法 話

(45)「自然法爾(じねんほうに)


自然というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、

しからしむということばなり。然
(ねん)というはしからしむというこ

とば、行者のはからいにあらず、如来のちかいにてあるがゆえに。

法爾(ほうに)というは、この如来のおんちかいなるがゆえに、しか

らしむるを法爾という。

『末燈鈔』より










「錦秋」の時季とはいうものの、今年は紅葉があまりきれいではないようです。隣の神社の栃も、少し色づいたかなと思うころに枯れ始め、もう半分ほどは落葉。銀杏の葉も、黄色というよりも白色に変わり間もなく散ってしまいました。

今年の夏は猛暑でした。この猛暑のあとに秋の朝晩の冷え込みが加われば、さぞかしすばらしい紅葉が見られるだろうと思っていたのに…。11月に入ってもずっと気温の高い日が続いたため、急激な温度変化が得られなくて葉緑素の分解がうまく進まなかったせいでしょうか。

栃の隣り合わせの自坊の駐車場の片隅に、山桃の木が植わっています。樹齢150年以上。9月の下旬ごろでしたか、10月の頭だったか記憶が定かではありませんが、この山桃の木の天辺が急に赤くなってきました。

おかしいなあ、何か病か虫がついたのだろうか…。大学の同級生で元中学校長の樹木医に往診してもらわなきゃと思っていたのも束の間、あれよあれよという間に枯れ葉模様は木全体に拡大。わずか1週間か10日の間のできごと。

するとまた、近くに植えられている、幹の直径20pほどの柳の木がどうもオカシイ。生命力抜群の柳の木が、やはり天辺から変色し、わずか1か月ほどで枯れてしまいました。いったい何が原因なのだろう、どうしてだろう、といぶかることしきり。

毎年恒例、この時期に庭師に境内の庭木の手入れをお願いしております。今年も11月半ばに来ていただいたので、早速山桃の木と柳の木の件について相談してみました。庭師は木を見て、「今年の夏の猛暑が原因です」と即座に“診断”。そして、「もう生き返ることはないから、伐採するほかありません」と、冷たい返事。やむなく伐採処分することになりました。また緑が減って残念。

庭師の話によれば、夏の猛暑によって葉からの水分の蒸発と根っこからの水分の補給のバランスが崩れたのが枯死の原因とか。庭師の手持ちの杉の木の中にも、こうした例があったとのこと。夕方、どうも葉に元気がないなあと思った翌日木の天辺が赤くなり、1週間もしないうちに枯れてしまったそうです。

いずれにしても大自然の営みの不可思議さ、偉大さを身にしみて感じるできごとでした。

10数年か20年ほど前でしたか、松食い虫が猛威を振るったことがありました。九州あたりで松食い虫の被害が出たのを皮切りに、以後“忠害”は日本列島を東進。ついにわが愛知県も“浸食”され、知多半島の山々にも赤茶けた松の木や、枯れ木が突っ立っているのが見受けられました。

自坊の松の木も数本が被害に遭い全て伐採。緑が一挙に減りました。他に“伝染”しないように早く枯木を処分しないといけないということで、確か、町から焼却処分費用に対する補助金が支給されたように記憶しています。

そうした時、農林事業のある専門家がしゃべっていた話を思い出します。「松食い虫が日本列島を縦断的に食い荒らしているが、あれも大自然の営みの一環なんだ。何百年、何千年という長いスパンで、動植物は自然と《種》《類》などの栄枯盛衰を繰り返しているんだよ」。

なるほど。大自然の営みに対して、人間の知恵や力を振りかざしてみても所詮無理・無茶というもの。松食い虫の予防とて、消毒をしてもらったことがありましたが、逆に庭師が薬を浴びてダウン。人知による科学文明の対応も非力でした。

まさに「行者(人間)のはからいにあらず」、大自然(法)の「しからしむ」ところなのでしょう。「なすがままあるがまま、足す必要もなく引く必要もない、そのままでよいのですよ」とお教えいただくのです。合掌


2004.12.1住職 本田眞哉・記》
       

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