法 話

(39)「伝承」           

 すべての人類が、戦いによって血を流すことを好まず、平和を願っていることは言うまでもないことでしょう。にもかかわらず、ここ100年の歴史を見ても、地球上のどこかで銃声が響き、戦いの絶え間はありません。

 太平洋戦争の終戦から60年の歳月が過ぎ去ろうとしている今日、日本では戦争を知らない世代が急速に増え、戦争の悲惨さも風化しつつあります。否、若い世代の中には、戦争を美化すると思われる声さえ聞こえてきます。世界に冠たる平和憲法のもと、半世紀以上維持できてきた日本人の平和のこころも、怪しくなってきたと感じるのは私ひとりでしょうか。

 特に最近、イラク戦争との関わりの中で、政治家の中でも一般人の間にも、戦争体験のある世代と無い世代との間で、平和に対する認識のギャップがかなりあるようです。国会でのイラクへの自衛隊派遣に関する特別措置法の審議においても、あるいは憲法改正についての報道機関のアンケート調査においても。言い換えれば、戦争の悲惨さ・残酷さ、平和の尊さが世代間で語り継がれていないということでしょう。

 一方、最近この地方で近未来に高い確率で巨大地震が発生するとの予測が発表され、行政サイドも対応策を講じつつあります。一般家庭でもその認識はかなり浸透してきたものの、今ひとつの感があります。

 地震・台風等の災害に備える心構えも、大災害から年月が経過するにつれて、その体験記憶の風化とともに希薄になってきています。この地方では、1944年12月に東南海地震、その後1ヶ月も経ない翌年1月に三河地震、さらにその翌1946年に南海地震が連続して発生して甚大な被害が出ました。

 東南海地震・三河地震発生時は戦時下で報道管制が敷かれ、新聞等当時の状況を示す資料が極めて少なく、伝承を妨げている一因ともなっているようです。12月7日の東南海地震発生時の状況は今でも鮮明に思い出されます。

 午後1時半ごろ、突然の激震に母と一緒に転がるように屋外へ飛び出しました。その時脳裏に浮かんだのは、祖母から聞いていた「地震の時は竹藪へ避難するとよい」という言葉。まともに歩けないので、這うようにして竹藪へ逃げ込みました。

 竹藪は、根っこが網の目のように地表を覆っているために、地割れに人が落ち込んだり、崖崩れに人が巻き込まれたりするのを防ぐことができるということでしょう。先人から受け継がれてきた尊い教訓なのです。

 また、1959年9月には伊勢湾台風がこの地方を襲い未曾有の被害をもたらしました。9月26日、夕方から強くなった風雨は次第にその激しさを増し、6時ごろには家屋倒壊の第一報がラジオで伝えられ、我が家の屋根瓦もカラカラと音を立てて飛び始めたことを想い出します。夜9時ごろにはピークに達し、3〜4pも撓る南側のガラス戸を必死に支えながら、「耐えきれずに吹き破られたら、反対側の戸を開けよ」という言い習わしが頭を過ぎりました。そのままにしておくと、風圧で天井や屋根が壊されるという教訓でしょう。

 いずれにしても「伝承」の果たす役割は大きいものがあると思います。しかし現代社会ではこの伝承の習わしが大変希薄になってきています。その原因は、家庭が核家族化し祖父母が身近にいないためとか、都市化して大人と子どもが共に活動する機会が減少したためとかいわれています。であるならば、文書で伝えて行かなければならないと思います。シニアの私としては。

 仏教界では、伝承のことを「相承
(そうじょう)」とか「相伝(そうでん)」「血脈(けちみゃく)」とかいって重要視されています。中でも、親鸞聖人が師と仰がれた三国の七高僧からの師資相承(ししそうじょう)はその最たるものでしょう。

 七高僧とは、インドの龍樹
(りゅうじゅ)菩薩に始まり、天親(てんじん)菩薩→曇鸞(どんらん)大師、中国の道綽(どうしゃく)禅師→善導(ぜんどう)大師、そして日本の源信(げんしん)僧都(そうず) →源空(げんくう)上人にいたる浄土教の法脈です。

 今から800年前、親鸞聖人は、インドはもちろん中国へさえ容易に行けない状況の中、書物のみで仏教を学び浄土教の系譜を選択され、オリジナルな本願念仏の教義を開顕されました。その努力と叡知、そして比類なき感性には全く敬服の至りです。

 聖人が直接教えを受けられたのは源空(法然)上人。源空上人との出会いが、聖人の信仰、そして人生の一大革命的転換点となったのです。その源空上人の徳を讃えるとともに、日本仏教界に及ぼした師の功績の偉大さを、聖人はご自作の『和讃
(わさん)』の中で詠っていらっしゃいます。

   善導源信すすむとも
   本師源空ひろめずは
   片州濁世のともがらは
   いかでか真宗をさとらまし


 また、聖人の弟子・唯円が親鸞聖人の法語を集めた『歎異抄
(たんにしょう)』には次のような記述があります。

    親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらす
   べしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細
   なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてはんべる
   らん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じても
   って存知せざるなり。たとい、法然上人にすかされまいらせて、
   念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。

   (中略)

    弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべ
   からず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したま
   うべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごと
   ならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、ま
   たもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚
   身の信心におきてはかくのごとし。
(後略)

 親鸞聖人が本願念仏の信心を獲得できたのは、源空上人への全幅の信頼のもと、釈尊の教説はもちろん、浄土教の流れをくむ七高僧の相承・伝承の賜である、と言いうことでしょう。もちろん、相承・伝承とは単なる継承ではありません。単に受け継ぎ伝えるだけならば、それは因習にすぎません。受け取りなおして、新しいいのちを吹き込んで次へ伝えることができて、はじめて本当の相承・伝承と言えるのではないでしょうか。合掌

2004.6.1住職 本田眞哉・記》
       

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