研修紀行 Ⅸ

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アジア文化交流センター08夏の研修 ──

 
ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅 Part Ⅲ

  
パリの中心地で日本の古民家と出会い

        ベルギー・オランダの文化遺産を訪ねて⑤   

  
    
 

●昔懐かしい「へっつい」と「ハソリ」

 厠の続きで恐縮ですが、同じ外庭にでかい「へっつい」がデンと置かれていました。私の子どものころは「おくどさん」と呼んでいましたっけ。いずれも「竈」という字を当て「かまど」とも言います。一般家庭用では、お釜を架ける穴の直径は3040㎝。ところが、ここにあるのは直径が80センチ以上はあろうかというもの。掛かっているのは「ハソリ」。農繁期に大勢の人々が作業した後に食事を提供するのに使ったのでしょうか。

 この「ハソリ」、私の自坊にもあります。親鸞聖人のご命日を期して毎年勤修する「報恩講(ほうおんこう)」という大法要で、参詣者に「お斎(とき)=食事」を出す時に使います。100人分の調理には欠かせない道具です。ところで、この「ハソリ」というネーミングは広辞苑にも載っていないので、あるいは尾張・三河の地方語なのかも知れません。

 ネット上で検索してみましたら「はそり考」が書かれたサイトが見つかりましたので、以下にその一部を
http://www.ai21.net/bousai/jishubo/shikizai/hasori.html】より引用させていただきます。

 この「ハソリ」という言葉が載っているサイトはほとんど愛知(尾張・西三河)岐阜(南濃)三重(北勢)の東海地方で、この地方の方言であるらしいことがわかった。(中略)全国的には平釜とか大鍋と呼んでいるらしいのだが、どのくらい大きいのかが言い表せないので、ひとによってはコンロの上に載る程度の大きさを想像してしまうかもしれない。(中略)

 「ハソリ」は、器の世界では「端反」(はぞり、はしぞり)という縁の形状を表す用語として使われているようだが、私たちが使っている「ハソリ」も同じような形状をしているので言葉の産まれはきっとそのあたりからにちがいない。使われ方はどこも似たようなもので、大勢の集まる祭りごとや法事などに使われ、地域での共同持ちや寺社などが保有することが多かったようである。

  

●建築家・降幡廣信先生とのご縁

 さて、パリの中心地で木曽・開田高原の民家に出会うという希有な体験に感動しつつ展示場を離れ1階へ。ミニ・レクチャをしてくださったジャーヌ・コビー女史にお礼の印を差し上げ、お手伝いいただいた現地学生のアシスタントには、私が「和peace」の文字を揮毫した白扇をプレゼントしお別れしました。大変有意義な見学・研修でした。

 そもそも、どうしてパリで日本の古民家に出会う企画に至ったかといぶかるムキもおありかと思いますので、ここでその経緯について若干ふれてみたいと思います。古民家移築のプロジェクトを進められた降幡廣信先生は、今から13年ほど前、私の自坊・了願寺の築250年の庫裡の建て替えの設計を担当してくださった建築家です。先生のお住まいは長野県の安曇野で、遠方のため無理かと思いましたがダイレクトにお願いしたところ、こちらの趣旨をご理解いただきご快諾いただきました。先生のコンセプトは「古民家再生」-これから百年暮らす-。

 2006年元旦に先生からいただいた年賀状に「今年は、パリ・シャイヨー宮での国際展に古民家を出品のため参ります。」続報では2007年の夏には古民家の移築が完了するとのことでした。一方、アジア文化交流センターでは「ヨーロッパで“アジア・日本”に出会う」をテーマとした研修旅行を企画推進することになり、その第一弾を2006年に実施。シリーズ第2弾で「パリで古民家に…」と思いましたが、前述のような事情で実現できず、今回ようやく実現の運びとなった次第です。

 午後3時過ぎ、シャイヨー宮に別れを告げ次の見学地ギメ美術館へ。バスの窓ガラスを雨雫がつたっていました。10分ほども走ったでしょうかギメ美術館に到着。円筒形をした独特の建物の入り口から美術館の中へ。ギメ美術館は、リヨン出身の実業家エミール・ギメ(18361918)が世界の宗教博物館を造りたいという構想から生まれました。彼は世界周遊の旅をし、各地で蒐集したコレクションを1879よりリヨンで紹介。その後、これらのコレクションをギメがパリに建造させた博物館に移管し、1889年開館しました。

 彼の収集のテーマは、古代エジプト信仰、古代ギリシャ・ローマの信仰を出発点としましたが、1876年に日本、中国、インド周遊の旅をしてアジア諸地域の美術工芸品を持ち帰ってから、構想はアジア諸国に関する宗教博物館の方向へ傾斜していったようです。博物館開館後も館員を極東各地へ遠征、派遣してコレクションを進めることによって、ますます東洋に重点がおかれるようになったとのこと。

 ガイド嬢の案内で、1階から順に見ていくと日本が最後になるからということで、最上階(4階?)へ。日本の美術工芸品がたくさん展示されておりました。埴輪や土偶、仏像に仏画、漆器や刀剣類などの工芸品、日本画や掛け軸、陶磁器、浮世絵、伎楽面に至るまで多種多様、しかも秀逸品が数多展示されていました。経済面でも労力面でもよくもまあこれだけ集めたものだと脱帽。その他中国・韓国・インド・東南アジアの品々も展示されていましたが、17時45分の閉館時間が近づくなか、駆け足鑑賞せざるを得ませんでした。シャイヨー宮で時間を取りすぎたのかも。


 《次号へ続く/2008.11.2 本田眞哉・記》


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