磁器は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592~1598)の際に連れ帰られた朝鮮の陶工が焼成に成功したのが始まり。当初は染付が主で、白磁・瑠璃釉などはあったものの、朝鮮の技術では色絵は焼かれなかった。しかし、中国・明では色絵が作られ、より付加価値の高い磁器として日本にもたらされました。景徳鎮窯の南京赤絵がその代表的なものである、と。

以上は300年前に日本から渡来した逸品に逢うことができ“余は満足じゃ”。今回の旅のテーマ「ヨーロッパでアジアを訪ねる旅」はここに結実しました。陶磁美術館を出て、芝生と噴水の中庭を横切って古典巨匠美術館(アルテ・マイスター)へ。

この美術館のコレクションもまた逸品ぞろい。有名画家の、おびただしい数の有名絵画が所狭しと展示されていました。一つの壁面に上下二段、三段、そして大小さまざま、と。一辺が40~50㎝の絵から3m近いものまで。ラファエロやレンブラント、ジョルジョーネにコレッジョ、さらにルーベンス、ボッティチェリの作品の数々。もちろんすべてオリジナル。中でもラファエロの描いた「システィーナのマドンナ」は最も有名。ルーベンスの1610年代の作品「酔っぱらいのヘラクレス」はものすごい迫力。


《次号に続く/2008.1.3 本田眞哉・記》


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