新年おめでとうございます

  ─かつて生徒であったCさん、Dさんと─

 C 先日のクラス会でご紹介のアンダースタンドのお
   話、もう一度お聞きしたくて、当日欠席のDさん
   とつれだってまいりました。

 S ようこそ、それでは犬飼道子『あなたに今できる
   こと』の一節を直接読んでみましょう。

   【人を理解したかったらアンダースタンド。アッパ
   ースタンドで上から人さまを見おろしちゃダメ。
   上から相手を見おろしていたら、アンダースタン
   ド(理解)できないよ。】

 C 相手より下に立つことによってはじめて相手を理
   解することができる、というのですね。

 D しかしアンダーまで降りていかなくても、対等の
   ところに立てばよろしいのでは…。

 S いい質問ですね。犬飼さんは待っていましたとば
   かり、きっぱり答えております。

   【人間はみな傲慢なところを心の奥底に持っている。
  自分が偉い、正しいと思っている。こちらの方が上
  等だと思っている。だから、「下に」ということを
  頭の中に叩き込まないと対等にならない。】

  D まことにきびしい「自己省察」ですね。

 C いつかお聞きしたことのある「機の深信」とかい
   う言葉を思い出します。

 S よくぞ思い出してくださった。ありがとう。

 D ところで犬飼さんはクリスチャンですね。

 S そうです。おたがいに「開かれた宗教」として手
   をとりあっていけそうですね

法 話

(37)「アンダースタンド           

 いささか旧聞で恐縮ですが、元教員で大先輩のSさんからいただいた年賀状に、ハッとさせられる内容の一文がありました。ここでご紹介し、ともども味あわせていただきたいと思います。
















































 このハガキを読ませていただいて、グーの音も出ない私でした。表面は謙遜しているけれども、人間存在の根っこには「自分は正しい」「自分の方が偉い」という深層心理があります。普段はおとなしくしていますが、事態が緊迫してくるとそうした心の動きが自ずと頭をもたげてくるのでしょう。

 身近な夫婦・親子・兄弟間の争いから、民族・宗教・国家間の戦争に至るまで、こうした人間の性(さが)の成せる業といっても過言ではありますまい。戦争は「善」と「悪」との戦いだという認識が一般的のようです。もっといえば「勧善懲悪」、善を勧め悪をやっつけるのが戦争の大義名分とも。

 イラク戦争においても然り。民主主義を「善」とし、フセイン独裁政権を「悪」だとするアメリカ。一方、アメリカナイズされることは「悪」だと抵抗し、自らを「善」だとするイスラム主義。いずれも自分の立場が善であると主張しています。

争いは「善」と「悪」との戦いではなく、「善」と「善」との戦い、正義と正義のぶつかり合いなのです。お互いに「正義は我にあり」と主張しているのです。言い換えれば、自分は正しく相手より上の立場にあるのだ、と主張し相手を叩くのでしょう。そうしたところには、相互理解(アンダースタンド)は望むべくもありますまい。

いずれにしても、私たちは知らず知らずのうちに「アッパー」の位置に立ってしまいます。しかも、そのこと自体に自分自身が気づかないところに問題の根の深さがあると思います。「同じ目線で…」といいながらイーコールの精神はどこへやら、「アッパー」の位置に「スタンド」している私自身。

いただいた年賀状をとおして、犬飼道子さんの琴線に触れる言葉に出会うことでき大変有り難く思うとともに、自己省察を一層深めなければと思うや切であります。 合掌

20044.1住職 本田眞哉・記》
       

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