研修紀行 Ⅷ

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アジア文化交流センター07夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅱ

  
ドレスデンで古伊万里と出会い、
        ポツダムを訪れて日本との接点を学ぶ⑪
 

●ライプチッヒは商業都市

8月27日、月曜日午前8時。ドレスデンからフランクフルトまで480㎞のロング・ドライブのスタート。途中ライプチッヒにお立ち寄り。ライプチッヒまでは約120㎞。アウト・バーンに乗ってバスは快適に走行。窓外に展開するのは畑や小高い丘。その中に林立するのは風力発電の風車。1時間も走ると何百本という数の風車が見受けられました。やはりドイツはエコ先進国だなあと痛感。日本ではなぜ風力発電が普及しないのか不思議です。

1時間余走ったところでトイレ休憩。こうした場合、日本ではインターチェンジまたはその中間地点に設けられている、高速道路の付属施設であるサービス・エリアという所を利用しますが、ドイツの場合は少々勝手が違います。アウト・バーンは無料ですので、一般道との結節点の料金所は不要。したがって高速道路同士のインターチェンジは必要ですが、一般道との接続はランプ・ウエーのみでOK。トイレ休憩もランプ・ウエー近くの一般道にあるガソリン・スタンド付属のドライブ・インを利用して、ということになります。

ドレスデンを出てから2時間余走ってわがバスはライプチッヒの中心部に到着。トーマス教会の近くでガイド嬢がお待ち。トーマス教会の前には大きな銅像が建っています。その台座には「JOHANN SEBASTIAN BACH」と書いてあります。そう、ヨハン・セバスチャン・バッハは1723~1750年この教会のオルガン奏者兼合唱団の指揮者(カントール)として活躍しました。その功績を称えてここに彼の銅像が建てられたのでしょう。

この教会の創建は13世紀ですが、1355年にはロマネスク様式からゴシック様式に建てかえられました。その後増改築が繰り返され、1702年に塔が完成して現在の姿になったとのこと。教会の全長は76m、中廊の高さは50m、屋根の勾配は63度、棟高は45m、塔の高さは68m。

中にはいると、内装は非常に質素ですっきりした感じ。主祭壇の前にはバッハの墓がありました。フラットな床に石の額縁を付けた銘板が設えられ、銘板の上に花などがお供えしてありました。ゴシックの窓のステンド・グラスにはマルチン・ルターとバッハ、そして第1次世界大戦の犠牲者の姿が描かれています。

教会を出て東側に回ると芝生の広場がありました。振り返ると教会の塔と63度という急勾配の屋根の構図が非常に印象的でした。団員一同揃って集合記念撮影。ハイ・チーズ! さらに歩を進めるとマルクト広場にでます。マルクトは英語で言えばマーケット、市場のこと。ヨーロッパの都市にはだいたい中央にマルクト広場があります。市場を中心にして都市が発展してきたということでしょう。

この広場では年に3回定期的に大市が開かれてきていて、現在も週2回ほど近郊から野菜などを取り扱う市が開かれているとのこと。12月にはクリスマスマーケットも開かれる、と。広場に面して黄色の大きな建物がどっしりと建っています。これは旧市庁舎、1556~57年に当時の市長が自ら設計して建てたもの。塔の左右の建物がシンメトリーになっていないのは広場全体の位置を考えてのことだそうです。

広場から200mほど東へ進むとそこにニコライ教会がありました。ライプチッヒ最大の教会。内部には椰子の木をモチーフとした柱が天井を支えており、エキゾチック。献灯台がユニークで印象的でした。この教会で月曜ごとに行われていた祈祷集会が民主化要求デモへと発展し、1989年のベルリンの壁の崩壊へとつながったとのこと。

市内のレストランで昼食をすませた後、バスは商業都市・市場の町ライプチッヒを後にしてフランクフルトへ向けて出発。フランクフルトまでは400㎞弱。アウト・バーンの両側には、ここでもまた風力発電の風車が林立。フランクフルトの近づくにつれてアウト・バーンは片側3車線から4車線になり車の数もグンと増加。夕刻7時ごろバスは、シュタインベルガー・エアポートホテルに到着。


 《次号へ続く/2008.2.26 本田眞哉・記》


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