研修紀行 Ⅷ

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アジア文化交流センター07夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅱ

  
ドレスデンで古伊万里と出会い、
        ポツダムを訪れて日本との接点を学ぶ《完》
    

    

ロマンティック街道のハイライト・ローテンブルグへ

 一夜明けて8月28日、きょうは旅の最終行程の日。ロマンティック街道のハイライト、ローテンブルグへ行きましょう。ローテンブルグまでは180キロの距離、2時間半余の旅。ガイド嬢曰く「シートベルトを締めてください。締めなくてけがをしたらそれは自己責任。ドイツはそういう社会です」と。

 例によってトイレ休憩となるわけですが、ガイド嬢が今までドイツで使ったことのなかったSANIFAIR(サニフェア・トイレ)の説明をしてくださいました。まずトイレの入口の改札口のようなところで、券売機に0.5ユーロ(約80円)のコインを入れる。そうすると、4㎝×9㎝ほどのチケットが出てくる。チケットをとって回転バーを押してトイレへ“入場”。チケットは、金券としてドライブ・インなどで使える、という仕組み。0.5ユーロは下水処理などエコ費用に活用。なーるほど、さすがエコ先進国。

 バスはアウト・バーンを降りてロマンティック街道に入ります。ロマンティック街道は、ビュルツブルグを起点として、中世の街並みがきれいなローテンブルグ、古いお城のあるディンケンスビュール、古都アウグスブルグを経てアルプスの麓のヒュッセンに至る延長約350㎞の街道。終点ヒュッセンの近くにはかの有名なノイシュヴァンシュタイン城があります。

 私は過去4~5回ロマンティック街道を訪れたことがありますが、2回ほどは全行程をバスで旅しました。その他の場合は途中から街道に入って途中で出たり、途中から入って終点まで行ったり。しかし、いずれの場合もローテンブルグは必見の街でした。今回もローテンブルグの少し手前でアウト・バーンから地道に降りて、そしてどのあたりか定かではありませんがロマティック街道に乗り入れるという道行き。

 ローテンブルグに着いたのは11時半ごろだったかと思います。レーダー門から城壁内に入り、まずは城壁の上の通路へ。市街をぐるりと取り囲む城壁は総延長2.5㎞。街の紀元は9世紀ですが、最初の城壁は12世紀にできたとのこと。以後増築・補強等が行われ、今ではその上を歩くことができます。高さが7~8mはありますから屋根を見下ろす形となり、道路からの眺めとはひと味違った目線で街並みが見られます。

 カルゲン門あたりまで城壁上を歩き“地上”へ。白い塔あたりを通り、石畳の道をマルクト広場へと歩を進め、どういうわけか人形とおもちゃ博物館へ。館内は迷路を思わせる通路の両側に人形がぎっしり。中には仕掛け人形もあり、ドイツはもちろんヨーロッパ各地で18世紀から20世紀にかけて作られた人形が1,000体あるとのこと。

 ヘルン・ガッセへ出て西へ進むと道はブルグ門へ通じます。 ブルグ門 を通って城壁の外へ出ると ブルグ公園 があります。過去何回かローテンブルグを訪れていますが、この公園は初めて。 公園からはタウバー谷に点在する水車小屋など美しい眺めが一望できます 。 さらに目線をあげると、タウバー川の流れる谷越しに南に突き出たローテンブルグの街並みが望めました。城壁外からジュピタール門塔が突き出て見える街並み風景もまた一興。


 
 
●旅の大団円はマイスター・トルンク

 タウバー・リビエラという散歩道を通って再び城壁内へ。中世犯罪博物館は月曜日休館のため外部にある少しばかりの刑具を見て次へ。メイン・ストリートのシュミート・ガッセをマルクト広場に向かって歩きます。道路両側の個性豊かな店の、これまた個性豊かな看板が青空をバックにオーバー・ハングしている光景は、これまさにドイツ・ローテンブルグのパテント・ビュー。いくつかを望遠レンズでカシャッ。

 マルクト広場のバロック風切り妻の議員宴会館の時計マイスター・トルンクは12時50分を指しています。おなかのムシがグーグーいう筈。さて、食事はどこで? きょうの昼食は旅行費用には含まれていません。各自ご自由に…ということですが、知らない外国の地のこと、一人で「あれ食べに行こう」というわけに参りません。

 と、よくできたもので、日本料理店の人らしき人が「いかがですか?」と声をかけてきました。「そう、日本料理もいいな」と思っていると、「イタリア料理が食べたいよ」という人も。結局2グループに分かれることになり、私は日本料理を選びました。ガイド氏もご存じのレストランということでひと安心。

 店の名前は忘れましたが、なかなか美味でした。私は唐揚げをいただき、家内は確かそばを注文しましたがいずれもお味は上々。お寿司を召し上がった団員もいましたし、確かエビフライのセット・メニューもあったような記憶です。何もドイツまで行って日本食を食べなくても…というご意見もおありかと存じますが、まぁ5日間に一度ぐらい和食もよろしいのでは…。

 満腹のおなかを撫でながら再びマルクト広場へ。旅の納めはマイスター・トルンクの仕掛け時計。午後3時少し前。広場に人が集まっています。「カーン・コーン、カーン・コーン、カーン・コーン」と鐘が鳴り出しました。カメラのレンズが一斉に時計の方向へ向けられ、時計の両脇の窓が開くと絶好のシャッター・チャンス。窓の中では、人形が大きなワイン・ジョッキを飲み干す仕草をします。

 因みに、「マイスター」は市長のこと、「トルンク」は酒飲みとか一気飲みの意。そのネーミングの由来は1631年10月の30年戦争。ローテンブルグの町(プロテスタント)は攻めてきたスウェーデン軍(カトリック軍)に包囲されあわや降伏という時、スウェーデン軍のテイリー将軍が、大ジョッキ一杯のワインを一気に飲み干す者があれば町を破壊しないと言いました。そこで、ヌッシュ市長がこれを受け、3リットルの大ジョッキのワインを一気に飲み干し町は破壊を免れたということです。窓が閉まってヤレヤレ。

 見ていた方もヤレヤレ、印象深い中世の町ローテンブルグともお別れし、アジア文化交流センターの2008年度旅の研修も大団円を迎えることになりました。団員の平均年齢70ウン歳にも拘わらず、一人の病人も出ず、またスケジュール上のトラブルもなく、楽しく有意義な旅行ができましたこと、この上ない喜びです。


 《完/2008.2.26 本田眞哉・記》


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